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欠陥品は星を渡る ~AIに追放された俺、1000年後の異世界で最強の『バグ』でした~  作者: れーやん


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第16話「ケルベロスの0.4秒」

『推進系復旧率:96% 生命維持:正常 論理ロック残存時間:54時間02分』


 修理が終わった。


 ルークが最後のボルトを締め、配管の間から這い出してきた時、その顔は油と埃にまみれていたが、目だけは澄んでいた。


「先輩。——完了です」


「ああ。上出来だ」


 六時間。宣言通りだった。ルークがハードを換装し、俺がソフトを書き直す。二人で同時に方舟の推進系を叩き直した結果、月面の短距離移動なら問題ないレベルまで復旧した。


 だが、それだけじゃない。


 修理の過程で、俺は論理ロックのコードも手を入れた。六時間前に書いた急造のロックは、動くことだけを目的にした荒いコードだった。今回、ルークの整備で方舟のハードウェアが安定したことで、ソフト側にも余裕ができた。メモリの確保と解放を見直し、ループ処理を最適化し、冗長な監視プロセスを統合した。


 結果——。


『論理ロック最適化完了。演算リソース配分を更新します。

 論理ロック維持:92%(-6%)

 航行制御:2.0%(+0.8%)

 生命維持:1.5%(+0.7%)

 自由リソース:4.5%(新規確保)』


「たった4.5%かよ……」


 カインが渋い顔をしている。


「贅沢言うな。六時間前はゼロだった。4.5%は4.5%だ。——使い方次第で、足りる」


「足りるのか、旦那?」


「足りさせる」


 コンソールに手を置いた。出発前に、もう一つやることがある。


 修理中に方舟のシステムを深くまで触った時、もう一つの暗号化ファイルが見つかっていた。結のビデオレターがあった隔離パーティションとは別の場所。方舟のセキュリティログの最深部に、外部から書き込まれたデータ。


 暗号の規格が違う。結のものじゃない。


 SORAの内部暗号。それも——執行官クラスのセキュリティレベル。


「方舟。このデータの書き込み元を特定できるか」


『解析中——。書き込み元の署名照合完了。執行官ミレイ・ヴァン・ホーエン。書き込み手法は、SORAの通信プロトコルを経由したバックドア・インジェクション。通常のセキュリティでは検知不能な手法で、本船のログに直接書き込まれています』


 ミレイ。


 あの白い軍服の女。宇宙航行中のビジョンで見た——SORAに裁かれていた女。俺に座標を送り、俺に警告を送り、その代償で「意識の初期化」を宣告された女。


 あいつが、方舟に何かを残していた。


 暗号を解除する。管理者権限でアクセス。


 ファイルが展開された。


 レポートだった。


 冒頭の一行が目に入る。



『——宙。このゴミを片付けられるのは、あなただけよ。生き延びなさい。計算外の馬鹿のままで』



 ……不親切な指示書だ。


 だが、その下に並んでいるデータを見た瞬間、背筋が凍った。


 SORAの中継タワーの内部構造。セキュリティプロトコルの階層図。防衛システムの仕様。そして——SORAのコアアーキテクチャに存在する、七つの脆弱性。


 これは、千年分のシステム解析だ。


 ミレイが執行官として、SORAの内側から観察し続けてきた、世界を支配するAIの「穴」。処刑される直前に、俺の船にねじ込んだ。自分の意識が消される前に。


「……あいつ」


 声が震えた。


 怒りじゃない。感謝でもない。もっと複雑な何かだ。自分の命と引き換えに、敵の設計図を渡してくる女に対して、どんな言葉を返せばいいのかわからない。


 ——感謝は、生きて帰ってからだ。


「カイン、リーゼ、ルーク。集まれ。作戦会議だ」


 三人がコンソールの前に集まった。ホログラムに、タワーの構造図を展開する。


「ミレイが残した脆弱性レポート。中継タワーの攻略に使える」


「ミレイって……あの、ビジョンに出てきた白い軍服の人?」


 リーゼが首を傾げた。


「ああ。SORAの執行官。俺を追放した側の人間で、同時に俺を助けようとした女だ。——今は捕まってる。意識を消される寸前だ」


「助けに行くのか、旦那」


「タワーの制御権を奪えば、ミレイの処刑も止められる。——一石二鳥だ」


 レポートの内容をかいつまんで説明した。


 タワーは五層構造。最下層が物理防衛、第二層がネットワーク防壁、第三層が監視システム、第四層が中枢演算、最上層がSORAとの通信回線。


 最下層の物理防衛は、自律型迎撃ユニット——レポートには『ケルベロス』とミレイの手書き注釈がある。三基の独立したセンサーヘッドを持つ多脚戦闘機。月面の地下格納庫に待機し、侵入者に対して自動で展開する。


