第2話「この魔獣、なんか見たことある」
腹が減って死にそうだ。
管理者権限とかいうものがこの星では生きてるらしいことはわかった。だが、わかったところで腹は膨れない。チートスキルで空腹を満たせないの、なんの嫌がらせだよ。
エリア・ゼロに転送されてから、たぶん数時間。二つの月が少しだけ動いた。太陽は一つ。この星の時間の流れ方もわからない。
森を目指して歩く。水場があるとしたら森だろう。理由はない。勘だ。——いや、勘にしちゃやけに確信がある。なんでだ。
歩きながら、草を一本引き抜いてみた。根に金属光沢。
……何だ、これ。植物の根が金属? いや違う。これ、結晶化した——何かだ。名前が出てこない。ただ、見覚えがある。すごくある。指先が覚えてるみたいに、結晶を転がすと妙に手に馴染む。
気持ち悪い。知らないものを「懐かしい」と感じる自分が、気持ち悪い。
森の入り口に差し掛かったとき、地面が揺れた。
——来たか。
振り返る。草原の向こうから、何かが来る。巨大な何か。六本の脚。金属の光沢。赤く発光する複数の目。全長は——十メートルを超えてる。
蜘蛛と蠍を掛け合わせて、装甲車で包んだような化け物。この世界の住人なら「魔獣」と呼ぶんだろう。
——なんか見たことある。
関節部の六角形パターン。表面を走る電気信号のライン。知ってる。見たことがある。どこで? 思い出せない。だが体は確実にこいつの「設計図」を知っている。
考えてる場合じゃない。十メートルの鉄の塊が突っ込んでくる。
逃げる。森の中に飛び込む。木々の間を縫うように走る。背後で木がへし折れる音。肺が焼ける。喉がひりつく。転送されてから水も飲んでない体で全力疾走とか、正気じゃない。
行き止まり。
崖だ。高さは二十メートル以上。下は岩場。
膝が笑ってる。息が上がって視界が揺れる。
——落ち着け。
あの世界では沈黙してた管理者権限。この星ではフルオープンで走ってる。さっき「ようこそ、管理者」って出た。ということは——管理者コマンドが、この化け物にも通るかもしれない。
……通るか?
一度も使ったことのない権限だ。コマンドの入力方法すら知らない。
知らないはずなのに——。
脳の奥から、何かがせり上がってくる。文字列。コマンド体系。指の動かし方。覚えた記憶がないのに、体が知っている。
——気持ち悪い。だが、今はこれに賭けるしかない。
魔獣が森を薙ぎ倒しながら迫ってくる。赤い目が、俺を捉えている。
脳内の管理者権限にアクセス。対象の構造を解析——六角形パターン、信号ライン、コアプロセス。読める。なぜか全部読める。
互換性——ある。こいつの核は、俺のチップと同じ系統のコードで動いてる。
「——悪いな。お前のOS、型落ちなんだわ」
「全プロセス、強制終了」
パチン、と指を鳴らした。なぜ指を鳴らしたのかもわからない。体が勝手にそうした。
瞬間——視界が赤く染まった。俺にだけ見える巨大なエラーログが、魔獣の全身に突き刺さるように展開される。構造図。異常検知。停止命令。赤い文字列が空間を埋め尽くし——。
ジジ、と耳障りなノイズが漏れた。火花が表面を走る。関節が一つずつロックされ、六本の脚が順番に折れていく。巨体が傾き、軋み——。
十メートルの鉄屑が、轟音とともに崩れ落ちた。
土煙が舞い上がる。静寂。
「…………」
手を見る。震えてる。当然だ。今の、何だ。覚えた記憶のないコマンドが、口から勝手に出てきた。指が勝手に動いた。そして——通った。
怖い。自分の体が、自分の知らないことを知っている。
だが——生きてる。それだけは確かだ。
鉄屑の山を見下ろす。さっきまで十メートルの化け物だったものが、ただのスクラップに変わっている。
「お前はもう動かない。……っていうか、なんで俺、お前の止め方知ってたんだ」
答えは返ってこない。当たり前だ。
脳内で管理者モードのログがまだ走っている。接続可能な端末の数が、視界の端でカウントアップされていく。百。千。万。きりがない。
あの世界では「欠陥品」でしかなかった管理者権限。それが、この世界ではマスターキーだ。
なんで俺がこの権限を持ってるのかは、わからない。だが使える。この世界のシステムが、俺のコマンドに従う。
「魔法? いや——ただのバグだ。俺と同じで」
……さて。
腹は減ったままだ。チート能力で空腹は満たせない。水もない。鉄屑を踏み越えて、森の奥に向かう。
その時——遠くから、微かな信号をキャッチした。管理者モードが拾った反応。人工的な配列パターン。集落か。この星に人間がいる。
そして——もう一つ。
「——助けてっ!」
女の声。若い。切迫している。集落の方角から。
足が動いていた。考えるより先に。空腹でも脱水でも、聞こえた以上は行く。理由なんてない。見捨てるのが性に合わないだけだ。
走る。木々を抜け、丘を越え、声のする方へ。
丘の上から見えた光景。
十人ほどの武装した男たちが、一人の少女を追い詰めている。少女の髪は銀色。月の光みたいに白くて、透明で。
男たちの手には光る剣。表面を走る信号ライン。さっきの魔獣と同じパターン。ということは——。
「——おい。その剣、バグだらけだぞ。壊れる前に捨てとけ」
指を鳴らした。
十本の光の剣が、一斉にエラーを吐いて自壊した。刃が消え、柄だけが男たちの手に残る。
「ば、化け物だ……! 撤退!」
あっという間にいなくなった。
二回目。二回ともコマンドが通った。この世界のものは、全て俺の管理者権限で制御できるらしい。
なぜ俺だけがこの権限を持っているのか。なぜ体がコマンドを覚えているのか。
わからない。わからないが——使えるものは使う。バグって便利だな。
「あ、あの……」
声がした。小さくて、震えていて、でも透き通った声。
振り返る。
銀色の髪。大きな青い瞳。頬に泥がついている。膝を擦りむいている。十六、七くらいの少女。
——その瞳に、恐怖はなかった。
「すごい……! あなた、伝説の——『管理者』様、なんですか!?」
管理者。
この世界の住人が、その言葉を知っている。
……面白え。この世界には「管理者」の伝説が残ってるわけか。
「管理者? さあな。——ただの、バグに愛されただけの男だよ」
少女は——泥だらけの顔のまま、太陽みたいに笑った。




