第10話「世界を、再起動(リブート)する」
玉座の間は、金と白で統一された広大な空間だった。
高い天井。ステンドグラスから差し込む光。壁面を埋め尽くす紋章と、その合間に走るナノマシンの信号ライン。この宮殿全体が、一つの巨大な魔法装置——いや、演算装置だ。
管理者モードでスキャンする。壁、床、天井、柱——全てにナノマシン回路が走っている。宮殿そのものが一つのコンピュータとして機能している。処理能力は方舟には及ばないが、地上の施設としては最大級だ。
玉座に座る男。白い髭。冷たい目。王冠の宝石が脈打つように明滅している。あの宝石もナノマシン製だ。——いや、あの宝石だけ、他の装備と毛色が違う。プロトコルが古い。ずっと古い。
気になるが、今は後回しだ。
玉座の手前に、騎士が三十人。全員が光る鎧を纏い、光る剣を構えている。村の徴兵隊の比じゃない出力。王都の精鋭——親衛隊だろう。
だが——管理者モードで見れば、全て同じ系統のナノマシンだ。
「……ほう。本当に来おったか」
王が口を開いた。低い声。威厳はある。この男は長い間、この玉座に座り続けてきた。「神の力」を独占し、民を治め、逆らう者を潰してきた。その自負が、声に滲んでいる。
「神の雷を止め、空飛ぶ船で乗り込んでくるとは。古の管理者の復活か、あるいは——ただの大馬鹿者か」
「大馬鹿者の方で合ってる」
王の目が細まった。
「……余は知っておるぞ。伝説に曰く、いつの日か『管理者』が戻り、世界を再び支配すると。だが——」
王が立ち上がった。王冠の宝石が明滅する。
「余こそが、この世界の正統な支配者だ。神の力を受け継ぎ、民を導き、秩序を保ってきたのは、この血統だ。貴様のような……どこの馬の骨とも知れぬ男に、余の王都を渡すわけにはいかぬ」
「秩序、ね。それ、お前の家の中だけの話だろ。外では民が飢えて、魔法使いが徴兵されて、歯向かった村が焼かれてる。お前の言う『秩序』は、お前にとっての秩序だ。民にとっての秩序じゃない」
「黙れ! 下賤の者が、王に意見するな!」
「下賤かどうかは知らんが、管理者権限はお前より上だ。——名を名乗れと言ったのはそっちだぞ。名乗るよ。倉橋宙。肩書きは——管理者。お前たちの言葉で言うなら、『伝説の存在』ってやつだ」
「……証明してみせよ。伝説が真実であると」
「証明?」
「余の目の前で、神の力を示せ。それができぬなら、貴様はただの詐欺師だ」
——証明しろ、と。
「カイン」
「ん?」
「おっさんの剣、抜いてみろ」
カインが剣を抜いた。キィン、と高周波が響く。青白い光が刃を走る。騎士たちが一歩後ずさった。あの光が何を意味するか、武人なら本能でわかる。
「その剣、昨日まで電池切れの鉄の棒だった。俺が充電した。——これが管理者の力だ。満足か?」
王の顔が歪んだ。満足してない。怒りと恐怖が混ざっている。
「……させぬ」
王が両手を広げた。王冠の宝石が激しく明滅する。玉座の間全体に、赤い光が走り始めた。壁面のナノマシン回路が、一斉に起動している。天井から、床から、柱から、光が収束していく。
「我が禁忌の術——『天命執行』! この宮殿に蓄えし神の力の全てを以て、貴様を消し去る!」
赤い光が収束する。全方向から殺意が迫ってくる。王が「神」から託されたと信じている最強の魔法。
リーゼが俺の袖を掴んだ。カインが剣を構えた。騎士たちが後ずさる——自分たちの王の魔法に怯えている。味方なのに。
管理者モードで解析する。
——読めた。
なんだこれ。
コードが滅茶苦茶だ。冗長な処理が山ほど走ってる。例外処理がない。メモリリークだらけ。宮殿全体のナノマシンを暴走させて対象を焼き尽くすだけの——力任せのクソコード。
「……お前さ」
赤い光が頂点に達する。空気が熱を帯びる。リーゼが息を呑む。カインが歯を食いしばる。
「そのコード、書いたやつのセンス最悪だな。変数名が全部『a』と『b』ってなんだよ。関数の分割もしてない。コメントもゼロ。保守性ゼロ。お前が必死に練り上げた『至高の魔法』は、俺から見れば幼稚園児の落書き以下だ」
「何を——」
「管理者権限。対象:宮殿内全ナノマシン。実行中プロセス——全削除」
削除コマンドを投げた。——通らない。
宮殿のネットワークが、管理者権限を拒否している。なぜだ。
解析する。王冠の宝石。あれだけが、他と違うプロトコルで動いている。旧い。すごく旧い。俺の権限より——古い層のコードだ。
一瞬、指先が震えた。この世界に、俺の権限が即座に通らないものがある。初めてだ。
