7 二度目の別れ
私は地下牢でわずかな食事と水を与えられるだけの生活になり、無気力で何も考えられなくなり、劣悪な環境の中、そのまま衰弱死した。最後の方、意識はずっとおぼろげで、いつ死んだのかもわからない。
今思えば一度目の人生はおかしな幕引きだった。
エルティミオ様が連れていたアンナという女性はゲーム内では見たことのない女性。悪役顔でもなかったし、ヒロインのアリシア嬢のような美少女というわけでもない。言い方は悪いがごく普通の貴族令嬢に見えた。
仮にあのアンナという女性がヒロインで、エルティミオ様がヒロインとの愛を貫くために私を地下牢に放り込んだのだとしても、冤罪で公爵令嬢を地下牢に幽閉し衰弱死させたなど大問題だ。それに、ずっと私の味方をしてくれていた王妃様は何もしてくれなかったのだろうか。
腑に落ちないことが多々あって、脳裏には『強制力』という言葉がよぎる。
そう考えてぶるりと震える。
――私が悪役令嬢だからゲームの強制力が働いたってこと……?
まさかね……。
この世界がそこまで終わっているとは思えない。
◇
「え、ドラセナ公国へ……」
「ああ……大公が急逝したらしく、公国を治められる人材がいないんだ。こんな結婚してすぐ国を離れるのは嫌なのだが……」
一度目と同じ展開。彼は大公の息子が成人するまでの三年間、ドラセナ公国で代理の大公を務めることを説明した。
「三年間ですよね。私、エル様のお戻りを待っています」
私は一度目と同じ台詞を告げる。子どもの部分だけ省いて。
「いやだ。君も来てくれ」
「へ……?」
想定外の返事に私は目を丸くした。
「ルーシェが一緒でなければ行きたくない」
「い、いえ……無理です。ひと月もの長旅になるのですよね。私には耐えられません。きっと足手まといになってしまいます」
ちょっと我儘な発言にも聞こえるが、王都で育った貴族女性なら普通だろう。
それにドラセナ公国へ行ってわざわざエルティミオ様とヒロインが出会って恋に落ちるシーンなど見たくない。
「だよね。ひと月もの馬車の旅でもし君に何かあったらと思うと……。やはり私以外で適任者がいないか早急に探すか……」
「え!?」
そう言うとエルティミオ様は足早に部屋から出ていった。
数日後──
「エル様、お気を付けていってらっしゃいませ」
エルティミオ様は他の適任者を探したようだが、崩壊寸前の国を建て直すことのできるほどの能力と権力を兼ね備えた人材など簡単には見つからず、結局エルティミオ様が公国へ行くこととなった。
「急いで戻ってくるから、必ず待っていてくれ」
急いで? 大公の息子が成人するまでの三年間は戻れないはず。私は頭にハテナが飛び交うが、エルティミオ様は私をがっちり抱きしめて「愛している。ルーシェ……」と囁く。
「エル様……」
「私も愛しています」という返事はできなかったが、エルティミオ様からの口づけにやはり涙を流してしまう。
◇
「さてと……」
エルティミオ様がようやく旅立ってくれて私は安堵した。
私が妊娠していることは彼に報告しなかった。それどころか月のモノが止まっているのに、ドレスで隠れる箇所を自傷して下着に血液を付着させ、月のモノが来ているように装い、侍女のナタリーに報告した。
月のモノと比べると出血量が明らかに少ないのだが、そこはコントロールしていると言えばナタリーは納得した。
私は王太子妃だからエルティミオ様の子を望まれている。ナタリーはエルティミオ様へ私に月のモノが来たことを報告する義務がある。
適当なタイミングで月のモノが終わったことを報告するとエルティミオ様は私を抱きたがり、それを躱すのが大変だった。
