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氷華(ファフロスト) ―1

 ―数日後、とある民家。


 ダーヴィットは、会議に参加するソフィアの横顔を眺める。


 この数日間、ソフィアは、何人かの協力者の元を回ったようだ。特注の鎧を着て、王家内の協力者であることをアピールし、資金や人材を調達する為の神輿みこしとなっているのだという。協力者の前で前向きで力強い言葉―覚えさせられた文言―をハキハキと言う。それが役目だった。


 流石に辟易してきただろうか、とダーヴィットは思う。だが、重要なのはこれからだった。


 神輿としてなら、作戦に参加させるわけにはいかない。だからこそ、ここで神輿として運用するか、協力者になるかの試験を行うのだ。実を言えば、ダーヴィットを始め、誰もソフィアの事を信頼してはいなかった。情報収集と神輿だけやっていてもらうという訳だ。


 男を手玉に取る悪女、計算高く狡猾な売女、目的の為なら手段を選ばない冷徹……様々な悪名がダーヴィットの脳裏で蘇る。


 ダーヴィットの自身も風の噂で聞いたことがあった。ソフィアは、稽古場で、古株の騎士に気に入られるために特定の場所で練習をし続けたとか。女の武器を使ったのか、はたまた―


 だが、子供を救ったのも事実だ。とはいえ、それさえもパフォーマンスに見えてしまう。全ては、俺達を利用するための計算なのではないか、そんな思いが頭をよぎる。


 ダーヴィットは、神経を集中させる。空気の流れを読み、同時に人の呼吸も把握する―異能を操るうえで、取得した技術だ。これで相手が緊張しているのか、それともリラックスしているのか、興奮しているのか、それが分かる。


 お前の化けの皮を剥ぐ。ダーヴィットは、ソフィアに意識を集中する。


「そう言えば、王宮に差し出す、生贄の候補が決まった」ヘス神父が無表情で言い、ソフィアに紙を渡す。


 ダーヴィットは、眼を細め、ソフィアを見る。


 リストは、死罪となるはずの罪人の名前が羅列してあるのだが、一人だけ経歴が異なる者がいる。それは、ソフィアを執拗に虐めていた公妾の妹だ。盗みを働いたところを捕らえたのだ。


「情報提供者や殺さない方が良い者が居れば、言ってくれ」


 ヘス神父が何事もないように言う。これはソフィアに対するテストだった。これにパスしなければ、ソフィアは作戦に参加できない。


 公妾の妹が死罪を犯しているわけではない、と言うのは資料を見れば明白だ。だが、ここでソフィアがスルーすれば、公妾の妹は殺される。


 人は権力を与えられた時、その本性を露にする。それこそ、憎い者の生殺与奪となればなおさらだ。

ふとヘス神父の皮肉が脳裏で浮かぶ。


『遠国での話だ。兵を率い、戦を勝利に導いた少女が居たらしい。ソフィアは、彼女を上回る逸材になるかもしれんぞ』


 ダーヴィットは、自身の手を握り締める。この手に宿る、おぞましい力を正しく使える者ではないと、この国を率いることはできない。俺自身も、従う訳にはいかない。


 神輿のままでいるか、それとも協力者になるか―


 ダーヴィットは感じる―ソフィアの呼吸が乱れていく。彼女の動悸が速くなるのが手に取るようにわかる。


 殺してやりたい、と言う思いが、ダーヴィットにも伝わってきた。俺たちの利用するのか、それともどうするのか、二つに一つだ。


 ソフィアから溢れ出る憎悪―ダーヴィットは微かに圧倒される。黒い熱がソフィアの中で渦を巻き、燃えていた。心拍が上がり、殺してしまえ、と内心が言っているのが分かる。


 俺達を利用し、殺してしまえ―


「彼女は駄目」


 そう言い、ソフィアは、公妾の妹の資料を机に置く。その指が微かに震え、頬が赤くなっている。


 え、とダーヴィット言いそうになった。


「なぜ?」ヘス神父が尋ねる。


「彼女の罪は死罪ではない。それだけ」ソフィアの唇が震え、ヘス神父を睨んでいる。


「分かった」ヘスは言い、紙を握りつぶす。


 ティモが口笛を吹き、ダーヴィットを見て、唇を吊り上げる。掛け金は全部、兄貴に渡しますよ、と目で訴えていた。


 ダーヴィットは、ぼんやりとしていた。ふと、ソフィアの記憶が脳裏になだれ込んでくるような錯覚。


 猛暑の日も、冷たい雨の降る日も、稽古場で弓を引き続け、老騎士が「おや」と思うほどの腕前になる。それをたった一人、徐騎士や侍女に嘲笑され、騎士に下品な言葉を投げかけられても、指が腫れ、血が滲んでも、彼女はやめなかったのだろう。塩辛い汗に涙が混じり、寒さで鼻水が垂れ流れても続ける。


