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3 乙女ゲーム転生

 一度目の人生だって、悪役令嬢の私はバッドエンドを迎えたりしないようかなり慎重に過ごしてきたはずだった。



     ◇



 一度目の人生で日本人女性だった前世を思い出したのは十歳のとき。


 その日、王宮の庭園に同世代の貴族の子女が集められお茶会が開かれた。隣国の王子様との交流会で呼ばれたが、立太子前の我が国の第一王子エルティミオ様のご学友候補、婚約者候補選びも兼ねた会だった。


 穏やかな春の陽気の中、私は自慢のストロベリーブロンドを靡かせながら華麗な挨拶を披露して回った。そんなとき、金髪碧眼の王子様であるエルティミオ様がとある令嬢と挨拶をする様子を見て、胸がドクリと強く跳ねた。


 ――あのスチル見たことある!


 スチル……!?

 そこで脳内に一気にたくさんの情報が舞い込んだ。


 日本人女性だった前世。田舎で育ち、料理が好きで地元の調理学校で調理師の免許を取り、都会に憧れ成人と共に上京した。それからずっと東京のレストランで働いていたが、都会の生活は肌に合わず、職場以外で知り合いができることもなく、仕事以外の時間は乙女ゲームに費やしていた。どのように死んで、なぜ転生したのかはわからないけど……


 ――あのスチルは確か……そう! 『恋シェフ』だわ……!


 この世界が前世の最後にハマっていた乙女ゲーム『恋する乙女のシェフレラ学園物語』略して『恋シェフ』の世界であることに気が付いた。

 この世界には魔力という概念がある。杖や呪文を使って火や水を出す、という魔法を使うことはできないが、魔法道具を介して魔力を込めれば水も出るし火も出てくる。前世の科学に当たる部分は私たちの保有する魔力と魔法道具に頼って生活をしてる。十年間この世界で生活をしてきた私は魔力も魔法道具も当たり前のもので違和感などは感じない。



「え、ちょっと待て……。私の名前は……リナルーシェ・ステファニア……。リナ、ルーシェ……!?」


 ああ……最悪だ。悪役令嬢に転生しちゃってるわ……。

 『恋シェフ』ではルートごとに悪役令嬢が存在するのだが私はメイン攻略キャラクターである王太子ルートの悪役令嬢。


 私はまだ十歳の少女だが、一瞬で人生を投げ出したくなった瞬間だ。だがすぐに思考を切り替える。


「いや、まだだわ……。人生はこれから。まだ私は断罪されるようなことなど何一つしていない」


 高位の貴族令嬢で多少高慢でわがままなところはあるかもしれないが、断罪されるほどのことはまだ何もしていない。

 前世で悪役令嬢転生の物語はいくつかあった。思わぬ展開を迎えるものばかりで、私が転生した世界もシナリオ通りに進むものかなどわからない。

 それならば断罪されないように用心して過ごして運命(シナリオ)に抗ってみればいいじゃないか!

 私はとてもポジティブだった。


 そして思い出す。さっきエルティミオ様に挨拶をされていた令嬢は伯爵令嬢のアリシア・ポリシャス嬢。『恋シェフ』のヒロインだ。


 庭園を一人でブツブツ呟きながらぐるりと一周して戻ってくると木の陰に女の子が蹲っていた。


「え、どうしたのですか? お腹痛い? 大丈夫でしょうか?」


 私は心配になって声を掛けると瞳にいっぱいの涙を溜めた美少女がこちらを向いた。

 その少女は先ほど見かけた『恋シェフ』のヒロイン、アリシア・ポリシャス嬢だった。


「私、気付いちゃったの……。好きな人がいても、身分とか立場でどうしようもないこともあるってことに……」


 アリシア嬢はそう言ってめそめそ泣いていた。私はゲームのシナリオを思い返す。

 確かにアリシア嬢には親の決めた婚約者がいた。これがまた浮気者の婚約者で、アリシア嬢はこの婚約者に苦労をするのだが、このゲームに登場する複数の攻略キャラは二人の平民キャラを除けば、みな高位貴族の令息で、平民キャラを選ぶと駆け落ちエンドになるが、それ以外の攻略キャラであれば浮気者婚約者を断罪してくれる。

 そうなると彼女が浮気者婚約者とどうこうなる未来はない気がする。


 庇護欲をそそる愛らしい顔に涙目でこちらを見上げられ、私の胸はキュンとときめいた。

 かわいい……! ヒロインの力恐るべし……!


