4. 伝説の始まり
ダンジョン一階――――。
薄暗い洞窟の中を、魔力灯の淡い光が照らしている。苔むした石壁、湿った空気、遠くから響く水滴の音。典型的なダンジョンの光景だった。
通路のあちこちで、初心者パーティーがゴブリンや巨大ネズミと格闘している。剣を振るう音、呪文を唱える声、そして時折響く悲鳴。
そんな喧騒の中を、マオはのっしのっしと進んでいく。
背中の大剣を抜きもせず、ドレスの裾を揺らしながら、まるで散歩でもしているかのような足取りだった。
〔なんかこう……女の子っぽくないよね〕
〔でも美少女だから許す〕
〔歩き方が妙に堂々としてないか?〕
【同接:24人】
(陛下! 歩き方が! もっと可愛らしく!)
リリィの念話がマオの頭に響く。
(うるさい! 好きに歩かせろ! 体が軽すぎて調子が狂うのだ!)
(せめて内股にするとか……!)
(知らん!)
曲がり角を曲がると、前方に緑色の小さな人影が見えた。ゴブリンだ。しかも一体や二体ではない。
「ギギギ……!」
「ギャアアア!」
十体のゴブリンが、粗末な棍棒や錆びた短剣を手に四人組の初心者パーティーを取り囲んでいる。
「やばい! 囲まれた!」
「回復魔法が間に合わない!」
「盾役、もっと前に!」
必死の形相で戦う冒険者たち。それに対して、マオは――。
「……はぁ」
深い、深いため息をついた。まるで面倒な雑用を押し付けられた時のような、心底うんざりした表情だった。
ゴブリンたちが四人に一斉に飛びかかったその瞬間。
「喝!」
マオが一声、叫んだ――。
その声に込められた圧倒的な威圧が、洞窟の空気を震わせる。
瞬間、ゴブリンたちの動きが止まった。
棍棒を振り上げたまま、短剣を構えたまま、まるで石化したかのように固まっている。その小さな体が、がたがたと震え始めた。
ギ……ギィ……。グギィィィ!!
恐怖の呻き声を上げながら、ゴブリンたちは武器を落とし、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「え……? 今、何が……?」
「声だけで、ゴブリンが……」
「あの子、一体何者だ……?」
初心者パーティーは、のっしのっしと通り過ぎていくマオを見ながら立ち尽くす。
リリィはすかさずカメラに向かって解説を始めた。
「すごーい! マオちゃんは低ランクモンスターなら一声で制圧できちゃうんだね! これぞまさに、美少女の新しい戦闘スタイルぅ!」
(陛下! 手加減というものを覚えてください! ゴブリンが可哀想です!)
(後で儲けからゴブリンにチップを払っておけ!)
〔は? 声だけで威圧?〕
〔え? どうやるの?〕
〔スキル? 魔法?〕
〔この子、ガチのやべーやつだ!〕
〔でも可愛いから許す〕
【同接:85人】
気がつけば、視聴者数がうなぎ上りに増えていた。
◇
リリィが突然囁いた。
(陛下、その先を左の小径に入ってください)
(うむ……なぜだ?)
(一気にショートカットですよ!)
(そうか……)
マオは素直に方向を変えた。本道から外れ、細い小道へと入っていく。
〔どこ行くの?〕
〔何? 近道?〕
〔ここにそんなのあったっけ?〕
〔隠し通路か?〕
〔妖精が何か知ってるのか〕
【同接:115人】
薄暗い小道を進むマオ。ドレスの裾が、湿った石の床を擦る音だけが響く。カメラのゴーレムアイも、狭い通路でうまく旋回できず、ぎこちない動きで追いかけていた。
十メートルほど進んだところで――。
カチッ!
小さな、しかし不吉な音が足元から響く。
瞬間、マオの立っている床がパカッ!と、真っ二つに開いた――――。
「!」
支えを失ったマオの体が、重力に引かれて真っ逆さまに落ちる。真っ暗な縦穴が、大きな口を開けて美少女を飲み込んでいく。
〔あぁぁぁぁ!〕
〔落とし穴はヤバいって!〕
〔はい! 死んだ!〕
〔初配信で死亡は草〕
〔リスポーン地点遠いぞこれ〕
〔可愛い子ほど早死にする法則〕
【同接:187人】
落下による急激な視点変化で、配信画面がぐるぐると回転する。視聴者たちには、暗闇の中を落ちていく銀髪と、ひらめくドレスだけが見えた。
「マオちゃん! いきなりのピーンチ!!」
リリィが絶叫しながら、必死に羽ばたいて追いかける。
しかし、落下しながらも、マオの表情は変わらなかった。
風に煽られて銀髪が舞い上がる中、赤い瞳は冷静に周囲を観察している。落下速度、壁までの距離、底までの深さ――瞬時に計算し終えると、小さくため息をついた。
普通の人間なら恐怖で悲鳴を上げ続けているであろう時間。マオはふんっと鼻で嗤った。
〔もう諦めて!〕
〔せめて受け身を!〕
〔やめてぇぇぇ!〕
そして――
ズゥン! 重い着地音と共に、土煙が舞い上がった。