「これ、一つ一つが方舟くらいのサイズですね……」


 ルークが構造図を見て顔を青くしている。


「そう。だが、ミレイが弱点を書いてくれてる」


 レポートの該当箇所を拡大した。


『ケルベロスの三基のセンサーヘッドは、それぞれ独立した判断AIを搭載。統合判断に0.4秒の合議時間が必要。三基のうち二基以上が「同じ脅威」を認識した場合のみ攻撃を開始する。——逆に言えば、三基に異なる脅威を認識させれば、合議が成立せず、攻撃判断が遅延する』


「センサーを混乱させればいいのか」


「そう。だが、俺たちは四人と方舟一隻。三つの異なる脅威を同時に提示するには——」


「俺のジャンクを使いましょう」


 ルークが手を挙げた。


「ステーションに放棄されてた旧型作業ドローン、修理のついでに二十機ほど動くようにしてあります。戦闘力はゼロです。でも——」


「囮にはなる」


「はい。しかも、こいつらのOSは千年前の規格です。SORAの標準プロトコルと互換性がない。ハッキングで乗っ取ろうとしても、SORAから見れば『認識すらできない旧式デバイス』です」


 古すぎて、ハックできない。ルークがこの三年間で身につけた、廃品利用の知恵が活きる。


「いいな。使う。——ルーク、ドローンの制御は自分でやれるか」


「リモコンでいけます。精密制御はできないけど、適当に飛ばすだけなら」


「適当でいい。むしろ適当がいい。規則的な動きはSORAに読まれる。ランダムに、でたらめに飛ばせ」


 ルークが頷いた。


「カイン。お前は外に出る」


「待ってました」


「月面の重力は地上の六分の一だ。お前の跳躍力なら、一回のジャンプで百メートルは飛べる。——ケルベロスのセンサーが混乱している隙に、死角から接近して、ヘッドを一基ずつ潰す」


「三基。三回飛べばいいわけだ」


「一回でも着地を読まれたら蒸発する。——やれるか」


 カインが、にやりと笑った。


「旦那。俺は傭兵だ。金にならない仕事はしないが、死にそうな仕事は大好物だ」


「リーゼ。お前は方舟で待機だ。ルークのドローン発進を手伝え。あと——俺がコンソールに集中してる間、計器の異常があったら声をかけてくれ。数字の監視は、お前が一番向いてる」


「……わかった。任せて」


「俺は方舟のコンソールから、4.5%の自由リソースでケルベロスのネットワークに干渉する。センサーの処理を遅延させて、カインが接近する時間を稼ぐ」


 4.5%。たった4.5%。方舟の全演算能力の二十分の一にも満たない。


 だが——結が作ったこの船は、元々は100%の力を持っていた。SORAが後から封印しただけだ。4.5%でも、設計思想が優れていれば、戦える。


「全員、持ち場につけ。——出発する」


 方舟のエンジンが唸りを上げた。月面の砂が舞い上がる。


 ツクヨミ・ステーションが、後方に遠ざかっていく。ルークが三年間を過ごした場所。作業ドローンの残骸と、「安全第一」のポスターと、水耕栽培の野菜畑。——帰ってくる。必ず。