「大丈夫ですわ。世の中どうしようもないことなんて何もない! あなたが望めば運命にだって抗える。私は絶対に抗って見せるのですから!」


 私もしゃがみ込んで、彼女と視線の高さを合わせて彼女の両手を取ってギュッと包み込んだ。


「あなたも身分や立場で悩んでいることが……?」

「ありますわ! でも私は諦めない!」


 私が真っ直ぐ彼女の目を見つめると、彼女は涙を拭って立ち上がる。


「ありがとう! あなたのお陰で元気が出たわ。私は私の王子様と結婚できるように頑張るわ! あなた、名前は?」

「私はリナルーシェ・ステファニアです。あなたは?」


 アリシア嬢であることはわかっているが、私も同じように彼女に質問する。


「え、ステファニア公爵家の……? ご、ごめんなさい。私知らずに失礼な言葉遣いを……」

「気にしないでくださいませ! そうだわ。お互いに敬語はやめましょう!」


 まだ私たちは十歳だもの。敬語なんて使わない方が自然だ。


「わ、私はアリシア・ポリシャスよ」


 先ほどとは打って変わっておどおどとした様子で名前を言った。


「アリシア嬢。よろしくね」


 それから私たちは少しだけ話をした。令嬢らしく流行の髪型や好みのドレスの話など、他愛のない話だったが、始めはおどおどとしていた彼女とも徐々に打ち解けてくる。


 そんなとき、庭園の中心の方でキャーッと叫び声が聞こえて私たちは駆け寄った。


「とってぇ……いやっ、いやぁっ……!」


 一人の少女の鮮やかな黄色のドレスに大きな虫が付いていた。春になると現れるタムタムという虫で、前世でいうダンゴムシのような虫だが子どもの拳くらいの大きさがあり、ちょっと迫力がある。


 そういえば王太子ルートではエルティミオ様の回想でこのときの出来事が語られていた。この少女を助けるために虫に怯えながらも懸命に虫を取ろうとする姿が気になった。とかだった気がする。


 先ほどアリシア嬢は言っていた。「私の王子様と結婚できるように頑張る」と。彼女はきっと王太子ルートを選ぶのだろう。そう思って彼女をちらりと見てみると──


「むりっ! むりっ! 本当にむりっ……!」


 さっさと私の背に隠れて、私はポカンとしてしまう。


 ――え、? 王子様が惚れちゃうような健気な姿は見せてくれないの?


 少女は「お願い、取って……」と縋るような目でアリシア嬢を見つめていたが、彼女は私の背に隠れて出てこない。


「取ってあげないの?」


 私はこっそり彼女に聞くが「無理よ! 虫、苦手だもの! 騎士様でも呼んで」とすぐに諦めの答えが返ってくる。

 まあ、苦手な人からしてみれば嫌だよね、とも思う。


 すると第一王子のエルティミオ様が「騎士を呼ぶほどのことではない。わ、わたしが……」と前に出る。でもどう見ても手も足も震えていて、彼もまた虫が苦手なのだろうということが推測できる。


 私はこっそり小さなため息をついて、エルティミオ様に言う。


「殿下の手が汚れてしまうので、私が……」


 さっと彼の前を通り、少女のドレスに付いたタムタムを素手でガシッとつまんで、少女のドレスから引き離す。


「もうこれで大丈夫ですわ」


 少女は呆気にとられたような顔で「ありがとうございます」とお礼を言った。私はにこりと微笑み手に持ったタムタムを庭園の一番端にある木まで連れていき、木の幹にくっつけた。


「田舎育ちが役に立ったわ……」


 田舎で育った前世では虫取りは幼少期の定番の遊びで、大人になってからも職場で虫が発生したときは私の出番だった。


「手、洗ってこなくっちゃ……」


 私は化粧室に行って手を洗う。正面の鏡を見て『恋シェフ』の悪役令嬢リナルーシェに転生していることを再確認した。

 緩く波打つストロベリーブロンドの髪に若草色の瞳。今は十歳の少女だけど、悪役令嬢なので、将来はきつめの美人になりそうな顔つきだ。


 私はスーッと深呼吸をして心を落ち着かせる。


 『恋シェフ』という乙女ゲームはタイトルが『恋する乙女のシェフレラ学園物語』というだけあって、王立学園が舞台になっている乙女ゲームでゲームの開始はもちろん学園の入学式。悪役令嬢の断罪は卒業式と決まっている。

 ヒロインはアリシア嬢一人で、攻略対象は王太子殿下、宰相の息子、騎士団長の息子、侯爵家の息子と高位貴族が並ぶ中、変わり種的な感じで平民の大怪盗や暗殺者などもいた。選んだ攻略キャラそれぞれに悪役令嬢のようなライバルキャラが存在し、私は王太子殿下ルートのライバルキャラだ。

 悪役令嬢は自分の婚約者がヒロインに心惹かれる様子を見て嫉妬して、ヒロインに嫌がらせを繰り返す。それを毎回攻略キャラが助けてくれて、二人の仲は深まっていく。そして悪役令嬢は卒業式に断罪される。そんなシナリオで進むゲームだった。


 前世で人気のあった乙女ゲーム系の創作物では主人公はヒロインでなく悪役令嬢やモブ令嬢というパターンもあった。断罪された悪役令嬢が王子様を論破したり、隣国の王太子がかっさらうパターンもあった。『恋シェフ』でも二次創作が流行し、過激な設定などは公式が否定したりということもあった。ゲームの強制力でシナリオに抗えないなどということもあるかもしれない。


 だが思う。十年間この世界で生きてきて何も悪いことをしていない人間がいきなり断罪される世界なんてありえない。

 強制力? 精神干渉でもするような違法な魔法道具でも使わないとありえない。でもそれはただの違法行為で強制力でもなんでもない。犯罪に巻き込まれたと表現しても良いと思う。


 そこまで考え私のするべきことははっきりした。

 謙虚に真っ当にこの人生を送る。そして、仮に私がエルティミオ様の婚約者になったとしても、いつでもヒロインのために身を引けるような心構えをしておこう。

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