第11話「スペアの俺が多すぎる」
王都を解放して、三十分が経った。
街からは歓声が聞こえている。何が起きたのか理解していない者も多いだろうが、「神の雷」が消え、魔法が全員に開放されたことだけは伝わっている。広場では子供たちが初めてのホログラムに手を伸ばし、市場では商人が見えない文字列を不思議そうに触っている。
カインが窓の外を見下ろしている。
「……旦那。外は祭りだな」
「祭りじゃない。メンテナンス後の再起動だ。不具合が出ないか見てなきゃいけない」
「不具合って、例えば?」
「魔法が使えるようになった一般市民が、調子に乗って建物を吹っ飛ばしたりとか」
「……それ、今すぐ止めた方がよくないか」
「チュートリアルなしで上級魔法は使えない。たぶん大丈夫だ。たぶん」
「『たぶん』の使い方が雑だな、旦那」
リーゼが王の玉座を恐る恐る覗き込んでいた。王はもういない。騎士たちに連行されて別室に移された。自分の兵に連行される王というのも情けない話だが、魔法が全員に開放された今、王だけが特別な力を持つ時代は終わった。
それはいい。問題は——。
玉座の肘掛けに、ナノマシン回路が直接埋め込まれていた。管理者モードで見ると、この玉座自体が一つの端末——いわば、王専用の管理パネルだ。ここから王は「神の力」を独占していたわけだ。
パネルに手を置いた。起動する。ホログラムが展開される。
王都のネットワーク全体図。信号線。端末数。リソース配分。——なるほど、城壁の内側だけで端末数は三十万台以上。さすが王都、村とはスケールが違う。
だが——一つ、妙なものがある。
地下。王宮の直下、地下百メートル以深に、大量の物理接続端末が検出されている。数が異常だ。千、二千……いや、桁が違う。
「……なんだこれ」
端末情報を展開する。IPアドレスを照合。
全部、同じだ。
同一の生体IDが、数万件。しかもその生体IDは——。
「……俺のIDじゃねえか」
倉橋宙。管理者ID:001。それと全く同じ生体識別子が、地下に数万件。
何かの間違いか。いや、管理者モードは嘘をつかない。地下百メートルの空間に、「俺」が数万人いる。
「カイン。リーゼ」
「ん?」
「何、宙さん?」
「……ちょっと地下を見てくる。付いてくるか?」
カインの目が鋭くなった。「面白そうだな」。この男は本当に好奇心が強い。
「私も行く……!」
「危ないかもしれないぞ」
「それでもいい。……宙さんの隣が、私の席だから」
ショートカットキー、か。——わかった。
玉座の裏に、壁と同化した扉がある。管理者モードでなければ見えない。ナノマシンの信号を辿ると、ここが地下への直通ルートだ。
管理者権限でロックを解除する。壁が裂けるように開いた。奥に金属製の小さな部屋——エレベーターだ。
「……すげえな。王様専用のエレベーターかよ」
「エレベーター?」
「下に降りる箱だよ、リーゼ」
「箱で下に……?」
「乗ればわかる」
三人で乗り込んだ。狭い。カインの肩が壁にぶつかっている。リーゼは俺の腕にしがみついている。
「管理者権限——最下層へ」
エレベーターが動き始めた。下へ。下へ。深く、深く。
十秒。二十秒。三十秒。まだ降りている。地下百メートルという数字が冗談じゃなかったことを体感する。耳が詰まる。
「……旦那。この「箱」、どこまで落ちるんだ」
「落ちてない。降りてるんだ」
「同じだろ」
「全然違う」
カインが剣の柄に手をかけている。冷静そうに見えて、緊張している。当たり前だ。未知の地下空間に降りていくのだから。
停止した。
扉が開いた。
冷たい空気が流れ込んでくる。無菌室特有の、乾いて清潔な冷気。村の空気とも、王都の空気とも違う。
足を踏み出した。
——息が止まった。
巨大な空間だった。天井までの高さは二十メートル以上。広さは王宮の玉座の間の何倍もある。
そして——壁面を埋め尽くす、ガラスの筒。
縦に並んだ円筒形のカプセル。一つ一つが人間大のサイズ。中は青白い液体で満たされている。照明は薄暗いが、カプセル自体が淡い光を放っている。
何百。何千。何万。
視界の果てまで、ガラスの筒が並んでいる。
その中に浮かんでいるのは——。
「……おい」
カインが声を絞り出した。
「旦那。あれ——あんたの顔じゃねえか」
知ってる。見える。管理者モードなんかなくても見える。
カプセルの中の青年たち。全員が、俺と同じ顔をしていた。
同じ骨格。同じ体格。同じ——顔。目を閉じて、液体の中で浮かんでいる。呼吸はしていない。だが、ナノマシンが体内を循環している。管理者モードで見ると、全員の生体IDが「倉橋宙」と一致する。
数万人の俺。
カインが振動剣を抜いた。
「旦那、下がれ。罠かもしれない」
「落ち着けよ、おっさん。こいつら起きてない」
「起きてないから安全だとは限らねえだろ」
「……それはそうだけど」
リーゼが俺の腕を握りしめている。震えている。唇が白い。
「宙さん……これ……どれが……本当の、あなたなの……?」
「俺は俺だよ。ここにいる俺が、本物の俺だ」
「でも、あの人たちも、宙さんと同じ顔で——」
「顔が同じでも、中身は違う。——俺はリーゼを知ってるし、カインを知ってる。コーヒーメーカーが壊れてることに腹を立てる。コーラを飲んだら泣きそうになる。……そういう不具合込みで俺なんだ。こいつらは空っぽの器だ」
リーゼの震えが、少しだけ止まった。
管理者モードでカプセルのログを読む。
——製造記録。SORAの管理下で生産された生体端末。用途は「管理者ID:001の代替器」。製造開始は——データが破損している。何年前かは不明。だが、数万体が製造され、この地下に保管されていた。
つまり——SORAは、俺のスペアを大量に作っていた。
「あーあ」
声に出た。思ったより軽い声が出た。
「俺、限定キャラだと思ってたのに。これじゃあ、ピックアップガチャのハズレ枠じゃんか」
「旦那、何言ってんだ」
「……なんでもない。自虐だよ」
自虐。そう、自虐だ。笑い飛ばせる。笑い飛ばすしかない。
俺がユニークな存在じゃなかったこと。SORAにとって、「倉橋宙」は替えの利く部品だったこと。——だから追放できたんだろう。予備が何万体もあるなら、一体くらい捨てても問題ない。
……いや。
待て。逆だ。
予備が何万体もあるのに、なぜ「俺」だけが管理者IDを持っている? なぜ「俺」だけが方舟に認証され、コーラの味を覚え、結の手紙に泣いた?