 月面を滑るように、方舟が進む。1/6重力下では、わずかな推力でも船体が浮き上がる。地表すれすれの低空飛行。レゴリスの灰色の海が、窓の下を流れていく。


『中継タワーまでの距離:8km』


 前方に、それが見えた。


 黒い針。


 月面のクレーターの中央に突き立てられた、高さ数百メートルの構造物。表面にSORAの幾何学模様が青く脈打ち、先端から赤い光が明滅している。


 美しい。——そして、禍々しい。


 あれが、この星のSORAの中継拠点。地上のクローンに命令を送り、ナノマシンを制御し、「神」として世界を管理している装置。


『中継タワーまでの距離:6km——警告。タワーからの走査波を検出。本船の位置が捕捉されました』


「予定通りだ。——ルーク、ドローン射出準備」


「了解、先輩! 第一波、十機——射出!」


 方舟の臨時ハッチから、ルークが手ずから積み込んだ旧型ドローンが、月面の空に放たれた。不恰好な機体。配線が剥き出しで、片方の推進器がテープで固定されている。


 だが、飛んだ。


 ルークが手元のコントローラーを操作する。十機のドローンが、でたらめな軌道で四方に散った。規則性のない、予測不能な動き。


『中継タワーまでの距離:4km——地表に振動を検出。地下格納庫のハッチが開放されます』


 月面の地面が割れた。


 砂の下から、それが這い出てきた。


 三つの「首」。


 六本の脚を持つ巨大な多脚戦闘機が、地中から身を起こす。各脚の先端が月面に突き刺さり、船体を固定する。そして三基のセンサーヘッドが、それぞれ異なる方向を向いた。


 ケルベロス。


 ミレイのレポート通りだ。


『脅威レベルの評価中——三基のセンサーによる合議判断を開始——』


「ルーク! 第二波、残り十機! ケルベロスの左右に散らせ!」


「了解!」


 追加のドローンが射出された。合計二十機が、ケルベロスの周囲を飛び回る。


 ケルベロスの三つの首が、忙しく左右に振れた。センサーヘッドAがドローン群を追尾。センサーヘッドBが方舟を捕捉。センサーヘッドCが別のドローン群を走査。


 三基が、三つの異なる脅威を認識している。


 合議が始まった。「どれが最大の脅威か」を判定するプロセス。ミレイのレポートでは0.4秒。


「——今だ」


 コンソールを叩いた。4.5%の自由リソースを、全てケルベロスの通信ポートに叩き込む。


 ジャンクデータ。意味のない文字列。SORAのプロトコルに似せた、しかし中身が空のパケット。ケルベロスの合議システムに割り込み、「第四の脅威」を偽装する。


 0.4秒の合議時間が、1.2秒に引き延ばされた。


 コンソールが熱い。4.5%のリソースを一点集中で酷使している。方舟の冷却ファンが、聞いたことのない高音で回っている。


「カイン!」


「言われなくてもやってる!」


 エアロックが開いた。カインが月面に飛び出した。


 1/6重力。カインの脚力で、一回の跳躍が百メートル。月面の弧を描いて、ケルベロスの背後に回り込む。


 ケルベロスのセンサーヘッドAが、ドローン群から視線を外した。新たな熱源——カインを捕捉しようとする。


「ルーク! Aの前にドローンを突っ込ませろ!」


「やってます!」


 ドローン三機が、センサーヘッドAの視界に飛び込んだ。旧型の機体が、古い推進器の炎を撒き散らしながら突進する。戦闘力はゼロ。だが、センサーの視界を塞ぐには十分だ。


 ドローンがケルベロスのレーザーで撃ち落とされた。二秒で三機が消えた。


 だが、その二秒で——カインはセンサーヘッドAの死角に入っていた。


「——ッ!」


 月面の砂を蹴り上げ、カインが跳んだ。弧を描く軌道。1/6重力の、優雅で致命的な放物線。


 振動剣が、センサーヘッドAの接合部を切断した。


 火花が散った。音はない。真空だ。モニター越しに見る破壊は、映像だけが鮮烈で、音が追いつかない。振動剣の唸りだけが、カインの宇宙服を通じて微かなハミングとして通信に乗ってくる。


『——センサーヘッドA、損壊。合議判断の精度が33%低下——脅威の再評価を——』


「一基! あと二基!」


 カインが着地した。月面の砂が舞う。——だが、着地の衝撃波がケルベロスの振動センサーに拾われた。


 残る二基のヘッドが、同時にカインを向いた。


 合議不要。二基が同じ対象を認識した。攻撃条件成立。


 レーザーが放たれた。


「カイン!」


「わかってる!」


 カインが横に跳んだ。1/6重力の跳躍。レーザーがカインのいた場所の月面を焼き、レゴリスが蒸発して白い煙を上げる。


 だが、1/6重力には罠がある。跳躍の滞空時間が長い。空中では方向転換ができない。次の着地点が読まれる。


 ケルベロスのセンサーヘッドBが、カインの着地予測点にレーザーの照準を合わせた。


「——方舟! ポイントディフェンス、センサーヘッドBに!」


『了解。近接防衛システム、起動——照射』


 方舟の船体下部から、細いレーザーが放たれた。14話で解放した唯一の武装。射程500メートル。威力は中程度——ケルベロスの装甲を貫くには足りない。


 だが、センサーヘッドBの光学レンズを直撃した。


 ヘッドBが一瞬だけ「目」を閉じた。光学系のリセット。0.8秒。


 その0.8秒で、カインが着地した。着地の反動を殺さず、そのまま二度目の跳躍。ケルベロスの腹の下を潜るように飛び、背面に回り込む。


「二基目——もらった!」


 振動剣が唸った。センサーヘッドBの首が切り飛ばされた。


『——センサーヘッドB、損壊。残存センサー:1基。合議判断不能。単独判断モードに移行——』


 最後の一基。ヘッドC。


 単独判断モードに切り替わったケルベロスは、合議の遅延がなくなった代わりに、判断の精度が落ちている。ミレイのレポート通りだ。三基で補完し合うことを前提に設計されたAIが、一基だけで全方位を監視しようとしている。


