18. これが【魔王】
ワイバーンは首を限界までねじ曲げ、ぐるぐると回転しながら上昇していくマオを追いかけた。黄金の瞳には、理解を超えた行動への困惑と、わずかな恐怖が宿り始めていた。
まもなくマオは、荒削りな岩肌が牙のように不規則に突き出た天井に到達する。
そして起きた光景は、常識を完全に逸脱していた。
サルのような軽やか身のこなしで、岩肌の突起をヒョイヒョイとつかみながら天井を移動する。まるで重力などないかのように――――。
やがて適切な窪みを見つけると、足先をすっと差し込んだ。
そして――。
コウモリのように、完全に逆さまにぶら下がったのだ。
銀髪が滝のように下へと流れ落ち、重力に逆らう異様な姿。赤い瞳が、逆転した世界からワイバーンを見下ろす――いや、この状況では見上げているというべきか。その姿は美しくも奇妙で、人間を超越した何かを感じさせた。
〔コ、コウモリ!?〕
〔マオちゃん、あなた一体……〕
〔ちょっと待って! 人間ってこんなことできたっけ?〕
その姿を見た五万を超える視聴者は『見てはいけないものを見ているのではないか?』という不安に駆られてしまう。
しかし、サキサカはプロ解説者として冷静に盛り上げていく。
「おーっと! マオ選手! これは何を狙っているんだ? こんな展開見たことないので私も今ものすごく興奮しています!!」
「上から攻撃を放つ……ってことですか?」
リリィは首を傾げた。
「いや、上から攻撃しても鱗は貫けませんから、それはないはずですが……」
「天井にいるマオちゃんにブレスを放ったら、ワイバーンは勝ててしまう?」
「いや、それは逆効果ですね。天井を向けて口を開けば、逆鱗をさらすことになりますからね。ワイバーンもそれが分かっているから、ただ様子をうかがうばかりですね」
息が詰まるような静寂が、広間を支配した。
五万の視聴者、解説者、そしてワイバーン。全ての存在が、次の瞬間を固唾を呑んで見守る――。
そして、悪夢が始まった。
マオが右手を振り上げ――。
ズガーン!
耳をつんざく轟音。岩盤を殴りつける音が、まるで雷鳴のように洞窟全体に響き渡った。白い拳が岩に深々と食い込み、そこから亀裂が蜘蛛の巣のように広がっていく。
ズガーン! ズガーン!
機械的で、規則正しいリズム。まるで死刑執行の太鼓を叩くように、淡々と、しかし確実に天井を破壊していく。一撃ごとに石の破片が剥がれ落ち、石の雹となってワイバーンの頭上に降り注ぐ。
「え……? これは何をやっているんですか?」
リリィは眉を寄せる。魔王の行動は時に理解を超えることがある。しかし、これは今までとは違う何か、とてつもなく恐ろしいことが起きようとしている予感をはらんでいた。
「いやぁ……」
サキサカは腕を組み、冷や汗を流しながら首を振る。
「私も長く解説やらせてもらっていますが……ごめんなさい、こんな不可解な、いや、こんな狂気じみた行為、見たことも聞いたこともありません。何がやりたいのか、本当に全く分かりません」
ワイバーンの全身が、本能的な恐怖で震え始めた。
何かが来る。何か恐ろしいものが――。
しかし、何が? まさか――。
くっ!
恐怖に耐えきれず、慌ててマオに向けて炎矢を放とうと口を開きかけた、その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴ……。
世界が震えた――――。
地鳴りというには巨大すぎる、まるで大地の神が目覚めたような振動が、フロア全体を、いや、ダンジョン全体を震撼させた。
最初は髪の毛ほどの細い亀裂だった。
しかし、それは瞬く間に成長し、拡大し、増殖していく。天井全体に巨大な蜘蛛の巣が描かれたかと思うと、次の瞬間には、それが大惨事へと変わった。
へ……!?
ワイバーンの瞳が限界まで見開かれ、純粋な絶望が宿る。
ゴッゴゴン!!
世界が終わるような衝撃音――――。
天が、落ちた。
比喩ではない。文字通り、天井の岩盤が次々と崩落したのだ。
何万トン? いや、もはや計測不能な質量が、重力に従い、逃げ場のないワイバーンめがけて落下する。
落ちてくる天を見上げながら、ワイバーンは走馬灯のように自分の人生を振り返った。そして理解する。
これが、【魔王】なのだと。
敵を倒すためだけにダンジョンを崩壊させる。それもこぶし一つで。ありえない――――。
自分が魔王になろうなどとは百万年早かったのだ。
ズゴォォォォォン!
大地を砕くような轟音と共に、B級ダンジョンボスは、天の重みに完全に押し潰される。
土煙が巨大なキノコ雲を形成し、全てを覆い隠していった。