だが——古いということは、脆いということだ。
「上書きする。新しいパッチで」
指を鳴らした。
赤い光が——消えた。
天井の光。壁の光。床の光。全て、一瞬で。
残ったのは、静寂と、ステンドグラスから差し込む自然光だけ。
「……な……」
王の顔から、血の気が引いていた。
「消えた……我が術が……全て……」
「消したんだよ。ゴミコードは保守する価値がないから、丸ごと削除した」
騎士たちの鎧も光を失っている。武器も沈黙している。宮殿を満たしていたナノマシンの駆動音が、完全に止まった。
三十人の精鋭騎士が、ただの鎧を着た人間に戻った。剣を構えたまま、動けずにいる。王の魔法が消えたのだ。自分たちの力の源が。
王が、膝をついた。
「……化け物め……」
俺は王の前に歩み寄った。
「化け物でも管理者でも好きに呼べ。だが一つだけ伝えとく」
膝をつき、王の目線に合わせた。老人の目だ。恐怖で濁っている。
「愛とか絆を、計算式に組み込もうとしたやつの末路がお前だ。力で支配して、数字で管理して、結果がこのザマ。——まあ、そういう計算は俺も苦手なんだけどな」
王が何か言おうとした。だが、言葉にならなかった。
立ち上がる。
「方舟。王都の管理者通知システムを開放。全住民に以下のメッセージを送信しろ」
『了解しました、マスター』
コンソールを使わず、管理者権限で直接入力する。脳内チップから、王都のナノマシンネットワークへ。
『【告知】
本日を以て、王都における「魔法」の独占管理を終了します。
全住民に、等しくシステムへのアクセス権を開放します。
使い方は——自分で考えてください。
管理者:倉橋宙』
「……自分で考えろ、って」
カインが後ろで苦笑した。
「不親切だな、旦那」
「マニュアルは後で書く。たぶん」
「『たぶん』って言ってる時点で書かねえだろ」
「……否定はしない」
リーゼが泣き笑いの顔で俺を見ていた。
「宙さん……すごいよ。本当に、すごい……!」
「すごくない。バグを直しただけだ」
バグを直しただけ。——でも、この世界のバグは、まだ山ほどある。灰色の月。SORAの中継衛星。結のメッセージ。俺の記憶。全部、まだ答えが出ていない。
窓の外から、歓声が聞こえた。かすかに。王都の街中から。何が起きたかわからないまま——でも、何かが変わったことだけは、全員が感じている。
王都の窓から、空を見上げた。昼の空に、二つの月がうっすら浮かんでいる。
あの灰色の月に、全ての答えが——。
その時。
脳内チップに、直接、信号が飛び込んできた。
方舟経由じゃない。灰色の月経由でもない。もっと遠い——はるか遠い座標からの、暗号化された通信。
声が聞こえた。
あの世界の声。冷たくて、正確で、そして——震えている声。
『——宙。聞こえる? ミレイよ。……お願い、聞こえて』
ミレイ。
胸の奥が、締めつけられた。「また会えるだろ」——あの日、なぜか口をついて出た言葉が、喉の奥で熱を持った。
白い軍服の女。「馬鹿ね」と笑った、あの声。
『あなたの生存は確認した。座標も特定した。……嬉しいわ。本当に。——でも、今はそれどころじゃない』
声が、切迫していた。
『宙、聞いて。あなたが管理者権限で介入したことで、SORAが反応した。今まで眠っていた上位プロトコルが——起動したの。SORAの「本気」が来る』
SORAの本気。
『お願い、逃げて。あなたが直した世界も、あなたの周りにいる人たちも——SORAは全部「初期化」する気よ。世界ごとリセットする気だわ。……お願い、宙。逃げて——』
通信が途切れた。
ノイズだけが残った。
俺は、玉座の間に立ち尽くしていた。
王都を解放した。管理権限を奪った。勝った——はずだった。
なのに。
SORAの本気。世界ごとの初期化。リセット。
「……上等だ」
拳を握った。
リーゼがいる。カインがいる。方舟がある。そして——結のメッセージがある。「間に合って」と。
間に合わせる。絶対に。
「リーゼ。カイン。——ちょっと予定が変わった」
「何があったの、宙さん?」
「……世界の運営が、サービス終了を決めたらしい」
カインの目が鋭くなった。
「……で?」
「で——俺たちは、抗議文を叩きつけに行く。運営本部に直接」
空を見上げた。灰色の月が、静かに光っている。
——その月面に、一瞬だけ、青いノイズが走った。まるで巨大なスクリーンに『Loading...』の文字が浮かんだように。
始まっている。世界のリセットが。
「さあ。ログインし直そうぜ。——今度は俺たちが『運営』側だ」




