31. 聖女エリザベータ
「あ、見えてきましたよ。あそこじゃないですかね?」
リリィが小さな手で指差した。
視線の先には、大聖堂の裏手にそびえる白亜の塔【アークタワー】の巨大なゲートがあった。教皇庁――教国の中枢である純白の尖塔は天を衝くように高く、頂上には巨大な金の紋章が太陽のように輝いている。
ゲートには、銀の鎧に身を包んだ聖騎士たちが警備していた。全員が鋭い視線で往来を監視している。
マオが近づくと、聖騎士たちの視線が一斉に集中した。
「止まれ!」
隊長らしき騎士が、威圧的な声で呼び止める。教国の最高に神聖な場所に近寄るフード姿の怪しい少女。どう見ても不審者である。
「何の用事か? 名を……」
だが、その言葉は途中で止まった。
「お待ちしておりました!」
ゲートの奥から、クリーム色の法衣を纏った若い男が慌てたように走ってきた。額には汗が浮かんでいる。
「マオ様ですね? わざわざお越しいただき、恐縮です!」
情報局員の男は、爽やかな笑顔を浮かべながら深々と頭を下げた。その態度は、まるで貴賓を迎えるかのようだった。
「どうぞ、こちらへ!」
聖騎士たちが道を開ける。その表情には、困惑の色が浮かんでいた。まさか、こんな怪しい少女が重要な客人だとは思わなかったのだろう。
ふんっ!
マオは鼻を鳴らし、堂々と門をくぐった。だが、その瞳は鋭く聖騎士たちの装備を観察している。
(リリス、しっかり見ておけ)
念話で指示を飛ばす。
(敵の本拠地に入れる機会など、二度とないかもしれん。建物の配置、兵の数、武装の程度……全て記憶しろ)
(分かってますってぇ……)
リリィの返事は、なぜか上の空だった。
(お、あの聖騎士、なかなかのイケメンですね……金髪で長身で……)
(何を見とるんだ!)
ゼノヴィアスの怒声が、念話で響いた。
(軍事情報を集めろと言っただろう!)
(は、はーい……)
リリィは慌てて視線を建物に向けた。
◇
豪奢なファサードをくぐり、いよいよアークタワーの内部へと入っていく。
内部は外観以上に豪華だった。大理石の床は鏡のように磨き上げられ、壁には聖人たちの肖像画が並んでいる。天井には、神話を描いた巨大なフレスコ画。
「こちらです」
情報局員が、奥へと案内する。広大なエントランスホールを抜けると、そこには――。
「これは……」
マオが思わず息を呑んだ。
昇降機があったのだ。
金属と魔法水晶で作られた箱が、透明な筒の中に浮いている。この世界では極めて珍しい、高度な魔法技術の結晶だった。
「ほぉ……昇降機か」
マオは感心したように呟いた。
「ええ、階段では二十階まで上るのは大変ですからね」
情報局員は誇らしげに胸を張った。
「最新の魔法工学を応用して、一気に最上階まで行けるんです。どうぞ」
扉が音もなく開く。マオとリリィが乗り込むと、パシュッという音と共に扉が閉まった。
次の瞬間――。
「おおっ!」
マオが思わず声を上げた。
箱が浮き上がり、ぐんぐんと上昇し始めたのだ。外壁は透明な魔法ガラスでできており、上昇するにつれて教国の街並みが一望できる。白い建物が小さくなり、やがて街全体が見渡せるようになった。
「美しい……」
マオは呟いた。それは、素直な感想だった。
朝日を受けて輝く白亜の都市。整然と区画された街路。中心にそびえる大聖堂。確かに、天上の都のような美しさだった。
「でしょう?」
情報局員が嬉しそうに微笑んだ。
「私もこの景色が大好きなんです。神の国にふさわしい、清らかな街だと思いませんか?」
マオは答えなかった。
美しい。だが、その美しさの陰で、どれだけの魔族の血が流されたことか。この純白の石畳の下には、同胞たちの骨が埋まっているのだ。
チン、という音と共に昇降機が止まった。
「最上階です。どうぞ」
扉が開くと、そこには豪華絢爛な廊下が続いていた。赤い絨毯が敷かれ、壁には金の装飾。天井からは、シャンデリアが下がっている。
「こちらが迎賓室です」
重厚な扉の前で、情報局員が立ち止まった。
「中で、我が教国の代表がお待ちしております」
扉がゆっくりと開く。
その向こうには――。
円卓を囲む二つの人影があった。
「おぉ! マオ殿!」
立ち上がったのは、赤い法衣に身を包んだ白髪の老人、枢機卿ガブリエルだった。柔和な笑みを浮かべながら、両手を広げて歓迎の意を示す。
「わざわざ来てもらってすまないね。さぁ、どうぞお座りください」
だが――。
「ふん」
もう一人の人物は、座ったまま鼻を鳴らした。
純白のローブに身を包み、金色の髪を優雅に結い上げた女性。額には聖印が輝き、その美貌は彫刻のように完璧だった。聖女エリザベータ――神に選ばれし者、教国の象徴、その人だった。




