氷華(ファフロスト) ―3
【1】
市民運動に参加している従騎士であるティモは、横に居る女性を見る。
氷華伯のマナーハウスのすぐそば、茂みの中で、ティモとソフィアともう2人の男たちが待機している。
泥で顔を汚しているっていうのに、スゲェ美人だ―
ティモは、一瞬だけ任務の事を忘れてしまう。今も、ダーヴィットがマナーハウスの中で戦っている、というのに。
ソフィアが暗闇で、ティモを睨む。アイスブルーの冷たい瞳が、暗闇で怪しく光る。それは、見続ければ凍り付いてしまいそうな澄んだ碧。だが、それは青白い炎も連想させた。
リュディガー王太子の不甲斐なさを知っているだけに、王太子妃がこんな人だとは思わなかった。潜入をする為には、顔に泥を塗り、一週間は香水を使わないように頼んであった。それも大して気にしていないようだった。
『何よりも、この暗殺を成功させたい。最後の手段として、私の部屋にダーヴィットを隠すことを考えるなら、私が居た方が良い』
男たちの前で、そう言い、彼女はここにいる。衛兵の死骸が転がっているというのに顔色一つ変えない。
体力も腕力もないが、潜入技術はセンスはある。ソフィアは、息を殺し、周囲の状況を感じ取る技術に優れていた。
「剣戟の音、変わってない?」ソフィアが囁くように言う。
「確かに」従騎士の一人が言う。
「乗り込んだ方が良い」ソフィアは静かに腰を浮かせる。
「駄目だ。まだ分からない」ティモが否定する。
「ティモ、あなたも聞いていたはず。細かい剣戟の音が一切しなくなったという事は、ダーヴィットの防戦が崩されたってこと。今、行くしかない」
ティモは、そばかすの浮いた顔をしかめ、
「お前たちは周辺を警戒していろ!」2人の仲間に言い聞かせ、
「……行くぞ!」
ソフィアとティモは立ち上がり、マナーハウスへ向かった。
ソフィアがマナーハウスに入ると、まず目に入ったのは、大量の草木。
「これは……」
蝋燭で照らすと、その葉が白く染まっていくのが見える。
「ソフィア!」
ティモの声に、ソフィアは我に返る。気が付くと、足元が凍り付いている。
咄嗟に蝋燭を当て、溶かす。
「霜害のようだが……これが氷を生み出しているのか?」 ティモが葉に蝋燭を当て、言う。
「だとしたら……」ソフィアは、持っていた矢と油紙を見つめる。何かに使えるかも、と思っていた火矢が役立つかもしれない。
「ティモ、部屋に入ったら、まず氷華伯に接近して、ダーヴィットを助けて。私は草木を火矢で焼き尽くす」
「分かった。やり過ぎるなよ」
そう言い、2人は部屋を進んだ。
【2】
ダーヴィットは、夢を見ていた。
死にゆく父を見つめ、テントの奥で泣いている自分を見つめる夢。血にまみれた吐瀉物の中で、父がダーヴィットに助けを求める。
父は、正しくない行いをしてきた。だから、死んで当然だ。子供心に、ダーヴィットはそう思い、父が死ぬのを見つめていた。
正しくない行いをすれば、死ぬのだ―
ダーヴィットは我に返る。急激に視界が開け、現実世界に引き戻される。
ダーヴィットは、氷華伯の居るマナーハウスに居た。そして、酒樽から、鋭い刃が飛んでくる。
―死ぬ
ダーヴィットが確信した瞬間、何かが、暗闇から飛び出してくる。そして、ダーヴィットを突き飛ばす。
気が付くとダーヴィットは物陰に隠れていた。
「なん……だ?」
ダーヴィットが顔を上げると、ソフィアが倒れこんでいた。金属の防具に鋭い切込みが入っている。
鋭い金属音がしたと思うと、ティモが氷華伯と斬り合っている。空気の流れから、彼らが壁を破壊し、強引に入り込んできたと分かった。
「なぜ……お前が」
ソフィアは腹を押え、「発動して……高火力で〈祝福〉を」ソフィアが呟く。
ダーヴィットは目を見開き、ソフィアを見つめる。正気とは思えなかった。
「無理だ……やれば正体がばれる」
口ではそう言いながらも、本当は〈祝福〉を使うのが怖かった。人をこの力で殺すのが。
ソフィアは、ダーヴィットを睨み、「火薬を撒いてきた……バレっこない」
捕まる危険を冒してまで、ソフィアは氷華伯に挑んだのだ。ダーヴィットは息を飲む。初めて、ソフィアの覚悟を知った。
「国を救うんでしょ」
ダーヴィットは息を飲む。この力を人に使うのは怖い。だが、仲間が次々と殺され、無実の人が死んで行く。それを止められるのは俺しかいない。
それが正しい行いのはずだ―
「あなたなら、力を使いこなせる」ソフィアは言い、ダーヴィットの指を抑える。不思議と震えが止まる。
ソフィアは、咄嗟に背中ら矢を取り、周囲の草木に放つ。突き刺さった矢から火が吹き出し、草木が燃えていく。
「私が奴の気を引く……その間に―」
「分かった。待ってろ」ダーヴィットは頷き、氷華伯とティモの間に割り込む。
「あ……兄貴」
「この男は俺が倒す」
よろよろと歩き出し、氷華伯に相対する。
「こそこそ隠れるのを辞めたか」氷華伯は剣を構え、微笑む。
俺は、立ちはだかる全てを焼き尽くす業火―
