9. 反省会
魔王城、執務室――――。
ドサッと重い音を立てて、ゼノヴィアスは革張りのソファーに身を投げ出した。もはや立っている気力すらない。変身を解いた巨躯が、ソファーを軋ませる。
「はぁ……」
深い、深いため息が漏れた。戦場で千の敵を相手にしても疲れを知らなかった魔王が、一時間にも満たない配信で、魂まで削られたような疲労を感じていた。
「陛下、お疲れ様でした!」
リリスも変身を解き、サキュバスの姿に戻っていた。しかし、その顔は疲労とは正反対――満面の笑みで輝いている。
「なんと! 今日は一万五千ゴールドのスパチャがありましたよ!」
リリスは興奮のあまり、その場でくるりと回転した。黒い翼が嬉しそうに震える。
「一万五千!?」
ゼノヴィアスは僅かに身を起こした。
「はい! これで兵士たちに温かい食事を……それどころか新しい武具も……!」
リリスは夢見るように語り始めたが、ふと表情を曇らせた。
「ただ……」
「なんだ?」
「そのうち一万ゴールドが……勇者レオンから……なんですよねぇ……」
静寂。
執務室に、重い沈黙が落ちた。
「……はぁ!?」
次の瞬間、ゼノヴィアスは勢いよく立ち上がった。ソファーが後ろに滑る。
「勇者だと!? あのレオンが!? なぜ!?」
魔王の赤い瞳が、困惑と警戒心で揺れている。この世界で最も自分を憎み、倒そうとしている男。その宿敵から、なぜ一万ゴールドも?
「余を……いや、マオを罠にかけるつもりか?」
「分かりません」
リリスは肩をすくめた。
「でも、貰っちゃったらもう返さなくていいですからね。うっしっし」
悪戯っぽく笑いながら、帳簿に記入していく。その顔は、まさに悪魔の会計係だった。
「いや、しかし……」
「まぁ、一万がなかったとしても五千ゴールド。上出来ですよ、陛下」
ゼノヴィアスは複雑な表情で腕を組んだ。勇者の金で部下を養うなど、プライドが許さない。しかし、現実問題として金は一ゴールドですら貴重なのだ。
「……みんなに肉を配ってやれ」
深くため息をつきながらドサリとまたソファーに身を投げた。
「ヤッタァ!」
リリスは子供のように飛び跳ねた。
「明日の朝食は、ステーキにしましょう! いえ、シチューも! パンも白パンを!」
そう言いながら、小躍りしながら部屋を飛び出していった。その後ろ姿は、まるで初めてお小遣いをもらった子供のようである。
一人残されたゼノヴィアスは、深い眉間のしわを刻み、動かなくなった。
◇
しばらくして、リリスが執務室に戻ってくる。
複雑な紋様が刻まれた魔力水晶を抱え、その顔は真剣そのもののだった。
「では! 反省会です!」
リリスは水晶を宙に浮かべながら、まるで軍議でも始めるかのような口調で宣言した。
「今日の配信をリプレイして、改善点を徹底的に洗い出しましょう!」
魔力水晶が眩い光を放ち、空中に立体映像が浮かび上がる。そこには、今日の配信が、残酷なまでに鮮明に映し出されていた。
「いや、一万五千ゴールドも手に入れたんだから上出来だったんじゃないか?」
ゼノヴィアスは苦虫を噛み潰したような顔で首を振ったが、リリスは即座に、まるで教師が生徒の甘い考えを正すように首を横に振った。
「甘いですわ! 一万五千で満足してたらそこで試合終了ですよ! 二万、三万を得られるように上を目指し続ける、これが生き残る配信者と言うものです!」
リリスの瞳がギラリと野心的に輝く。
「そもそもこの金額の規模では魔王軍の復興は不可能です! 城の修繕、新兵の募集、魔法研究所の再建……やることは山ほどあるんですから!」
あまりの正論にゼノヴィアスは何も言い返せない。
大きく息をつくと、まるで処刑台を見るような目で、空中に浮かぶリプレイ映像を見つめた。
そこには――――。
銀髪を風になびかせ、目も眩むようなピンクのフリルドレスを翻しながら、ダンジョンを縦横無尽に突進していく美少女の姿があった。
自分だ。
あれが、自分。
あれが大陸最強の魔王ゼノヴィアスの変身した姿だとはだれも思うまい。
くぅぅぅ……。
見続けられず、ゼノヴィアスは視線をそらした。
「……なぁ」
ゼノヴィアスは弱り切った声で呻く。
「このドレス止めよう。動きにくいし……そもそもなぜピンクなんだ?」
「何言ってるんですか!」
リリスが目を輝かせながら即座に反論した。
「これが地味な戦闘服だったら、百ゴールドも行ってませんでしたよ! ピンクのフリフリドレスだからこそ、『ギャップ萌え』が生まれるんです!」
「ギャップ……萌え……?」
その言葉を口にするだけで、魂が削られるような気がした。
「そうです! 可愛い見た目で圧倒的に強い! これが最強の組み合わせなんです!」
リリスは宗教の伝道師のような熱量で語り続けた。
「目を引く衣装は配信者の基本! 軽く見てはダメです! 次回はもっとフリルを増やしましょう! リボンも三倍! あ、猫耳もいいかも……」
「……」
ゼノヴィアスは激しく首を振って黙り込んだ。これ以上議論しても、自分の精神が持たないと悟ったのだ。