「愛する君を一刻も早く孕ませて、君が私のものである証拠を君の身体に残したいんだ……」
言われたときは、ぞわりと足元から悪寒が駆け巡った。
「に、妊娠していなくても結婚しているのですから……そ、それに私ちょっと風邪気味で……」
ぶるりと震えて身を抱え、風邪をひいたふりをして別室で寝たいといえば、私の身体を案じてそれを受け入れてくれてホッとした。
これで誰にも知られずに私は妊娠することができた。
あとはお腹が大きくなる前までにここから逃げ出すだけ。
だが一つ気がかりなことがあり私は実家の公爵家へ行った。
「お父様、最近のお加減はいかがですか?」
「突然どうしたんだい。私は至って元気だよ」
そう話す父の表情は明るくて顔色も良い。やせ細った様子は見られず、これから体調を崩してあと数か月で亡くなってしまうとは到底思えない。
「お仕事は忙しいですか?」
「そうだね。最近、補佐官がやむを得ない事情でやめてしまったからなかなか大変だよ」
「あまりご無理なさらないでくださいね」
私は心から心配してそう言うと父は「なんだか今日は優しいな」と笑った。
本当は父が亡くなるところまで一緒に過ごして、父の最期を看取りたいところだが、さすがにそのころにはお腹が目立ってしまうだろうから一緒にはいられない。
「くれぐれもお身体を大切にしてください」
私が涙目で父にしがみついてそう言うと「またどうせ王宮で会えるのに最後の別れみたいなことを言うんだな」と笑っていた。
――お父様……どうか、お元気で……。
◇
「王妃様、先日お話をされていた宝物庫で保管している絵画を拝見したいのですけど、宝物庫の中に入ってもよろしいでしょうか?」
「ええ、良いけど、気になるなら侍女長に用意させてお茶をしながら鑑賞会でもしましょうか?」
「いえ、他の絵も見てみたいので私が直接足を運びます」
「そう。わかったわ。宝物庫の鍵は騎士団と侍従室で二重管理をしているので、あなたに渡すように伝えておくわ」
宝物庫内は王族のみが入れるようになっている。私は鍵を受け取り宝物庫へ向かう。
「あなたたちはここで待っていてね」
私は二重に掛けられた鍵を開け中に入る。
宝物庫には入り口は一つしかない。宝物庫の前にはすでに警備がいるが、私の護衛もそこへ残した。
そして私は宝物庫の鍵を閉める。
「いつ頃くるのかしら……」
私はこの王宮からの脱走を企んでいる。
だが王宮内には警備の騎士がたくさんいて、暗殺などに備えて私の周りにはいつも侍女やメイドや護衛が控えており、王宮から出ていこうものならすぐに捕まってしまう。
私には協力者が必要だ。
カチャッと扉が開くわずかな音がして私はそちらに振り向いた。
一つしかない鍵のかかった扉から堂々と男が入ってきて驚いた。男はすぐに扉を閉めてキョロキョロと宝物庫の中を見る。
「よしっと……っ、うわぁっ──」
入ってきた男は誰もいないと思ったのだろう。棚の下に小さくなって入り込んでいた私とバチッと目が合い、大きな声を上げそうになり自身の口を慌てて押さえていた。
「待っていたわよ、泥棒さん!」
私はすぐに棚から出て、護身用の短剣を前に突き出して、悪い顔をして笑ってみせた。
私は今日この場所に泥棒が入ることはわかっていた。
◇
一度目の人生で宝物庫に泥棒が入ったと知ったのは後になってのことだった。
国王陛下の許に一枚の紙が落ちてきて『王家の秘宝は頂いた』ただその一言だけが書かれたもので、陛下は慌てて宝物庫に確認に行ったらしい。
午前中に陛下が宝物庫に入ったときにはあった王家の秘宝が夕方には一つ無くなっていた。
その話を聞いたとき、犯行を知らせたい劇場型の泥棒なんだなと思った覚えがある。
