68. 新たな章
「おい! マオ! 聞いてんの?」
パンパンパン!
肩を叩かれる感触が、マオを現実へと引き戻す。
気が付くと、シアンが苛立たしげに、マオの肩を何度も叩いていた。
「え、あれ……? ・は……?」
マオは混乱した頭を振る。
「何を寝ぼけてるんだよ! ・って何だよ?! 」
シアンの声が、ヒステリックに跳ね上がった。
マオは慌てて周囲を見回し――息を呑む。
渋谷の夜景。ネオンの光。
戻ってきた――――。
あの無限の宇宙から、この世界へ。
しかし――。
何かが、決定的に違う。
ピンクのドレスは、まるで今仕立てたばかりのように美しく輝いている。血の一滴も、汚れ一つもない。
胸に手を当てれば肋骨は全て揃っている。傷一つない。
それどころか――全身に、今まで感じたことのない生命力が満ち溢れていた。
血管を流れる血が歌うように躍動し、細胞の一つ一つが光を放っているかのよう。五百年の魔王人生で、こんなに身体が軽く、力に満ちたことはなかった。
そして何より――頭が、恐ろしいほどクリアだった。
この日本という国の成り立ち。技術の仕組み。経済の流れ。文化の本質。
全てが、まるで生まれた時から知っていたかのように、手に取るように理解できる。
女神の琥珀色の瞳の奥で輝く力の正体も、シアンの青い髪に宿る神性の源も、全てが、透けて見える。
(これが……)
マオは震える手を見つめた。
(・のくれた加護……)
あの宇宙での絶望に塗れた苦闘の時間――――。
しかし、この世界では一瞬。時の流れすら、あの存在の前では意味を持たないのか?
「ふわっはっはっは!」
心の底からこみあげる笑みにマオは身をゆだねた。
「そうか、おっけー、そういうことなら……」
深紅の瞳が、炎のように輝き始める。
「余がイノベーションの起こる世界に変えてやる!」
声に絶対的な自信を込め、女神の目を真っ直ぐに見据えた。
「ほう……?」
女神の完璧な眉が、わずかに顰められる。琥珀色の瞳に、警戒の色が浮かんだ。
「どうやって……やるつもりか?」
「分からん!」
マオはあっけらかんと言い放った。
「だが、そこはリリスに手伝ってもらうのでな」
ニヤッと笑ってシアンを見る。
「はぁっ!?」
シアンが素っ頓狂な声を上げる。
「何言ってんの! もう僕は絶対嫌だからね!」
腕を組み、プイッと子供のように横を向いた。青い髪が、怒りでふわりと逆立つ。
「じゃあ」
マオの笑みが、さらに深くなった。
「勝った方の言うことを聞く、というのはどうだ?」
挑発的な提案が、夜風に乗って響く。
「へっ!?」
シアンの碧眼に、侮蔑の光が宿った。
「いいけど……あんた、バカなの?」
鼻で嗤う。
「あんたの攻撃なんて、全く効かないのよ? この僕に勝てるとでも思ってるの?」
シアンは勝ち誇ったように胸を張る。
「熾天使に、ただの魔王が挑むなんて、千年早いわよ」
「そうか?」
マオは首をゆっくりと傾げた。
そして、すっと腕を宙へと伸ばす――――。
その動作は、あまりにも自然で、優雅だった。
「天誅!」
バシィィィィィンッ!
紫色の稲妻が、天から降り注ぐ。
神の裁きの雷が、あっさりとシアンを貫いた。
「ぎゃあああああ!」
シアンの絶叫が、夜空を切り裂く。
青い髪が爆発したように逆立ち、全身から煙が立ち上る。シルバーのボディスーツは焼け焦げ、ボロボロに破れた。
「ごほぉぉぉ……」
力なく呟きながら、シアンは黒焦げになって墜落していく。
「ま、魔王……」
女神の声が、完全に震えていた。琥珀色の瞳が、信じられないものを見るように見開かれる。
「お、お前まさか……」
その美しい顔に、初めて本物の恐怖が浮かんだ。
「そう」
マオは満足そうに微笑む。
「直談判は、してみるものだな。くっくっく……」
低い笑い声が、勝利の宣言のように響く。
しかし、その瞳の奥には――。
宇宙の深淵を覗いてしまった者だけが持つ、言葉にできない重みが宿っていた。
世界を守るために、自らの命を賭けた魔王。
そして今、新たな力を得て帰還した、世界の管理者。
物語は、ここから新たな章を刻み始める――。