 俺もその味を知っているよ。王太子妃、いや、ソフィア・アイメルト。


 パフォーマンス? 馬鹿か俺は。彼女が生きる為には、それしかなかったのだ。息を殺し、誰からも助けられず、一人で生きてきた。そして、その屈辱を覚えていてさえ、公妾の妹を殺さなかった。


 信頼できない、ではなく、信頼したくなかったんだろ、と心の中で誰かが言う。ダーヴィットは、その通りだ、と無言で呟く。自分を助けてくれるかもしれない誰かが現れるはずないと、そう思い込みたかっただけだ。


 ふと、子供時代のダーヴィットに、ソフィアが手を差しだしている幻覚が見えた。そして―


「ヘス神父。ソフィアにも説明を頼む」 ダーヴィットは無意識に言っていた。


 ヘス神父は、何事もなかったように、


「出資者から連絡が来た。最初に暗殺する異能者が決まった」


 皆が緊張し、ヘス神父を見た。


「氷華伯を殺す。奴は王の右腕だし、王の不死化にも大きく関わっている可能性がある」


 有能な辺境伯を殺すのは無謀では、と声が挙がる。


 ヘス神父は首を振り、


「同時に敵も多い。情報なら、金さえ出せば手に入る。それに彼が王都にいることは極秘だからこそ、警備は手薄だ」


「彼は今どこに?」ソフィアが尋ねる。


「氷華伯は城の近くのマナーハウスに滞在している。護衛は3人」


「意外と護衛が少ないのですね」ソフィアは資料をめくりながら言う。


 ヘス神父が唇を吊り上げ、


「奴は就寝中、自身の寝室までの通路を氷で覆うそうだ。侵入者が居れば、凍り付いてしまう」


「では、立ち入ることができないではないですか」


「そこで、だ」ヘス神父はダーヴィットを見る。


「この任務をこなせるのはお前だけだ」


 ダーヴィットは腕を組み、頷いた。


「日時は?」


「騎士団の宴会が行われるだろう、その日にダーヴィットの影武者を他の騎士と居させる。それでアリバイを作る」


「影武者?」


 ヘス神父は、ダーヴィットの顔を指さし、


「似た背格好の男に、無精髭をたくわえさせ、汚れで輪郭を誤魔化せば、簡単に影武者を作り出せる。後は必要事項を覚え込ませれば数時間は騙しとおせるさ」


「決行まで一週間後か」ダーヴィットは、資料を読み込んでいる。


「氷の道を突破できるのがダーヴィットしか居ないのでは、犯人がすぐにばれてしまうと思いますが」ソフィアが言うと、


 神父はとある資料を取り出し、ソフィアに渡す。


「爆炎のゲルプ……」そこに載っていたのは、かつて王家に居た炎使いの男。


「先の大戦で死亡した炎使いだ。彼が〈祝福〉を使うと、卵が腐ったような匂いがしたと聞いている。つまり、そのような〈祝福〉を持つ者がもう一人いてもおかしくない」


「王家が関知していない〈祝福〉の使い手の存在を偽装するのですね」


「そうだ。氷華を殺害後、匂いを付ける。ただし、僅かに匂う程度だ」


 ヘス神父が金属製の箱を抱え、ダーヴィットの前に置く。


「用意できた鉄妖は、これくらいだ。闇ルートだと高いからな」


 ダーヴィットは箱から、鉄妖の操作機具オルガノンを取り出し、手に装着する。


 操作機具は手袋の形をしており、中指と薬指が太くなっている。この装置こそ、鉄妖に指示を出し、磁力を発動させる。中指と薬指の部分に、押釦(押しボタン)が付いており、これを押すことで指示を出すのだ。


 指示を出すと言っても、鉄妖は高次の指示を受け取れる訳ではない。鉄妖は自身の一部が付着した物や、特定の匂いを判別し、それに対して磁力を発生させるだけだ。なので、操作機具を介し、彼らの「快」「不快」を引き出す薬品を箱内に注入し、磁力を自在に発生させているという訳だ。


「決行は一週間後の深夜。マナーハウスの周囲に従騎士を配置する。殺害後、助けに行く。死ぬなよ」


 ダーヴィットは頷いた。

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