宝物庫に泥棒が侵入し秘宝が盗まれたなど大問題で、警備の不備や秘宝とはどんなものか、など国の知られたくない部分が明るみになってしまうため、秘宝が盗まれたことは陛下はほとんど口にせず、国の上層部でもごく一部の者しか知らない事実だ。
私も王族で宝物庫に入る権利のある人間なので陛下に呼ばれて、その日の行動について聞かれた。そして陛下は私にも危険が及ぶが知れないと、教えられる範囲で事件のことを教えてくれた。
盗まれた秘宝はどんなものか教えてもらえなかったが、警備の騎士の話では一つしかない宝物庫の扉はその間開かれることはなかったらしい。そして最後に宝物庫でも決して一人にならないようにと言われて話は終わった。
窓もない。一つしかない扉を開けずに宝物庫に侵入した泥棒。かなりの凄腕なんだろう。
私は今日、その泥棒がここへ侵入してくることを知っていたので先回りをした。
泥棒を捕まえるつもりなど毛頭ない。
「泥棒さん? ここに騎士を呼ばれたくなければ──」
泥棒を脅して協力者になってもらおうと思っているのだ。かなり危険なことをしている自覚はある。だから短剣を泥棒に向けている。
「っ!」
「騎士を呼ぶなら殺す……」
一瞬で腕を叩かれ、奪われた短剣を私の喉元に突き付けられた。
私は甘すぎた。簡単に形勢逆転されてしまった。
やはりこんな計画無理があったかと私は唇を噛んで男の顔を間近で見た。
至近距離でにらみ合いをして、じっくりその顔を見てハッとした。
「あ、あなた……まさかウォーレン……?」
「知り合いか?」
泥棒は突き付けた短剣を少し離す。
知り合いではない。一方的に知っているだけだ。
なぜなら彼は乙女ゲーム『恋シェフ』の攻略キャラの一人だから。
大怪盗のウォーレン。大怪盗ワロンの名で登場し、シェフレラ学園の図書館にある持ち出し不可で閲覧のみ可能な貴重な秘蔵書物を盗もうとしたときにばったりヒロインと出くわしてしまう。ウォーレンは平民なので、貴族令嬢のヒロインはウォーレンを攻略すると駆け落ちエンドとなる。
ゲーム内のヒロインであるアリシア嬢は留学を選び学園には入学しなかったので、彼は大怪盗ルートで出てくるライバルキャラのドロシーと結ばれているはずだ。ドロシーもアリシア嬢もウォーレンが怪盗をしていることには否定的でウォーレンは一時的な金策のために怪盗をしているだけだと説明していた。
「なんで泥棒なんてしてるの? ドロシーは? お金に困っているの……?」
ゲームの中では学園卒業以降のことは描写されていない。アリシアが学園に入学しなかったことによりドロシーとウォーレンの関係まで変わってしまったのだろうか。
するとウォーレンがくしゃりと顔を歪ませた。
「ドロシーの命が危ないからこんなことやってるんだよ……」
「え……?」
私がどういうことかと追及するとウォーレンは意外にも「知り合いか?」の部分はスルーして簡単に事情を説明し始めた。
どうやらドロシーは病気で薬が必要らしいのだが、高価な薬でその薬を手に入れるだけのお金が普段の仕事の給金だけでは賄えず、王家の秘宝を盗み出せば大金をくれてやると怪しげな男に話を持ち掛けられたらしい。
「本当にその人がドロシーを助けられるほどの大金をくれる保証はあるの?」
「わかんねぇよ。でもそれ以外に道はない」
話していくうちにウォーレンは私から短剣を離して、目当てのモノを探し始めた。
「あっ、あった。アイツが見せてくれた絵と同じものだ……」
ウォーレンは小箱から指輪を取り出し中身だけをポケットにしまい、小箱は元の位置に戻した。
「ねぇ、ウォーレン。ドロシーを助けるための大金は私が用意するから、あなた私に協力してくれない?」