35. 前代未聞
「あ、あのですね!」
リリィが慌てて話題を変えた。
「ダンジョンは魔王軍にとって神聖な場所です。さすがに一万では貸してくれないかと……。でも、十万ならどうでしょう? ダンジョン入場税を上げれば、すぐにペイできるかと……」
「確かに……」
枢機卿が顎に手を当てる。
「大陸中から冒険者が集まれば、宿泊費、飲食代、装備の修理代……十万払ってもトータルでは大幅な黒字になりそうだな」
「じゃあ、十万で魔王軍に聞いてみますねっ!」
リリィが嬉しそうにマオを見る。
「うむ、十万なら……話はつくだろう」
マオは思わず顔をほころばせた。十万ゴールド。それだけあれば、兵士たちに温かい食事を――。
「ちょっと待ちなさい」
聖女の冷たい声が、思考を断ち切った。
「何? あなたたち、魔王の知り合いなの? もしかして……魔王軍の関係者?」
鋭い視線が、マオとリリィを射抜く。
「へっ!?」
マオの心臓が、一瞬止まった。
「い、いやいや! 魔王なんて会ったこともないですよ!!」
必死に手をぶんぶんと振る。冷や汗が、背中を流れ落ちた。
刹那、聖女の瞳が黄金に輝いた。
キラキラと光る粒子が、マオの周りを舞い始める。暖かく、そして恐ろしいほど純粋な神聖力の波動神威真実――――。
(う……! こ、これは……!)
マオの全身が硬直した。嘘発見の神術。もし嘘をついていれば、光が赤く染まり、真実ならそのまま消える。
永遠にも思える数秒が過ぎ――。
「……嘘は、ついてないわね」
光の粒子が、静かに消えていった。聖女が、つまらなそうに唇を尖らせる。
(セーフ……!)
マオは内心で安堵の息をついた。『魔王に会ったことがない』――自分で自分に会うことはできない。だから、嘘ではなかったのだ。もし『魔王軍の関係者ではない』と言っていたら、完全にアウトだった。
「嘘発見スキルをつかったな!?」
マオは猛然と抗議した。
「いきなりそんなものを使うとは、失礼極まりない!」
「あら、失礼?」
聖女は悪びれもせず、マオを睨み返した。
「だって、あんたのこと信用できないんだもの。素性も知れない小娘が、いきなり大金を要求してくるなんて怪しいじゃない」
「くっ……」
怪しいのはその通り。自分は教国最大の敵、魔王なのだから。
「まぁまぁ」
枢機卿が慌てて仲裁に入った。額から汗が流れている。
「では、月骸の聖壇でマオ殿がダンジョンボスという企画で決定ということで」
「分かりました。準備します!」
リリィは枢機卿にぺこりと頭を下げた。
「それで……魔王軍との交渉はどうしましょう?」
教国から魔王軍と交渉となると窓口が限られ、する側もされる側もそれなりに面倒な手続きが必要になる。本当は今ここでサインしてしまいたいのだが、そういうわけにもいかない。
「私が行くわ!」
聖女が突然、立ち上がった。
「へ?」「は?」
マオとリリィが、同時に凍りついた。
「魔王軍に十万ゴールドだなんて、もったいない!」
聖女の瞳に、ケチな商人のような光が宿る。
「私が直接乗り込んで、値切ってやるわ! あの貧乏魔王、きっと私の美貌にメロメロになって、タダ同然で貸してくれるはずよ!」
「メ、メロメロ……?」
マオはポカンと口を開いたまま固まった。
「だ、ダメだ!」
枢機卿が真っ青になって立ち上がる。
「君は教国の象徴だ! 魔王城で直談判など、危険すぎて許可できん!」
「何言ってるの?」
聖女は胸を張った。
「私には神の恩寵があるのよ? 魔王なんて、指一本で倒せるわ」
「い、いや、しかし……」
「そもそもね」
聖女の声が、急に低くなった。
「私が聖女になって十年。まだ一度も魔王の顔を見たことがないの」
疑念に満ちた瞳で、円卓を見回す。
「本当に存在するのかすら、怪しいと思ってるのよ」
「い、いや……さすがに、居るのでは……?」
マオは思わず口を挟んだ。
「何言ってるのよ!」
聖女が声を荒げた。
「この五十年、魔王を見た人間なんて誰一人いないのよ? もう死んでるか、逃げ出したかもしれないじゃない!」
聖女はものすごい剣幕でビシッとマオを指さした。
マオは唖然とする。
――『あなたの目の前にいるんだが……』
その言葉を飲み込むのに必死だった。
(この女、本当に魔王城に来る気か……?)
新たな混乱の予感に、胃がキリキリと痛み始めた。
自分の城に、宿敵である聖女が乗り込んでくる。しかも、値切りに――――。
この前代未聞の事態に、五百年生きた魔王も、対処法が思いつかなかった。




