43. 奇妙な共犯関係
「リンゴも、速く皮を剥きすぎると反応が遅れるんじゃな。カッカッカ!」
老人は楽しそうに笑った。
「え? じゃあ、あの一瞬で……皮を剥いた……ってこと?」
青年は震える声で言った。
「そういうことじゃ」
老人はナイフを置いた。刃には、リンゴの汁が一滴も付いていない。
「あのお嬢ちゃんだったら見切っておったはずじゃ。お主じゃ無理ということじゃな。ワシが参加してこよう」
「ちぇっ……」
青年は悔しそうに唇を噛んだ。
「でも、師匠の本気、早く見てみたいな!」
「お主に見えるかな? カッカッカ!」
老人は愉快そうに笑った。
久しぶりの本物の戦い。
老剣豪の血が、五十年ぶりに沸き立っていた。
(小娘よ、覚悟しておけ)
窓の外を見つめながら、老人はリンゴをパリッとかじった。
(剣の道が、どれほど厳しいものか……この剣聖【幻影の剣閃リゲル】が身をもって教えてやる!)
◇
ポンポンポン!
教国の郊外、月骸の聖壇の上空に、花火が打ち上がる。
普段は忘れ去られたような寂れたダンジョンが、今日ばかりは大陸最大の祭典会場と化していた。
「すげぇ人だ……」「うわぁ、どんだけ集まってんだ……?」
誰もがその様子に圧倒される。
入り口から見渡す限り、人、人、人。冒険者、商人、観光客、そして各国から派遣された密偵たち。その数、数万人。
ゲートには巨大な横断幕が風にはためく――『美少女剣士マオ討伐特別企画 賞金百万ゴールド!』
金色の文字が、朝日を受けてギラギラと輝いている。
「百万だぜ、百万!」
若い冒険者が興奮気味に叫ぶ。
「俺の村なら、全員が一生遊んで暮らせる金額だ!」
屋台が所狭しと並び、肉を焼く煙と、酒の匂いが充満している。『マオちゃん焼き』という名の謎の串焼き、『魔王の血』と称する真っ赤なカクテル。商魂たくましい商人たちが、声を張り上げて客を呼び込んでいた。
奥には巨大な魔導スクリーンが設置され、パブリックビューイングの準備が整っている。すでに良い席を確保しようと、朝から場所取りの争いが始まっていた。
「見ろよ、あれ」
誰かが指差す先には、銀の鎧に身を包んだ一団がいた。
「『白銀の牙』だ……Aランクパーティが来てるぞ!」
ざわめきが広がる。
「あっちは『紅蓮の翼』じゃないか?」
「マジかよ、大陸トップクラスが集結してる」
冒険者たちは、最後のブリーフィングに余念がない。剣の切れ味を確認し、鎧を締め直し、魔法の詠唱を確認する。その表情は、まるで戦争に赴く兵士のように真剣だった。
何しろ、百万ゴールド――――。
一攫千金を夢見る新人から、引退資金を狙うベテランまで。今日という日に、人生の全てを賭けている者も少なくなかった。
「おい、見ろ」
誰かが小声で囁く。
「王国騎士団の紋章だ……」
確かに、物陰で正規軍の鎧を着た者たちが何かを相談している。腕試しか、それとも国家としての情報収集か。その真意は分からないが、会場の空気は一層緊張感を増していた。
そんな中、一人の老人が人込みに圧倒されながら青年とともに受付を目指す――――。
「いやぁ、たまげたわい。凄い人じゃ……」
「でも、一番強いのは師匠ですからね! 百万ゴールド、何に使おうかなぁ……」
「バカモン! 金の話はするな、意地汚いぞ!」
「でも、もらうんでしょ?」
「そりゃ、くれるものは何でも貰うわい! カッカッカ!」
老人は楽しそうに笑った。
◇
控室――――。
マオは優雅にお茶を啜っていた。外の熱狂とは対照的に、静かな時間が流れている。
「そろそろ、時間ですよ? 行きましょう!」
リリィが元気よく声をかける。
「……はぁ」
マオは深いため息をついて、面倒くさそうに腰を上げた。まるで、町内会の草むしりに行くような疲れ切った顔だ。
「あなた、頑張ってきてね?」
聖女エリザベータが、パチリとウインクをする。先日の夜の出来事をどこまで覚えているのか分からないが、上機嫌だ。
「うむ……」
マオは渋い顔で頷いた。
(世界の半分を支配する余が、なぜこんな茶番を……)
内心で毒づく。百人だろうが千人だろうが、冒険者どもなど指一本で全員消し飛ばせるというのに――――。
「まぁ、負けることは……ないと思いますケド? ふふっ」
聖女が含み笑いを浮かべる。その瞳には、共犯者のような輝きが宿っていた。
「こちらで凱旋をお待ちしてますわ。くふふふ」
楽しそうに笑う聖女。
マオはチラッとそんな聖女に目をやり。またため息をついた。
あの夜以来、彼女はやたらとマオに絡んでくる。
魔王城での出来事は、お互いに口外できない究極の秘密。それが二人を、奇妙な共犯関係で結びつけていた。
「じゃあ、いってらっしゃい♪」
聖女が手をひらひらと振る。まるで、夫を送り出す妻のような仕草だった。
はぁぁぁ……。
マオは大きくため息をつくと背を向け、重い足取りで歩き始めた。