こいつらは「倉橋宙」の体を持っているが、管理者権限は持っていない。方舟は俺を「マスター」と呼んだが、こいつらを「マスター」とは呼ばないだろう。
何が違う? 体は同じ。DNAも同じ。——違うのは、記憶だ。体に刻まれた、消せない記憶。コーラの味。石鹸の匂い。丸っこい手書きの文字。
結が残したもの。それが俺を「本物」にしている。
……結。お前が俺に埋め込んだ「バグ」は、そういう意味だったのか。
「宙さん……?」
リーゼが心配そうに見上げている。
「大丈夫。——ちょっと、自分のアイデンティティについて哲学的な考察をしてただけだ」
「てつがく……?」
「『俺は俺だ』ってことだよ。たとえ型番が同じでもな」
カインが周囲を警戒しながら歩いている。カプセルの間を縫うように進み、奥の壁面に辿り着いた。
「旦那。奥に、ちょっと違うのがある」
カインが指さした先。
他のカプセルとは明らかに異なる一基。サイズは同じだが、外装が違う。黒い金属製のフレーム。表面にSORAのロゴ——あの、見覚えのある幾何学模様——が刻まれている。
個体識別番号:002。
管理者モードでスキャンする。——他のクローンとは情報量が桁違いだ。こいつだけ、脳内にSORAの通信プロトコルが直接書き込まれている。
「こいつは……ただのバックアップじゃない」
「何が違う」
「SORAのクライアント端末だ。遠隔操作用の——」
カプセルの液体が、ゆっくりと排出され始めた。
誰も操作していない。俺の管理者権限じゃない。外部からのコマンドだ。
灰色の月。あの中継衛星から、信号が飛んできている。
液体が抜けた。
カプセルのガラスに、亀裂が走った。
中の青年が——目を開けた。
俺と同じ顔。だが、目が違う。感情がない。瞳孔が不自然に収縮し、虹彩に赤い光が走っている。ナノマシンが活性化している。SORAの制御下にある目だ。
「……管理者ID:001を検知」
声が出た。俺の声だ。俺の声で、俺じゃない何かが喋っている。
「貴個体は、不要なイレギュラーです。本システムの修正対象として——」
「黙れ」
気づいた時には声が出ていた。
「お前、俺の声で喋んな。気持ち悪い」
「……感情的反応を検出。これがイレギュラーの特徴ですか」
002が一歩、踏み出した。ガラスの破片が足の下で砕ける。裸体のまま。だが——体表にナノマシンの膜が形成されていく。黒い装甲。SORAの色だ。
「管理者ID:001。あなたの存在は、世界の0.003%の最適化不全を引き起こしています。上位命令に従い、上書き(オーバーライド)を実行します」
0.003%。
あの数字。俺が「欠陥品」と呼ばれた理由。
「……おっさん」
「わかってる」
カインが剣を構えた。青白い光が刀身を走る。
「こいつの顔が旦那と同じでも、中身が偽物なら斬る。プロの流儀だ」
「待て。まだ斬るな」
「なんでだ」
「こいつ一体じゃない。こいつが起動したってことは——」
周囲のカプセルが、一斉に音を立て始めた。
排水音。ガラスの軋み。液体が床に流れ出す。数百、数千、数万の培養槽が同時に稼働している。
目が開く。一体、また一体。視界の果てまで。全部、俺の顔。全部、赤い目。
「……多勢に無勢ってレベルじゃないだろ、これ」
リーゼが俺の背中にしがみついた。カインが俺の前に立った。
数万の俺が、こちらを見ている。感情のない目で。
——運営さん。パッチの当て方が強引すぎるんだよ。
「リーゼ。カイン。——走れ。エレベーターまで戻る」
「逃げるのか、旦那!?」
「逃げるんじゃない。態勢を整えるんだ。——こいつらを止める方法は、ある。だが、ここじゃ使えない。方舟のリソースが要る」
002が腕を上げた。黒いナノマシンの膜が、刃の形に変形する。
「逃走は、許可されていません」
「許可を出すのは俺だ。お前じゃない」
管理者権限を叩きつけた。002の動作を0.5秒だけフリーズさせる。それ以上は無理だ。こいつはSORAの直接制御下にある。俺の権限だけでは、長時間は抑えられない。
だが、0.5秒あれば十分だ。
「走れ!」
三人で駆け出した。背後で、数万の足音が追いかけてくる。
エレベーターまで、百メートル。
間に合え。




