天恩(ゴッドブレス) ー1
【1】
貧民街の中でも、廃墟になった一帯に、大勢の男たちが居た。〈第弐位階〉の死骸の影響で、ここに来るものはほとんどいない。
ハイモという傭兵団長と、ソフィア、ヘス神父が打ち合わせを行っている。ソフィアは白い仮面を被って受け答えをしている。エアハルトを殺したのがソフィアであるという事実は伏せられなければならないからだ。
「ここで一度、離散し、皆で北側へ向かう。そして、大聖堂を襲撃すると」
ソフィアは仮面の下顔を強張らせ、頷く。
「ま、戦いが始まれば、どうにかなるさ。ダーヴィットも居るしな」ハイモが自身の剥げた頭を叩く。
「やるしかないんだ」ヘス神父が、祈りを捧げ、静かにため息をつく。
風を自在に操るエアハルトに対し、矢による攻撃は無意味だ。それに風によって近づくことさえできない。
「鉄製武具を使用すれば、彼の館に居る鉄妖の影響を受けることになる……そこで、だ」
ハイモは、持ってきた武器を取り出す。木と石で出来た斧と、木と革で作られた鎧だ。鎧は、蝋で固められ、柔軟性と頑丈さを兼ね備えている。
ソフィアの身につけたものは、特注のもので、白の装飾が美しい。
「天使様に、石器で挑めと」ティモは、大きな石斧を持ち、獰猛に微笑む。ダーヴィットも石斧を持ち、重さを確認する。
「頼まれていた矢はこれしかない」ヘス神父は、ソフィアに数本の矢を渡してくる。黒曜石の矢じりが付いた矢。
ソフィアは、矢の重さや重心を確認する。普段使っている矢は、矢じりが鉄製なので、その使用感の誤差を確認する必要があった。だが、素材は違うが、様々な工夫で、普段使いしている物と同じようになっていた。
「ありがとう」ソフィアはそれを受け取る。黒曜石の刃が、黒く輝く。この特注の矢がエアハルトを殺すための、唯一の方法だった。
実際の使用感を確認するべく、何度か試射する。廃墟の中に設けられた的に向け、何度も矢を放ち、最終調整を行う。
「鉄製の矢じりの付いた矢は、奴の気を引くために使う」ソフィアは言い、矢筒に矢を入れる。
「出たとこ勝負だな」ダーヴィットがため息をつく。
「成功させれば良いだけ」ソフィアは拳を突き出し、ダーヴィットもそれに合わせる。
「そうだな。成功すれば、自由の身だ」
「そう……だね」
戦いに勝ったとしても、ダーヴィットは国境沿いに行く。長年の宿敵であるゼーフェリンク家との激戦で命を落とすかもしれない。ソフィアは王妃として、国を建て直さなければならない。分家との関係上、リュディガー王太子との婚姻を解消する訳にはいかないし、潔白な関係性も必要だ。
離れ離れになる―それを二人は理解していた。
ふと、ダーヴィットはソフィアを静かに抱擁する。数秒間、2人は無言でお互いの体温を感じていた。
「また、会えるさ」ダーヴィットはそう言い、腕を離す。ソフィアは名残惜しそうに、ダーヴィットを見つめた。
「行くぞ。時間だ」ハイモ傭兵団長が言う。
傭兵を先陣にし、大聖堂へと進んでいく。月が雲で隠れ、闇が道路を包んだ瞬間、傭兵たちが闇から躍り出る。ソフィアの記憶通りの場所に衛兵が居た。
手慣れた様子で、傭兵が衛兵を殺していく。数秒で衛兵は死体となり、ソフィア達はそれを乗り越え、進んでいく。
「後はあんたらの仕事だ」傭兵の一人が言う。
「分かった。警備は任せるぞ」ダーヴィットの声に、傭兵が頷く。
ダーヴィットが石斧を抜き、大聖堂の扉を静かに開ける。しかし、中は闇。
「いない……?」
ダーヴィットは先陣を切り、教会堂へと向かう。
「おそらく、奴はここに居る」そう言い、扉へ向かう。すると、オレンジの光が見えた。人の気配がする。
音をたてぬよう、扉を開け、中を見る。
「一人だ。祈り……を捧げている、のか?」ティモが言う。
入るぞ、とダーヴィットが言い、ソフィアが扉を固定する。素早く、六人が部屋に入っていく。
椅子の陰に隠れ、進む。エアハルトは奥に居るようだった。
中心にたどり着いた時だった。僅かに蝋燭の炎が揺れた。そして、扉が軋む音がする。まるで強く押さえつけたかのよう。
「来ると思ったよ、ソフィア」低く、良く通る朗らかな声。聴く人を安心させる緩やかな口調。
エアハルトは、振り返り、机に向けて話す。
「君たちをここに呼んだのは、僕自身さ」
ダーヴィットと、ソフィアは目を合わせ、歯噛みする。はめられたのだ。ダーヴィットは勢いよく立ち上がり、エアハルトに向け、手を構える。
「やめた方が良い」
エアハルトは、ダーヴィットが炎を作ろうとするのを見抜いたかのように微笑む。そして、指で自分の鎧から紐のような物を取り出し、
「この鎧には、火薬が仕掛けられていてね。その導火線は、大聖堂から街に繋がっている。僕を焼き尽くせば、この街は火の海に包まれる」
エアハルトは、ダーヴィットを見つめ、
「そうかそうか……異能者が市民運動に参加しているとは思っていたが、まさか君だったとは」
「クソが」ティモが歯噛みし、矢を射る。エアハルトは表情一つ変えずに、風でその方向を変えてしまう。
「神の加護だ……」ティモが掠れた声を出す。
ソフィアが取っ手に手を掛けるも、全く動かない。磁力で押さえつけているのだ。
こちら側に、炎使いがいると想定した動きを取ってくるとは思っていたが、まさかここまでとは。ソフィアは歯噛みする。弓も剣も届かない相手に、ダーヴィットの炎も使えない。本当に勝てるのか?
