55. 砕け散る大剣
「はああああああっ!」
マオが横薙ぎに大剣を振り抜く。
ブォンッ!
黄金の剣気が、巨大な三日月となって空間を切り裂いた――――。
「くっ……!」
剣聖は咄嗟に刀を手放し、瞬歩で後退する。
しかし――。
ザシュッ! と、風の刃のような剣気が、剣聖の胴を深く斬り裂いた。老剣士の身体から、赤い霧のように血が噴き出す。
さらにその剣気は、上方で撮影していたゴーレムアイをも貫いた。
パンッ!
ゴーレムアイが粉々に砕け散る。
(この姿を……配信で流すわけにはいかん……)
マオの判断は瞬時だった。胸を貫かれた姿を、視聴者に見せるわけにはいかない。それは人間ではない証拠となってしまうのだ。
しかし、前に飛び出していたリリィにも、剣気の余波が襲いかかる――――。
ザシュッ!と剣気はもろにリリィを直撃した。
マオはしまったと思ったが、ここはダンジョン。リスポーンしてくるだろう。
(リリス、すまん)
剣聖は、薄れゆく身体を支えながら、苦笑を浮かべていた。
「くっ……貴様……まさか……魔族か?」
その問いかけに込められた確信。人間なら、胸を貫かれて生きているはずがない。
マオは胸に刺さった刀を、ゆっくりと引き抜きながら答えた。
「何を言う……」
ズルリと、血に濡れた刀身が肉を裂きながら抜けていく。
「余は『美少女剣士』だ」
平然とした口調。まるで、かすり傷を負った程度のような態度。
「化け物め……。首を斬り落とせば……いや、突きに誘導されとったんじゃな……」
剣聖の声に、恐怖と畏敬が入り混じる。
「見事だった……」
老剣士の身体が、光の粒子となって消えていく。
「若き日のあいつを……あのクソ魔王を思い出したぞ……」
最後の言葉を残し、剣聖の姿は完全に消失した。
静寂が、戦場を包む。
ふぅ……。
マオは大きく息を吐いた。全身から力が抜け、膝が震える。
(なんとか……守った……)
百万ゴールド。その重みが、今更ながらに肩にのしかかってくる。
魔族の肉体は確かに頑丈だ。胸の筋肉は人間とは比較にならないほど厚く、心臓の位置も違う。だが――。
(これで……正体がバレたかもしれん……)
剣聖の言葉が、脳裏に響く。『魔族か?』――その疑念は、やがて確信へと変わるだろう。
血に濡れた手で、胸の傷口を押さえる。既に再生が始まっているが、完全に塞がるまでには時間がかかる。
(ゴーレムアイを壊したのは正解だった……)
ゴーレムアイから見えにくい角度で刀を受けてはいたものの、あのまま配信が続いていたら、胸を突かれて平気な姿を大陸中に晒すことになっていた。
「陛下! やりましたね!」
リリィが嬉しそうにクルクルと踊りながら飛んでくる。
「へ? リリス……お前……」
マオは殺してしまったはずのリリィが、何事もなかったように飛んでくる姿に固まった。
「ナイスフォローです! ゴーレムアイを壊してくれたおかげで胸を貫かれたところはうまくごまかせそうですよ! さすが陛下!」
ニコニコと、まるで何事もなかったかのような笑顔。その小さな身体には、傷一つ見当たらない。
「お前……余の剣気を喰らって、なぜ無事なんだ?」
マオの声が、震えた。
あの剣気は、頑丈なゴーレムアイを粉砕するほどの威力だった。妖精の脆弱な身体なら、両断されていておかしくない。なのに――――。
「へ? 当たってなんかないですよぉ。ふふっ」
リリィはクルッと優雅に回転し、キラキラとした鱗粉を振りまく。
その瞬間――マオの全身に、戦慄が走った。
(見間違うわけがない。この感覚……間違いない……)
五百年の戦いの中で培った本能が、警鐘を鳴らしている。目の前にいる存在は、リリィではない。いや、最初からリリィなどではなかったのかもしれない。
「曲者がぁぁぁ!」
刹那、マオは有無を言わさず、リリィ目がけて大剣を振り下ろした。
ブォンッ!と、風を切り裂く轟音と共に、刃がリリィへと迫る。
しかし、リリィは避けようともしなかったのだ――――。
パァァァァンッ!
耳をつんざくような破砕音が響き渡った。
マオの大剣が――粉々に砕け散っていく。
「なっ……!」
信じられない光景だった。この大剣は、魔界の名工が百年かけて鍛え上げた業物。ドラゴンの鱗すら両断し、ミスリルの盾も貫通する。
それが――小さな妖精に、触れることすらできずに砕かれた!?
マオは咄嗟にバックステップで距離を取り、震える拳を構えた。額から冷たい汗が流れ落ちる。
「お、お主……何者だ……?」
剣聖など足元にも及ばない。この存在は、次元が違う。
「あら……バレちゃったわねぇ。きゃははは!」
リリィの笑い声が、急に変わった。可愛らしい妖精の声から、妖艶な女性の声へ。




