63. 永遠の疲労
「あなたが、魔王ゼノヴィアス?」
女性の声は、静かだが有無を言わせぬ迫力があった。
「……そうだが」
マオはようやく、それだけを絞り出す。
「派手にやってくれたわねぇ……」
「こ、これは余のせいでは……ない……」
マオの声は、まるで教師に叱られる子供のように小さく、か細かった。五百年の歴史を持つ魔王の威厳など、もはやどこにもない。夕陽が、その震える肩を赤く染める。
「でも、最初に手を出したのは、あなたでしょう?」
その一言が、マオの心臓を鋭く貫く。優しげな声音の奥に潜む、逃れようのない真実の追求に、膝が震えた。
「い、いや、それは……」
言葉が喉に詰まる。確かに、最初に紅蓮煉獄覇を放ったのは自分だ。言い訳など、できるはずもない。
「そうだよ女神様!」
突如、煤まみれの顔をしたシアンが飛び上がってきて抗議する。青い髪は爆発したようにチリチリに焦げ、シルバーのボディスーツは見るも無残に破れている。
「この魔王が全部悪いんだよ! ボクは被害者だもん!」
「め、女神……様……?」
マオの顔から、さらに血の気が引いていく。
熾天使すら従える存在。この世界そのものを創造した神。絶対的な支配者――。
その事実が、鉛のように重くマオの肩にのしかかった。
「天誅するならコイツじゃないか! なんで僕が……」
シアンは頬を膨らませ、子供のようにマオを指さした。焦げた指先が、ぷるぷると震えている。
「な、何を言うか!」
マオの深紅の瞳に、最後の抵抗の炎が宿る。
「一生懸命に生きる者を愚弄する、そなたの挑発が原因だろう?!」
「本当のこと言っただけじゃん!」
シアンは唇を尖らせ、ぷくっと頬を風船のように膨らませた。
「そもそも!」
マオの声が、感情の高ぶりと共に大きくなる。
「お主らの都合で殺し合いをさせられ、見世物にされてきたこと自体、許しがたい! 我らは人形ではないぞ!」
「はぁぁぁ!?」
シアンの青い瞳が、怒りで爛々と輝いた。
「このオタンコナス! 一度殺さないとダメね!」
ブワァァァッ!
青白いオーラが、シアンの全身から噴き出し、大気が震えた。
「そういう態度が問題だと言っとるのだ!」
マオも負けずに言い返す。
「止めなさい!!」
女神の一喝が、世界を震撼させた。
ビリビリビリ……!
雷鳴のような威圧感が、二人の身体を貫通する。マオもシアンも、反射的に身を竦めた。
くっ……。
静寂が、重く垂れ込めた。
「魔王や……」
女神はゆっくりと、マオの顔を覗き込む。
その琥珀色の瞳の奥には、星の誕生と死を見つめてきたような、深遠な叡智が宿っていた。
「こやつは聖と魔の属性を設定しただけ……」
女神の指先が、そっとマオの頬に触れた。温かく、そして恐ろしいほど優しい感触。
「殺し合ったのは、お主の内なる破壊衝動によるものだろう?」
「何を……何を言う!」
マオは必死に反論する。しかし、声は震えていた。
「聖と魔の殺し合いは必然ではないか! 光と闇は相容れぬ!」
「ならば」
女神は静かに微笑んだ。
「この五十年の平和は、なぜ? 聖女と懇意なのは、なぜじゃ? ん?」
「そ、それは……」
言葉が、出ない。確かに、聖女とは奇妙な友情すら芽生えていた。
「もちろん」
女神は夕焼け空を見上げる。
「上を目指せば、軋轢は避けられぬ。ましてや世界の天辺を争うのであれば、多くの血は流れるだろう」
その声に、深い憂いが宿った。
「だが、それは我らの狙いでも、望みでもない」
「なら……」
マオは唾を飲み込んだ。
「なぜ、そのような事態を傍観するのか?」
女神の表情が、夕陽の影に溶けるように翳った。
「消されるから……ね」
その声は、永遠の疲労を背負った者の諦念に満ちていた。
「……は?」
マオの思考が、ガラスが砕けるように完全に停止した。
この世界の創造神が、全知全能の存在が、何かを恐れている? そんなことがあり得るのか?
「誰に……?」
喉の奥から絞り出すように、震える声で問いかける。
「宇宙よ?」
女神はうんざりした様子で答えた。
「……は?」
マオの頭の中で、五百年かけて築き上げた世界観が、轟音を立てて崩壊する。理解の限界を完全に超えたのだ。
「お主も聞いたであろう? この世界を取り巻く状況を」
女神の琥珀色の瞳が、哀れみを帯びてマオを見つめる。
「『宇宙の意思』……とやらか?」
マオは苦虫を噛み潰したような顔で、その忌まわしい言葉を吐き出す。
「みんなが元気に活動する世界を創るとかいう……」
「違うわ」
女神は静かに、しかし断固として首を横に振る。夕陽に照らされたその横顔に、深い疲労が見て取れた。




