13. 伝説のヒノキの棒
「はーい、皆さん! 今日も美少女剣士マオちゃんの登場でーす!」
リリィの弾けるような声が洞窟に響き渡った。
(ほら、陛下! 手を振って!)
リリィはキッとマオをにらむ。
ふんっ!
マオは仏頂面のまま、まるで重い荷物を持ち上げるような動作で、嫌々手を振った。その不機嫌さが隠しきれていない仕草に、視聴者たちは逆に熱狂した。
〔キターーーー!!〕
〔マーオちゃーーん!〕
〔正座待機余裕!〕
〔今日もクールビューティー最高!〕
配信が始まった瞬間、まるで堰を切ったようにコメントが流れ始める。画面の端を埋め尽くす文字の奔流は、まさに視聴者たちの興奮の表れだった。
(陛下! もうちょっと愛想よく!)
(ふんっ! これが限界だ!)
ゼノヴィアスの頑なな態度に、リリィは小さくため息をついた。
(もぅ……)
しかし、すぐに気を取り直して、配信者モードに切り替わる。
「えー、今日はB級ダンジョン『漆黒の廃坑』に来ています! B級ですよ? B級!」
リリィが大げさに両手を広げてみせる。その言葉に、コメント欄が一気に騒然となった。
〔B級!?〕
〔マジかよ……〕
〔ハイ! 死んだ! マオちゃんシボンヌ!〕
〔いくらなんでも無謀すぎる〕
視聴者たちの心配をよそに、マオは泰然と立っていた。B級だろうがA級だろうが、所詮は人間どもが勝手に決めた基準。世界最強の魔王にとってはどこであっても子供の遊び場のようなものだ。
その余裕の表情を見て、リリィの瞳に悪戯っぽい光が宿った。
「でも! 単に攻略するだけじゃマオちゃんにとっては余裕すぎかも?」
リリィは芝居がかった動作で首を傾げる。
「そこで、今日は特別企画! これで戦ってもらいまーす!」
小さな手がアイテムボックスに伸び、中から取り出したのは――。
ただの角材だった。
「ジャジャーン! 『ヒノキの棒』~!」
ヒノキの香りがかすかに漂う、どこにでもあるような一本の棒きれ。リリィはそれを満面の笑みでマオに差し出すと、素早い動作でマオの背中の大剣を引き抜き、自分のアイテムボックスにしまい込んでしまった。
「はぁっ!?」
マオの赤い瞳が、信じられないという様子で見開かれた。角材をまじまじと眺め、リリィを見て、また角材を見る。
〔なんとB級で『ヒノキの棒』縛り!〕
〔さすがマオちゃん、痺れる、憧れるぅ!〕
〔これは伝説の配信になる予感〕
〔無理ゲーすぎて草〕
「ちょ、ちょっと待て……」
マオは慌ててリリィに詰め寄る。その様子は、普段のクールな姿からは想像もつかない狼狽ぶりだった。
「マオちゃんならこのくらいのハンデは余裕ですよね?」
リリィは天使のような笑顔を浮かべながら、その瞳だけは悪魔のように光らせた。
「あ、拳で倒すとかダメですからね? ちゃんと角材で戦ってください」
ジロリとマオの顔を覗き込む。その視線には『これが【金】につながるんですよ?』という無言の圧力が込められていた。
「拳もダメ、この角材一本で倒せだと!?」
信じられないという様子で、マオは手の中の角材を見つめた。試しに洞窟の壁を軽く叩いてみる。
パァン!
乾いた音と共に、角材は見事に真っ二つに折れ、木片が宙を舞った。
マオの顔から血の気が引いていく。これで一体どう戦えというのだろうか。素手の方がはるかにマシではないか。
「あぁ、マオちゃん、ダメです!」
リリィが大げさに肩をすくめる。
「本番の角材は一本だけですよ? 壊さずにボスまで倒してくださいね?」
そう言いながら、もう一本角材を取り出してゆらゆらと振ってみせる。その仕草が、なんとも憎らしい。
〔角材でボスが倒せるわけがない〕
〔ハイ! 死んだ! マオちゃんシボンヌ!〕
〔でも見たい! 超見たい!〕
〔スパチャ投げる準備完了!〕
視聴者たちの興奮と心配が入り混じったコメントが、画面を埋め尽くしていく。
(お前、こういうことは事前に言っておけ!)
がっくりと肩を落とすマオ。五百年の魔王人生で、こんなに理不尽な要求をされたことがあっただろうか。
(事前に言ってたら臨場感なくなるからダメなんです! その落胆のリアクションも含めて配信なんですよ!)
リリィの返答は、悪びれもしない明るさに満ちていた。
(策士め……)
マオは忌々しそうにリリィを睨みつけた。その赤い瞳には、かつて勇者たちを震え上がらせた魔王の威光が、ほんの一瞬だけ宿った。
しかし、画面の向こうの視聴者たちには、それが「困り顔の美少女」にしか見えていないのだった。




