25. 舞い降りた天使?
「枢機卿猊下! 一大事でございます!!」
バン! と、重厚な扉が勢いよく開かれ、法衣を纏った若い情報局員が転がり込むように飛び込んできた。
「なんだ、騒々しい! ノックの作法も忘れたか!」
枢機卿ガブリエルは、山のような書類から顔を上げ、眉をひそめた。
七十を超える老体だが、鷹のような鋭い眼光は衰えていない。アークライト教国の実質的な最高権力者である。
「ゆ、勇者が……勇者レオンが戦っております!」
「なに!?」
ガブリエルの顔が一瞬で青ざめた。
(まさか、魔王軍が動いたのか!? 五十年の平和が、ついに終わるというのか!?)
震える手で杖を掴み、立ち上がる。
「敵は……敵は魔王ゼノヴィアスか!?」
「い、いえ、それが……」
局員が困惑した表情を見せる。
「魔王などではなく、配信を始めて二日目の、新人冒険者の少女と……」
――――まぁ、ゼノヴィアスなのだが。
「は?」
ガブリエルが呆けたような声を出した。
「何を馬鹿なことを……勇者が新人と戦う理由など……」
「と、とにかくこれをご覧ください!」
局員は懐から水晶玉を取り出し、震える手でテーブルに置いた。
パァァァ……。
青白い光が立ち上がり、空中に映像が投影される。
『おーっと! マオ選手、勇者様の十六連撃を全て捌きました! まさか人類最強相手に、ここまでやれるとは……!』
興奮したサキサカの実況が響く。
画面には――。
ピンクのフリルドレスを纏った銀髪の少女が、勇者の猛攻を軽やかに捌いている姿が映っていた。
『マオちゃんは勇者様に勝てそうですか?』
『うーん、どうでしょうね……単純な剣技なら互角のようにも見えますが……』
サキサカは歯切れ悪く首をかしげる。
『勇者様には神の恩寵がありますからね』
『神の恩寵……ですか?』
『はい! 神に選ばれし者だけが持つ、究極の力です! その詳細は我々一般人には知らされていませんが、まさに奇跡を起こす力だと聞きます!』
『なるほど、つまり一般人には決して勝てない……と』
『その通りです! だからこそ勇者様は人類の希望なんです!』
ガブリエルは、食い入るように画面を見つめた。
少女の動きは、明らかに人間の領域を超えていた。残像すら見えない速度で動き、聖剣の軌道を完璧に読み切っている。
「この娘……ただ者ではないな……」
呟いた声は、震えていた。
「枢機卿猊下、彼女の武器をご覧ください」
「武器?」
ガブリエルは目を凝らした。そして――。
「……は?」
絶句した。
「こ、これは……ただの……棒?」
「ヒノキの棒です。市場で三ゴールドで売っている、最低ランクの武器です」
「馬鹿な!」
ガブリエルが杖で床を叩いた。
「三ゴールドの棒で、伝説の聖剣と渡り合っているだと!?」
「はい。しかも、押し負けていません。いえ、むしろ余裕……にすら見えます」
ガブリエルの瞳が、獲物を見つけた猛禽のように輝いた。
「彼女だ!」
ドン!
両手を机に叩きつける。
「彼女をスカウトせよ! 今すぐにだ!!」
「えっ!? ス、スカウト……でございますか?」
局員が目を丸くする。
「そうだ! 金はいくらかけても構わん! 土地でも爵位でも、望むものは何でも与えよ!」
ガブリエルの声が、興奮で上ずっていく。
「何としてでも、我が教国のシンボルになってもらうのだ!」
「し、しかし猊下、彼女の素性も調べずに……」
「愚か者!!」
ガブリエルが咆哮した。
「そんな悠長なことをしている暇があるか! 王国に取られたらどうする!? 帝国に引き抜かれたらどうする!?」
老体とは思えない勢いで、局員に詰め寄る。
「分かっているのか!? 我が国は瀕死なのだぞ! 国庫は空、民は疲弊し、若者は王国へ流出している!」
その瞳には、狂気にも似た焦燥が宿っていた。
「この少女こそ、神が我らに与えた最後のチャンスかもしれん! 若い! 美しい! そして恐ろしく強い!」
震える手で、空中の映像を指差す。
「見ろ! 視聴者数はもう七万を超えている! 世界中が彼女に注目しているのだ!」
「は、はい……」
「彼女を手に入れた国が、次の時代の覇権を握る。分かるか? 一刻を争うのだ!」
ガブリエルは杖を振り上げた。
「特使団を編成せよ! 最高位の外交官を派遣し、聖女エリザベータ様の親書も用意しろ! 移動は最速の飛竜で! 今すぐだ!!」
「かっ、かしこまりました!!」
局員は深々と頭を下げ、弾かれたように部屋を飛び出していった。
ガブリエルは、なおも映像を見つめ続ける。
画面の中で、少女が勇者の必殺技を紙一重でかわす。
その姿は、まるで舞うようだった。
「美しい……」
うっとりと呟く。
「彼女こそ、神が我らに遣わした天使に違いない……」
そして、拳を握りしめた。
「なんとしてでも……なんとしてでも手に入れねば! アークライトの、いや、私の命運は彼女にかかっている!」
老枢機卿は知らなかった。
今、自分が「天使」と呼んだ少女が、実は真逆の魔族の頂点――魔王その人であることを。
皮肉にも、神の国が最も忌避すべき存在に、国家の命運を託そうとしていたのだ。
歴史の歯車が、音を立てて回り始めていた――。




