52. 生けるレジェンド
「はい?!」
リリィが振り返る。
「あれ? お一人……ですか?」
彼女は怪訝そうに目を細めた。
単身でここまで来た? それはつまり、あの憤怒の牛頭魔を一人で倒したということ。Aランクの剣士でも苦戦する相手を?
「一人じゃ、ダメかの?」
老人は穏やかに微笑んだ。
「い、いえ、問題ありません……どうぞ」
「うむ……」
スタスタと、老人は、まるで散歩でもするような足取りで扉をくぐっていく――――。
その瞬間だった。
ピクッと、今まであくびをしていたマオの眉が、わずかに動く。
そして、おもむろにアイテムボックスから幅広の大剣を引き出した――――。
「おぉっと! これはどうしたことだーー!?」
実況のサキサカが椅子から飛び上がる。
マオが大剣を構えると漆黒の刀身に刻まれた古代ルーン文字が、ヴゥンと赤い光を放った。これこそ、マオの本気の証。
「今までの強豪たち! 王国の騎士も! 帝国の弓使いも! 全て角材で瞬殺してきたマオ選手が!」
サキサカの声が震えている。
「ついに! ついに剣を取りましたぁ!」
〔えええええ!?〕
〔なんで今!?〕
〔ただの爺さんだろ?〕
〔爺さん逃げてーー!〕
観客もコメント欄も、困惑の渦に包まれる。
老人はそんなマオを見てニヤリと笑う。
「嬢ちゃん……。剣の道を、なんと心得る?」
その声は、まるで師が弟子に問うような、優しさと厳しさを併せ持っていた。
マオはそんな老人を鋭い視線でにらみ、しばらく沈黙していたが――。
「……ただの」
赤い瞳が、ギラリと冷たく光る。
「殺し合いだぁぁ!」
刹那――。
ドンッ! と、床が爆発したように砕け、マオが消えた。
次の瞬間には、老人の目前で大剣を頭上に振り上げ、全身の力を込めて――。
ブォン! と、空気が悲鳴を上げる。
目にも見えぬ速さの一撃が、老人の頭蓋を斬り裂くべく振り下ろされた。
老人は、まだ刀を抜いてもいない。
しかし――。
キィィィィン!
澄んだ金属音が、空間を震わせる。
ザッ!
マオの銀髪が、ざっくりと斬れて宙を舞った。
「!?」
マオの目が、初めて驚愕に見開かれる。
(斬られた!? いつ!?)
「くっ!」
慌てて後退する。だが――。
「遅いのう」
老人の姿が、霞のように揺らいだ。
キッキキキンキン、キッキン!
二人の間で火花が、まるで花火のように散る。
一秒間に、何度剣を交えたのか。もはや観客の目には、火花しか見えない。
「くぁぁ!?」
マオが、防戦一方に押されていく。
必死に大剣で受けるが、老人の刀は、まるで生き物のように縦横無尽に襲いかかる。上から、下から、横から、時には背後からも――――。
「くぅっ!」
限界だった。
バッ!とマオが大きく後ろに飛び、なんとか距離を取る。
額から、冷や汗が流れ落ちていた。呼吸も乱れている。
(とんでもない……怪物だ……)
「おぉっと! これは凄まじい!」
サキサカが絶叫する。
「初めて! 初めて見せたマオ選手の本気! だがそれが通用しないーー!?」
「こ、これはどういうことですか?」
リリィの顔が、みるみる青ざめていく。まさか、陛下が押されるなんて。
「いや、わたくしもこれは……」
サキサカが老人をじっと見つめる。その立ち姿、構え、そして何より――あの独特の気配。
「えっ!?」
彼の顔が、信じられないという表情に変わる。
「も、もしかして……」
震える声で呟く。
「剣聖……?」
「剣聖?」
リリィが聞き返す。
「いやっ! これは! これは驚いた!」
サキサカが立ち上がり、拳を振り上げた。
「挑戦者は人類最強! 空前絶後のSSランク!」
会場が、静まり返る。
「剣聖【幻影の剣閃】リゲル様だぁぁぁ!!」
〔うぉぉぉぉぉぉ!!〕
〔マ、マジかよ!?〕
〔剣聖!? まだ生きてたのか!〕
〔伝説が動いてる!〕
〔はい! 死んだ! マオ死んだ!〕
〔SSランクとか勝てるわけねぇ!〕
コメント欄が、文字通り爆発した。
「剣聖といえば……世界最強の剣士……ですよね?」
リリィの声が震える。
「そうです!」
サキサカが興奮で顔を真っ赤にしている。
「人類史上初のSSランク! Sランクすら子ども扱いする常勝無敗! 五十年間、ただの一度も負けなかった生ける伝説です!!」
「と、となると……」
リリィは言葉を失った。
(陛下、ヤバい……かも?)
もちろん、魔法込みなら話は別だ。だが、剣術縛りでSSランクの剣聖に勝つのは――?
(あちゃ~)
リリィの額に冷や汗が浮かんだ。




