7. 苦悩の魔王
(こんなのワンパンで終わらせたいんだが……)
マオは渋い顔で、頭上を飛び回るリリィを見上げる。
(ダメです! 勝つのが目的ではありません。あくまでもウケるキャラで人気を得るのが最優先です!)
リリィは必死にブンブンと腕を振った。
(人気……余にはよくわからん概念だ……)
マオは深い、深いため息をつく。そして、ようやく重い腰を上げるように、背中の大剣に手をかけた。
「……あー、めんどくさい」
心の底からの本音が、思わず口から漏れる。
〔お、ついに剣を!〕
〔剣士要素きた!〕
〔でもあの大剣、振れるの?〕
〔身長より長いぞw〕
ジャリィン……
重厚な金属音が、石造りの部屋に響き渡る。
鞘から姿を現したのは、まさに規格外の大剣だった。
刀身の幅は三十センチ、長さは百八十センチ。マオの小さな体より長い、漆黒の刃。刀身に刻まれた古代ルーン文字が、血のように薄く赤い光を放っている。その重量は、普通の人間なら持ち上げることすら困難だろう。
しかし――
マオは片手で、まるで木の枝のように、いとも簡単に構えてみせた。
「悪いが一撃で終わらせる」
その瞬間――マオの深紅の瞳が、ギラリと妖しい光を放った。
それは、かつて大陸を恐怖に陥れた魔王の眼光。ただし今は、美少女の愛らしい顔に宿っているという、奇妙なアンバランスさを持って。
グァァァァァ!
オーガが地響きのような咆哮を上げた。
その巨体が地を蹴る。ドスン、ドスンと床が震え、天井からパラパラと小石が落ちてきた。まるで暴走する機関車のようにものすごい速度で突進してくるオーガ。
グァッ!!
筋肉が盛り上がり、血管が浮き出る。オーガは全身の力を棍棒に込め、目にもとまらぬ速さで振り下ろした――
〔ああっ!〕
〔マオちゃーーーーん!〕
〔避けてぇ!〕
ズガァン!
耳をつんざく轟音。
棍棒が床に激突し、石床が爆発したかのように粉々に砕け散り、土煙が濛々と舞い上がる。まるで小規模な地震が起きたかのような衝撃が、ダンジョン全体を揺るがした。
しかし――
そこにマオの姿はなかった。
いや、正確には――マオは既に空中にいた。
後方に跳んだ勢いのまま、石の壁を蹴り、三角飛びの要領で一気にオーガの頭上へと舞い上がっていたのだ。銀髪が月光を浴びたように煌めき、ドレスの裾が花のように広がる。
その姿は、まるで死を運ぶ天使のようだった。
「死ねぃ!!」
普段の無表情からは想像もつかない、獰猛な叫び。
マオが大剣を振り下ろす――。
ズバッ!と一閃。
時が、一瞬止まったかのような静寂。
そして――。
オーガの巨体が、脳天から股下まで、真っ二つに切断された。
「グ……オ……?」
困惑と理解不能の声。オーガは自分に何が起きたのか、最後まで分からなかった。
ズルリ、と左右に体が割れ始め、ドサリという重い音と共に、二つになった巨体が床に崩れ落ちていく――。
ボス部屋に、死の静寂が訪れた。
たった一撃で、C級ダンジョンの主が沈黙したのだ。一般にはパーティがチームプレーで少しずつHPを削り、一時間くらいかけて倒すのがセオリーのオーガが瞬殺だったのだ。
〔!?!?!?!?〕
〔は?〕
〔ワンパン?〕
〔強すぎて草〕
〔これバグだろ〕
〔チートかよ〕
〔マオちゃーーーーん!!〕
〔神だ!〕
〔伝説を見た〕
『〇〇さんが200ゴールドをスパチャしました!』
『△△さんが10ゴールドをスパチャしました!』
『□□さんが100ゴールドをスパチャしました!』
『××さんが500ゴールドをスパチャしました!』
画面がスパチャの通知で埋め尽くされていく。エフェクトが次々と炸裂し、まるで祝砲のようだった。
【同接:5892人】
気がつけば、視聴者数が五千人を突破していた。初配信でこの数字は、まさに異例中の異例だった。
「出ました! RTA新記録! 二十三分十五秒! ぶっちぎりの歴代最速!!」
リリィが興奮のあまり、空中で何度も宙返りをしながら叫ぶ。小さな羽がキラキラと光の微粒子を撒き散らし、まるで祝福の雨のようだった。
「やったぁ! マオちゃん! 大記録でーーす!!」
(やりましたよ! 陛下! バンバン儲かってます!!)
リリィの念話は歓喜に満ちていた。
(余は雑魚を倒しただけなんだが? なぜ儲かるのか……?)
マオはつまらなそうに、ブスッとした顔で突っ立っている。倒したオーガの死体を見下ろし、まるで踏み潰した虫でも見るような、物足りなさそうな表情だった。
(陛下! 何やってるんですか! 早く決めポーズ!)
(え? あれ、本当にやるのか?)
(今やらずにいつやるんですか!!)
リリィは焦れったそうに、マオの銀髪をパシパシと小さな手で叩いた。
(くぅぅぅ、あんなものを公衆の面前に晒さねばならんとは……余の威厳が……魔王の誇りが……)
内心の葛藤は凄まじかった。五百年の時を生きた魔王としてのプライドが、激しく抵抗している。
しかし――
魔王軍の困窮を救うためなら何でもせねばならないのだ。