市民運動 ―2
ソフィアは窓から月を見つめていた。
王を暗殺するべく、宮廷内のスパイを利用し、情報収集を行っていた。それで分かったのは、現状では暗殺は難しいということだ。市民運動家に情報を流してみたが、反応は芳しくない。
不死の為の血液を摂取する前には、必ず毒味役がいるはずだ。警備は厳重で、暗器を持ち込んでの暗殺は、差し違える覚悟がないとできない。
差し違えて何になる―ソフィアは自嘲的に微笑む。
ソフィアは大きなため息をつく。病人のような、長く重いため息。そして、窓枠に指を掛ける。
もう終わりにしてしまおうか―力を込めると、ふと人の気配がした。振り返ると、そこには真っ黒な男が居た。ソフィアより背が高く、体格のある男だ。警備を潜り抜ける技術がある訓練された夜盗。
頭が真っ白になり、身体が動かない。恐怖で声も出ない。
男は短剣をソフィアに向け、人差し指をソフィアの唇に当てる。男は黒いマスクをかぶり、眼だけが見える穴から、こちらを見ていた。
「静かに」掠れた低い声。思ったよりも若い男のようだ。しかし、手慣れているようで、動作には隙が無い。
落ち着け―ソフィアは自身に言い聞かせる。呼吸を整えて、一つ一つ冷静に状況を洗い出すんだ。私をさらっても一文にもならないだろうし、財産もない。ソフィアが怪訝に思っていると、
「要件は一つ。お前の持っている情報を一つ、俺がこれから言う場所に置いてくることだ」
「どうして……従うと思うの」
ソフィアは息を吸い込み、助けを呼ぼうとする。
男は人差し指を振り、子供に言い含めるように、
「助けを呼ぶのは自由だ。だがな、あの貧民街の少年、ブブとか言ったか……その命を預かっていると、と言ったら?」
ソフィアは思わず、呻き声をあげてしまう。
「貧民の事なんて……死のうと生きようが関係ない!」
男は返事を聞かず、「ブブはこちらで預かっている。情報と交換だ。では、三日後。この地図の場所に来るんだ」
投げられた紙を受け取り、見ると、貧民街の地図。
男は窓から飛び降り、闇へと消えた。ロープと金具が夜風で揺れていた。鉄妖を用いた大胆で緻密な犯行だったという訳だ。
ブブの命がどうでも良い訳がない―ソフィアは無言で拳を握りしめる。
『おんなじ』ふと、脳裏にブブの声が蘇る。
2年前、路地裏で動けなくなっていたソフィアは、貧民街で最も弱い存在であった。
強者が弱者から搾取し、時に虐げる。それがこの世の全てだと、その時のソフィアは考えていた。弱者は利用され、虐げられ、死ぬだけだ。居場所などない。
目の前に現れたブブは、口から血が流れ、衣服も破れていた。一かけらのパンを必死に握る姿は、弱肉強食の社会の中で、最底辺であり、たった今、そのルールを再度、痛みと共に叩き込まれた事を表していた。
ソフィアは、ブブを見て考える―拘束されて売られるか、衣類をはぎ取られるか、それとも。
最悪の光景を思い浮かべたソフィアに向け、ブブはひとかけらのパンを差し出した。
『なんで……?』
純粋な疑問を口にしたソフィアに対し、ブブは自分の腹を押え、それからソフィアを指し、
『おんなじ』そう言って、ソフィアの口元にパンを運んだ。
弱者は利用され、虐げられ、死ぬだけだ。居場所などない。つまり、私は、生きていていい人間ではない。お前だって分かっているだろう―
嫌がるソフィアに、ブブは無理やりパンを食べさせる。食べないと死んでしまう、と言い聞かせる。
何と愚かなのだろう、何と浅はかだろう、そう思いながら、ソフィアは嗚咽し、パンを夢中で咀嚼していた。
私も生きていて良いのだ、と初めて実感できた。胸に広がる闇が、少しだけ晴れた気がした。
弱者を助けるというブブの考えは、愚かなのかもしれない。だが、それには何か大きな可能性が秘められている、とソフィアは信じていた。だからこそ、彼を失う訳にはいかなかった。
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