全身から冷たい汗が流れ、鼓動が速くなっていく。
ソフィアが取っ手に手を掛けるも、全く動かない。磁力で押さえつけているのだ。
【2】
ダーヴィットは振り返り、エアハルトを見た。かつて戦地で雪を見たことがある。ふわりふわりと、白く清らかな塊が空から舞い降りてくる。エアハルトを見て、ふとそれを思い出していた。
―地上に降りてきた天使
全員が呆気にとられる。エアハルトが手を前に構える。その所作の美しさを見つめていた。
「おい!」ダーヴィットが我に返り、ティモを蹴り、ソフィアを押し倒す。
エアハルトの背後から、円状の金属が現れる。それは、中心に大きな穴が開き、見ようによっては、天使の輪のように見えた。
円月輪―ダーヴィットは、エアハルトの操る武器を見て、震える。それが皆の居た場所に飛び込んでくる。しかし、急に軌道を変え、天井高く飛翔。そして、急旋回し、一人の傭兵の元へ。
円月輪が、傭兵の首を撫でる―急旋回し、戻ってくる。傭兵の頭が落ちるより速く、二人目に円月輪が飛び込んでくる。
ダーヴィットは円月輪に炎を打ち込み、速度を殺す―そのまま斧で叩き落とす。
「やるじゃないか」そう言いつつ、エアハルトの頭上で、二つ目の円月輪が回転し、光を放っている。
ダーヴィットは立ち上がり、睨みつけ、
「騎士団を呼ぶのか?」
「まさか」エアハルトは鼻で笑う。神父の時には見せない軽薄な口調。
「これからが、お楽しみだというのに」そう言い、エアハルトは剣を抜く。
ソフィアの脳裏に妙なものが浮かぶ。それは生家での記憶。犬と戯れていた自分とその兄弟たち。しかし、それがなぜ浮かんだのか分からない。
思考を断ち切り、ソフィアは弓を構え、四発の矢を連射。矢は、蝋燭の炎を打ち消し、大聖堂の闇が濃くなる。
少しでも動揺してくれ、とソフィアは祈る。エアハルト、貴方は闇が怖いはずだ―
ソフィアは、そのまま5発目を放つ。矢はエアハルトの眉間に吸い込まれていく―白い翼がはためき、微風が生まれる。矢は、意志を持ったかのように軌道を変え、教会堂の壁に突き刺さった。
余波がソフィアを襲う。空気の塊が身体を圧迫し、身体が浮かび上がりそうになる。ごうごう、と耳元で風が叫ぶ。眼が開けられず、思わず顔を下げる。暴風雨にでも突っ込んだようだった。
凄まじい力だ。しかし、それを生み出した本人は、まるで微風の中にいるかのように、純白の羽根をはばたかせ、微笑んでいる。
エアハルトは朗らかに微笑み、「ここを出たければ、僕を殺せ」
翼が羽ばたき、エアハルトが大きく飛翔。一瞬でダーヴィットの間合いへ。
ダーヴィットは戦斧をエアハルトに向け、振り上げる。しかし、脚が動かない。強烈な風によって、その動きは完全に食い止められていた。
エアハルトの細く鋭い剣が、ダーヴィットに迫る。強引に身体を捻るも、胸が抉り取られる。思わず苦悶の声をあげるダーヴィットを見て、エアハルトは微笑む。心底楽しい、といった表情。
「避けなければ、楽に慣れたのに」
エアハルトに向け、ソフィアは矢を連射。その隙にダーヴィットが後方へ。矢は風によって、全てが風で弾かれ、その内の数本がエアハルト側の磁力と風によって、自分へと戻ってくる。
エアハルトは、矢に付いている羽根に風を当て、矢の回転に影響を与えることで、その進行方向を大きく変えているのだ(もちろん、矢じりに磁力を当てているのもあるが)。まるで矢が意志を持っているかのような、その技は、まさに神の御業だ。