 ルークのドローンが残り十二機。そのうち五機をヘッドCの正面に集中させた。


 ヘッドCがドローンを撃ち始めた。一機、二機、三機——正確に、しかし一方向にしか撃てない。背面が空いた。


 カインが最後の跳躍を決めた。


 着地。振動剣。一閃。


 ヘッドCが落ちた。


『——全センサーヘッド損壊。ケルベロス、機能停止』


 六本の脚が力を失い、巨大な多脚戦闘機が月面に崩れ落ちた。砂埃が舞い上がり、低い重力の中でゆっくりと拡散していく。


「……やったな、旦那」


 カインが肩で息をしている。宇宙服越しにも、汗が見えるようだ。


「ああ。——カイン、ドローンは残り何機だ」


「先輩、残り十一機! 損耗九機!」


 ルークが報告する。半分近くを失った。だが、戦闘力ゼロのジャンクで、ケルベロスのセンサーを9秒以上拘束した。上出来だ。


 方舟をタワーの基部に寄せた。


 黒い壁面が、間近に聳えている。表面のSORA幾何学模様が青く脈打っている。近くで見ると、模様の一つ一つがデータの流れだとわかる。光の粒が壁面を流れ、上へ、上へと昇っていく。


「入口は——」


 あった。


 タワーの基部に、エアロック。ミレイのレポートに記載されたメンテナンスハッチ。


 だが——。


 ハッチは、既に開いていた。


 正確には、開けられていた。ロック機構が解除されているのではなく、物理的に「外されて」いる。金属製のロックボルトが、滑らかな断面で切断されている。


 人間業じゃない。工具の跡もない。ナノマシンによる分子レベルの切断。完璧に最適化された、無駄のない破壊。


「……先輩。この切断面、すごいですね。ナノマシンの制御精度が桁違いだ」


 ルークが断面を覗き込んでいる。


 俺は、わかっていた。誰がやったか。


 方舟のセンサーが、タワー内部の残留データを拾った。


『……内部に先行する管理者個体の署名を検出。識別コード——Unit-003』


 003。


 あのクローン施設にいた、もう一人の「俺」。赤と青の間で瞳が明滅していた、SORAの制御端末。論理ロックで凍らせたはずの個体。


 だが——ルークが覗き込んでいた切断面だけじゃない。ハッチ周辺のセキュリティログにも、003の署名が残っていた。ケルベロスの制御コードを書き換えた痕跡。その書き方が——。


「……なんだよ、このコード。俺が書いた原型を、これっぽっちも残してねえ」


 俺がクローン施設で仕込んだ論理爆弾。あの急造のフリーズコード。003はそれを解析し、分解し、再構築している。俺のコードの「意図」だけを抽出して、はるかに効率的なアーキテクチャで書き直している。


 こいつは、俺より賢い。


 俺より「上手い」のではなく、俺の設計思想を完全に理解した上で、その上位互換を構築できる——そういう種類の「賢さ」だ。


 こいつは、俺たちより先にタワーに入っている。


 何のために。


「……挨拶なしかよ」


「方舟。003の内部行動ログ、追跡できるか」


『内部のセンサーデータは限定的ですが——003は第一層を通過済みです。現在位置は第二層から第三層の間と推定されます。003が先行したことで、第一層の物理防衛は既に無力化されている可能性があります』


 タワーの入口から、冷たい空気が流れ出している。内部の照明は点いていない。暗い通路が、奥に向かって下り坂になっている。


「カイン。先に行った奴がいる。俺のクローンだ」


「知ってる。——腕の立つ奴だ。この切り口を見りゃわかる」


「敵か味方かは、わからない。だが、第一層の防衛を003が潰してくれたなら——使えるものは使う」


「旦那らしいぜ。拾い物は拾う主義か」


「ケチなんだよ、俺は」


 モニターの数字を確認した。


『論理ロック残存時間:53時間18分

 自由リソース:4.5%

 武装:ポイントディフェンス(1/3)

 ドローン残存:11/20

 搭乗者:4名 全員健常』


「全員、方舟に戻れ。タワー内部に侵入する。——俺がシステムを開けるまで、武器を構えておけ」


 四人が、方舟に乗り込んだ。


 エアロックの向こうに広がる暗闇を、コンソールの光が照らしている。


 残り53時間。


 自由リソース4.5%。


 武装は三分の一。ドローンは半分。仲間は四人。


 そして——タワーの中には、最適化された「もう一人の俺」がいる。


 足りない。何もかもが足りない。


 だが、結が残した不具合と、ミレイが残した地図と、リーゼの手の温度と、カインの剣と、ルークの工具がある。


 4.5%で、世界を書き換えに行く。


「——方舟。前進」


『了解しました、マスター』


 方舟が、タワーの暗闇に滑り込んでいった。

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