「ああ……これで終わらせる」呼吸を整える。〈祝福〉を開放―蒼い炎が老騎士の周囲で炸裂。
老騎士の瞳に、初めて驚愕の感情が浮かぶ。その瞬間、ダーヴィットは、懐に短剣を突き立てる。咄嗟に剣で弾かれるが、氷華伯は大きく体勢を崩してしまう。
ダーヴィットは、打ち払われた短剣を磁力で引き戻す。そのまま、力任せに短剣を胴へと叩き込む。
短剣が何かに阻まれる―氷華伯は咄嗟に片手を盾にしていた。老騎士は苦悶の表情を浮かべている。ダーヴィットは咄嗟に短剣を薙ぎ、氷華伯の手首を切り裂く。
氷華伯は剣を振るう。間一髪でダーヴィットはそれを避け、後退。短剣を構えなおし、老騎士を見る。氷華伯は切り裂かれた腕を見て、目を見開き、震えていた。
血が滴り、床に赤い水溜まりが出来ていく。咄嗟の一撃だったが、おそらく動脈を切り裂いたはずだ。傷を凍らせようとするも、氷は溶けてしまう。
目も眩むような炎、むせるほどの熱。炎は家財を嚙み砕き、その勢いを増していく。
「お前……業火か。気でも触れたのか」
氷華伯が掠れた声で言う。その一瞬で冷静さを取り戻している。氷華伯が腕を振ると、酒樽から霧が舞う。空気は湿り、天井からは絶えず水滴が降り注ぐ。火の勢いは萎え、周囲は煙で包まれていく。
小さな炎を作り出しても一瞬で消されてしまう―ダーヴィットは感覚で分かった。しかし、〈祝福〉を最大火力で発動するのは最終手段だ。爆発を起こせば建物は倒壊し、皆が巻き込まれてしまう。
何か、他の手を考えるんだ。ダーヴィットは歯噛みする。瞬間的に、強力な爆発を生み出す何かがあれば―
しかし、浮かばない。聖なる力である〈祝福〉について、みだり使ったり、調べたりするのは禁じられている。それは本人であっても、だ。
ごく一部の聖職者のみが〈祝福〉について調べることを許される。ダーヴィットは彼らの指示に従い、言われたことをやるだけで、自身の〈祝福〉についての知識は非常に少なかった。
ダーヴィットが歯噛みした瞬間だった。ふと、鉄製の瓶が見える。そこには滴り落ちた水。脳裏で遠い記憶が蘇る―密閉された水を加熱した際、爆発が起きたのを思い出した。
ダーヴィットは最後の短剣を抜き、
「皆、逃げろ。俺一人で十分だ」
ソフィアとティモは、何かを察したのか、マナーハウスから撤退していく。
「舐められたものだな」
「来い……〈祝福〉がないと何もできない老いぼれが」
氷華伯は、唇を吊り上げる。血が抜け、僅かに青ざめた顔。
ダーヴィットは鉄妖に指示し、磁力を発動。転がっている盾で、瓶の口を塞ぐ。鉄妖自身にも盾の隙間を埋めるように指示する。これにより強力な密封状態を作る。その上で、そこだけに〈祝福〉を集中。炎が瓶を飲み込む。
氷華伯は布で腕を止血。その上で血の一部を凍らせる。そして、剣を振りかざしてきた。
ダーヴィットは、必死に氷華伯の剣を捌く。鋭い突きが頬を裂き、腕を削ぐ。奥歯を噛み締め、耐える。
頼むから、早く―
ついに短剣が弾き飛ばされ、壁に突き刺さる。ダーヴィットは素手で構えを取る。全身から血が流れ、ふらふらとしていたが、戦意はまだある。
「若造が……」氷華伯は、剣を振り上げる。その瞬間、瓶から白い湯気が出るのが見える。
「来い!」
磁力を発生させ、瓶を氷華伯の背後へ移動。全ての力を集め、加熱。同時に自分は磁力で退避。
「無駄なことを!」氷華伯が霧を雨にし、炎をかき消す。
終わった―ダーヴィットが思った瞬間、何かが弾けるような音と共に、刺すような熱が襲う。高周波で耳が鳴る。
我に返るも、天地がどちらか分からない。
生きているのか、俺は―
ダーヴィットが感じたのは、白い光。そして、口に広がる鉄臭い味。
耳鳴りがし、視界が揺れる。地面を腕で探り、漠然と四肢があることを確認する。
よろよろと立ち上がると、足元に男が倒れている。腹部と、腕の一部が大きく欠損した死体―氷華伯。
「ソフィア、ティモ!」叫ぶと、物陰からか弱い声が聞こえる。
「無事ですか、兄貴!」ティモは硫黄の匂いを残し、立ち上がる。
四肢が鉛のように重い。ティモがダーヴィットを抱え、脱出する。闇の中、たいまつの明かりが見える―騎士たちが集まってきたのだ。
閃光弾を投げ、咄嗟に闇へと逃げる。
仲間の従騎士が走って来て、
「ダーヴィットとティモ兄貴、マナーハウスから市街地までは騎士が展開し始め、警備が針の山です。どうします」
ダーヴィットは傷を圧迫しながら呻く。
「王宮から、マナーハウスまでは手薄になっているんじゃないの」ソフィアが早口に言う。
従騎士が頷く。
「潜入経路は確保済だ……しかし、危険すぎる」ダーヴィットが苦し気げに言う。
ソフィアは、市街地に続く道を見た。騎士たちが大声を叫びながら何かを探している。馬のいななく声が聞こえる。
「私の所へ行くしかない!」
ティモが頷き、ダーヴィットを見る。
「一か八か、お前の部屋に行ってみよう」ダーヴィットは歯噛みし、言った。
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