27. ピンクの薄い布
(ふんっ! 若輩者が……。これで角材砕いて腕を痛めたことにして、フィニッシュだ……)
ブゥン!
風を切る音と共に、必中の一撃が放たれる。もはやこの位置から、この速度で放てば誰も避けられない。
〔うわぁぁぁぁぁ!!〕
〔勇者様ぁぁぁぁ!!〕
〔マジかよ! マオちゃんすげぇ!!〕
視聴者全員が、息を呑んだ。
角材が、勇者の脇腹に向かって一直線に――。
ところが直後、マオの角材は空を切っていた。
「……は?」
明らかに当たるはずだった。いや、当たっていた。確実に。
しかし――。
勇者は、そこにいなかった。
〔え?〕
〔は? 今の何?〕
〔どうやって避けた?〕
〔いや、避けてないだろ……消えた?〕
視聴者も、何が起きたか理解できなかった。
マオはギリッと奥歯を鳴らす。
(これが……今代勇者の神の恩寵か……!)
時空を歪めた? いや、因果を捻じ曲げたのかも知れない「当たった」という事実を、「当たらなかった」に書き換えられた――――?
理不尽極まりない、神の気まぐれな加護。
これこそが、勇者を人類最強たらしめる、最大の理由だった。
「今だ!」
いつの間にか背後に回り込んでいた勇者が、聖剣を振り下ろす。
「くっ……」
絶体絶命。
普通なら、避けられない。
しかし――。
ユラリ。
マオの体が、まるで水のように流れた。
聖剣が頬を掠める。銀髪が数本、宙に舞う。
紙一重――――。
究極の回避技術で、マオは死の刃をかわした。
(なんだ、この化け物は……!?)
勇者の心に、初めて恐怖が芽生える。神の恩寵を使って得たチャンスですらかわされてしまったのだ。
逆にマオはギリッと角材を握りしめ、赤い瞳を燃やした。
(神の恩寵は連発できんはずだ……次こそは当てる!)
魔王としてのプライドが、神の理不尽に挑戦状を叩きつける。
と、その時だった――――。
ヒラリ……。
風もないのに、何かが舞う。
ピンク色の、薄い布が、ゆっくりと宙を漂い、マオの胸元に、冷たい風が吹き抜けた――――。
「ん……?」
勇者の視線がおかしい。いったいどこを見ている?
(……?)
視線を落とす。
そして――。
時が、止まった。
ドレスの胸元が、斜めに大きく切り裂かれていたのだ。
白い肌が、無防備に晒されている。
小さく膨らんだ純白の胸が、夕日に照らされて淡く輝いていた。
(え……?)
マオの思考が、完全に停止した。
五百年の魔王人生で、一度も経験したことのない事態。
いや、そもそも自分は男だ。胸など見られても何の問題もないはずだ。
しかし――。
勇者レオンは鼻の下を伸ばし、いやらしい笑みを浮かべ、青い瞳が、まん丸に見開かれていた。
その視線が、マオの露わになった胸に注がれている。
(い……いや!)
マオの中で、何かが弾けた。
全身の血液が、一気に顔に集中する。
心臓が、壊れそうなほど激しく脈打つ。
これは――羞恥心?
魔王が、なぜ、恥ずかしがる必要が――?
マオは混乱した。
「ひっ……きゃぁぁぁぁぁ!!」
甲高い悲鳴が、マオの喉から迸った。
慌てて腕で胸元を押さえる。しかし、もう遅い。見られてしまった。
「ご、ごめん、僕も見たくて見たわけでは……」
勇者はニンマリといやらしい笑みを浮かべながらフォローするが……。
「このスケベーーーー!!」
マオの右手が、音速を超えた。
平手が、勇者の頬に炸裂する。
パァァァン!!
「ぶべらっ!?」
人類最強の勇者が、まるでコマのようにクルクルと回転しながら吹っ飛んでいく。
地面を何度もバウンドし、最後は大の字になって倒れ込んだ。
ピクピクと痙攣している。どうやら気を失ったようだ。
「いやぁぁぁ! エッチ! 変態! 最低!!」
マオは涙目になって叫ぶ。
その瞬間、自分でも驚いた。
(なぜ余が泣いている!? なぜこんなに恥ずかしい!?)
理性では理解できない。
しかし、体が、心が、激しく拒絶している。
この美しい柔肌を見られたくなかった。絶対に、誰にも――なぜ?
(こ、これは……マオの体の本能なのか……?)
混乱したまま、マオは踵を返した。
そして、全速力で森へと駆け出していく。銀髪を風になびかせ、涙を散らしながら。
まるで、傷ついた小鳥のように――。
〔えぇぇぇぇぇぇ!?〕
〔今の見た!? 見えたよな!?〕
〔うわぁぁぁ! 録画! 録画してる奴いる!?〕
〔運営! 今すぐ削除しろ! マオちゃんを守れ!!〕
〔勇者……お前、マジで最低だぞ……〕
〔いや、事故だろ! 事故!〕
〔平手打ちくらって当然だわ〕
〔マオちゃん、かわいそう……〕
配信画面は、もはやパニック状態だった。
コメントが濁流のように流れ、誰も状況を整理できない。




