21. 天穿拳
(なっ……!)
マオの表情が一気に険しくなる。
神の恩寵を持つ勇者。魔族にとって最も忌まわしく、最も警戒すべき天敵。その男が、満面の笑みを浮かべてこちらに向かってくる。
マオの不機嫌さを一顧だにせず、レオンは手を上げ、親しげに歩み寄ってきた。
「やぁ! 素晴らしい戦いだったね! まさに芸術だったよ!」
いきなり馴れ馴れしく肩を叩こうとするレオンを、マオは身を引いてかわした。そして、露骨に嫌そうな顔を見せる。
(なんだコイツは……何を企んでいる……?)
「あれ? なんか警戒させちゃったかな? ごめんね」
意外なことに、レオンからは闘気の欠片も感じられなかった。それどころか、その青い瞳は、まるで少年のようにキラキラと純粋な輝きを放っている。
(陛下! どうやら勇者は陛下の正体に気づいてないみたいですよ?)
リリィの念話が頭に響く。
(馬鹿な……こんな至近距離で魔王の気配に気づかんとは……)
(変身魔法が完璧なんですよ! それより、この状況は美味しいですよ? 勇者との絡みなんて、ファンが熱狂すること間違いなし!)
(お、お前という奴は……!)
しかし、トップ配信者を目指すと決めた以上、ファンが喜ぶことは何でもやらねばならない。
マオは大きくため息をつき、仕方なく小さな手を胸に当て、騎士が主君に示すような敬意の仕草をとる――が、魔王としてのプライドが、その動作一つ一つに激しく抵抗した。
(金のため……部下たちのため……これも戦いだ……)
心の中で何度も呪文のように唱えながら、マオはぐっとこらえる。
「こ、これは勇者レオン様……私のような一介の冒険者に、何かご用でしょうか……?」
その声は、微かに震えていた。怒りで。
「ふふっ、堅苦しいのは無しにしよう!」
レオンは爽やかに笑うと、いきなり爆弾発言を投下した。
「君の恐るべき戦闘力には、心の底から感服させられたよ。ぜひ――僕の勇者パーティに入ってくれないか?」
刹那、まるで時が止まったかのような沈黙が広場を包んだ。
そして次の瞬間――。
「ええええええええ!?」
「マジかよ! 新人なのに!?」
「でも納得……あの強さなら……」
「夢のまた夢が……!」
周囲の冒険者たちが、蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
無理もない。勇者パーティとは、文字通り世界の頂点に立つ組織だ。人類を魔王から守る最後の砦にして、最強の剣。王国は彼らに最高レベルの特権を与え、年間予算は中堅国家の国防費にも匹敵する。
冒険者にとって、それは手の届かない星のような存在。一生かけても辿り着けない、輝かしい夢の頂点なのだ。
しかし――。
マオは、目を真ん丸に見開いて絶句していた。
(は……? はぁぁぁぁ!?)
頭の中が、真っ白になる。
なぜ、自分が。魔王が。不倶戴天の敵である勇者パーティに勧誘されているのか。
この男は、一体何を考えているのか――?
「そう! 君となら、きっと魔王ゼノヴィアスを討伐できる!」
(……は?)
マオは、あまりの衝撃にポカンと口を開けて勇者を見上げた。
自分で自分を討伐する? それは一体どういう哲学的命題なのか。
なおもレオンは、瞳を輝かせながら熱く語り続ける。
「あの邪悪な魔王を倒し、世界に真の平和をもたらすんだ! 僕は確信している。マオちゃん、キミこそが、運命の仲間だと!」
そう言いながら、レオンは胸ポケットから黄色いバラを一輪取り出した。
優雅に、まるで舞台俳優のような洗練された仕草で、片膝をついてマオに差し出す――――。
「お断りします!」
マオは即座に、絶対零度の声で切り捨てた。
その赤い瞳には、もはや隠しようのない怒りの炎が燃え盛っていた。
「えっ!? な、なぜだい!?」
レオンが困惑の表情を浮かべる。冒険者として最高の栄誉、誰もが夢見る地位を、なぜこの少女は拒絶するのか。彼には理解できなかった。
「ゼノヴィアスは究極の悪だよ!?」
レオンが立ち上がり、熱弁を振るう。
「あいつを放置していては、世界は再び闇に包まれてしまう! 君ほどの力があれば、それを防げるはずだ!」
ギリッ……。
マオの奥歯が、砕けんばかりに音を立てた。
(究極の悪だと……? ふざけるな……!)
怒りが、地底のマグマのように体の奥底から噴き上がってくる。
(停戦協定以来、余は一度たりとも人間界を侵略していない! それどころか、部下たちは飢えに苦しみ、スライムの出がらしで命を繋いでいるというのに!)
憤怒が限界を超えた。
(世界中の富を独占し、経済で大陸を支配する王国こそが悪ではないか! そして、その手先であるお前こそが――!)
ヴゥゥゥン……!
マオの小さな右拳に、青白い光が宿り始めた。
それは、全てを貫き、全てを破壊する究極の肉体強化魔法――天穿拳。
魔王ゼノヴィアスが五百年の戦いで編み出した、神をも殺す必殺の一撃。