同時にエアハルトが円月輪を放つ。それがソフィアに飛んでくる。
円月輪は、身体を逸らすことギリギリ避けられる軌道だ―しかし、身体が耐えきれず、倒れこむ。咄嗟に斧で叩き斬ろうとするが、直前で軌道が変わる。
円月輪が脇腹をかすめ、鎧がざっくりと切り裂かれる。痛みに悶える暇もなく、肩と腕に矢が突き刺さる。
焼けるような激痛に、呼吸が止まり、視界が暗くなる。ソフィアは地面に膝をつき、倒れこむ。呻き声を上げることすらできない。周囲を見ると、傭兵が2人、首を落とされ、死んでいた。
ダーヴィットは倒れ込み、傷を布で圧迫していた。ティモも肩に刺さった矢を苦しげに抜き、苦悶の声をあげる。
これが〈天恩〉と呼ばれるエアハルトの実力―
ソフィアは、我に返り、腹部に触れる。温かく湿っていた。痛みを押し殺すように歯噛み―奥歯が軋む。
エアハルトは無表情で円月輪を弄んでいる。もう遊びは飽きた、とでもいう様に。戦い始めてから数分も経っていなかった。
エアハルトが円月輪を使えば、我々は5分と持たずに全滅する。だが、まだ終わりにするわけにはいかない。ソフィアは歯噛みし、頭を高速回転させる。
ソフィアは腹部を布で縛り、圧迫―そして、大きく息を吸い込む。
「もうおしまいにするの?」ソフィアは、鼻で笑いながら言う。そして、ゆっくりと立ち上がる。
ソフィアの周りで気流が生まれ、髪の毛がふわりと舞う。エアハルトが命を弄んでいるのだ。すぐにも殺せるぞ、という意思表示。
「どういう意味だ」エアハルトは僅かに困惑した表情を見せる。しかし、そこに僅かに期待の表情が浮かぶ。ガラスのような、感情のない瞳に、怪しげな光が灯る。
ソフィアは先ほどの記憶の痕跡を、今初めて理解する。
「私は幼いころ、たくさんの悪戯をした」
エアハルトは、ソフィアに釘付けになる。
「好きだった悪戯は、犬に大きな枝をあげるやつ。犬は枝を咥えたまま柵の間を通ろうとして引っかかるの。私と兄はそれを見て、大笑いする」
「何を……言うかと、思えば……」エアハルトの片手が、ぎゅっと握り締められる。その色素の薄い瞳が細かく揺れる。長いまつげが痙攣する。
「そう言えば……私たちを遠くから見ている男の子がいたっけ……仲間に入れてほしそうな目で、いつも私たちを見ていた。あの子は貴族の箱入り息子だった」
ソフィアは思い出す。少年のシャツを握りしめた指を。もしかすると、エアハルトも、ソフィアの知る少年と同じような幼少期を過ごしたのではないか、ふとそう思ったのだ。
ソフィアは仮面を外し、鎧に括り付け、エアハルトに対し、唇だけを動かす。
なかまにいれてあげようか?
エアハルトの顔が歪む。頬が紅潮し、瞳が揺れる。
「お前の言葉は人を惑わせる……魔女……いや、お前は、大悪女だ!……ソフィア・アイメルト!」
エアハルトは、円月輪を投げ捨てる。そして、剣を両手で構える。
「違うでしょ?」ソフィアは言い放つ。気流の流れに、僅かな崩れを感じる。エアハルトは確実に動揺していた。
とりあえず、延長戦には持ち込めた―
ソフィアは呼吸を整え、特注の矢を構える。しかし、ダーヴィットとティモの視線を感じ、咄嗟に下ろす。まだ早い―二人が、そう言っているのがすぐに分かった。
ソフィアは歯噛みする。このまま機会を待っていたら全員が死んでしまう。しかし、二人は譲らない。
ティモが唇だけ動かす。
俺達を信じろ―
ソフィアは矢を変え、二人を見る。それを見て、二人は微笑み、斧を構えた。




