64. 絶対的審判者
「『創る』ではなく」
女神は言葉を慎重に区切り、マオの深紅の瞳を真っ直ぐに射抜く。
「『創れなければ消される』のよ」
「け、消される!?」
マオの声が裏返った。背筋を極寒の恐怖が駆け上る。
「う、宇宙に?」
「そうよ? 宇宙に……」
女神の声は墓石のように重く、冷たい。
「なぜ、そんな理不尽を放置するのか?」
マオの声が怒りで震え始める。
「何かやりようがあるのでは? 戦うなり、交渉するなり……!」
「カーーッ!」
シアンが突然、堰を切ったように激しい苛立ちを爆発させた。
「分かってないわね、このオタンコナス!」
青い瞳が怒りで燃え上がる。
「宇宙に『交渉』? 『戦う』? バカも休み休み言いなさいよ!」
「自分の世界が消されるなら、精一杯抗うしかないだろう?」
マオは血が滲むほど拳を震わせながら、必死に反論する。
「余が直談判してやる! この魔王ゼノヴィアスが……」
「そういう問題じゃないの!」
シアンの絶叫が、夜空を引き裂くように響き渡った。
「これが大昔から変わらない大宇宙の営みなの! 永遠に、未来永劫、変わらない絶対の理なの!」
「『変わらない』で滅ぼされていいのか!」
マオは魂の底から叫んだ。どんな理由があれ、勝手に世界を滅ぼすことなど許されるはずがない。
「どこに行けばいい? 余が説得して……」
そう言いかけた、その瞬間だった。
ふっ――。
マオの意識が、まるで見えない手に掴まれたように、唐突に引き抜かれた。
世界が急速に遠のいていく。音が消え、色が褪せ、重力すら意味を失う。
まるで、存在そのものが溶けていくような恐ろしい感覚だった――。
◇
気が付くと、マオは無限の星海に抱かれていた。
数え切れない星々が、砕けたダイヤモンドのように虚空に散りばめられている。それは息を呑むほど美しく、同時に孤独な光景だった。永遠の静寂が、魂を押し潰すように重くのしかかる。
「こ、ここは……?」
声が真空の中で響く。いや、声ではない。意識が直接、宇宙に溶け込んでいるかのようだった。
「海王星だよ」
突然、宇宙の深淵から湧き上がるような重厚な老人の声が響く。
マオは慌てて振り返る――そして、凍りついた。
そこには、青いベビー服を着た幼児が、にこにこと無邪気な笑顔を浮かべて宙に浮いていた。その小さな身体を、淡い青白い光が包み込んでいる。
「海王星も知らんのか?」
幼児の口から、また老人の声。その異様なギャップが、マオの正気を揺さぶる。楽しげな笑顔と、威厳に満ちた声音の不協和音が、現実感を完全に破壊していた。
女神もシアンも消え、いきなり連れてこられた大宇宙。そして、この不気味な幼児――いや、これは幼児の姿をした何か別のものだ。
「か、海王星……?」
幼児が無言で、ぷにぷにとした人差し指を下へと向けた。
「へ……?」
マオは恐る恐る視線を落とし――。
「えっ!?」
息を呑んだ。
眼下には、言葉を失うほど巨大な碧い惑星が、神々しいまでの静謐さを湛えて浮かんでいた。
澄み渡る深い青――――。
惑星の縁を彩る、まるで永遠の朝焼けのようなオーロラの帯。それは宇宙が創り上げた究極の芸術品だった。
「綺麗だろ?」
幼児が、老人の声で語りかける。
「あの中に、キミの星も入っている」
小さな手が、惑星を指差す。
「は?」
マオの思考が、完全に崩壊した。
巨大な碧い惑星の『中』に、自分の世界が? 理解を完全に超越した概念に頭が上手く動かない。
「それは一体……どういう……」
「キミは我と直談判したいそうじゃないか」
幼児はニヤリと笑った。その幼い顔立ちと老人の声のギャップが不気味さを増幅させる。
「何でも言ってくれ。だが……」
青い瞳が、冷たく光った。
「つまらなければ、お前の世界は消すがな。カッカッカ」
笑った瞬間、幼児の顔が変わった――老弱男女、あらゆる人の顔に高速で次々と変わっていく。マオはこの不気味な存在に改めて冷や汗をかいた。
「では、あなたが……『宇宙の意思』?」
マオは震える声で問う。
「そのようなものだ。キミの不出来な世界を消すのは、この我だからな」
幼児に戻った『宇宙の意思』は肩をすくめた。その仕草は妙に大人びていて、さらに違和感を増す。
「ふ、不出来だろうが何だろうが! 必死に生きる者たちを、問答無用に消すのは横暴ではないか?」
マオの怒りが爆発する。
「宇宙とは、そういうものだ」
あっさりと言い放つその声には、まるで子供が蟻を踏み潰す時のような、無邪気で残酷な響きがあった。
「『そういうもの』で納得できるわけが無かろう!」
マオの絶叫が、虚空に響き渡る。
はぁ……。
幼児は、まるで駄々をこねる子供を見るような目で、深く、深くため息をついた。
その瞬間、マオは理解する。
この存在にとって、世界の生死など、本当にどうでもいいことなのだと。
そして、自分は今、その気まぐれ一つで全てが消される、絶対的な審判者の前に立っているのだと――。




