26 お礼とお別れ
「ルルシアの作るオムライスがもう食べられないのは残念だなぁ」
「父さん、ルルシアさんがいなくなってから、毎日オムライスが食べたいってしつこかったんだよ」
私とエルティミオ様は話を終えて、フィカスの町を発つことになっていたのだが、私はエルティミオ様にお願いして、王都へ行く前にシュロの町へと寄ってもらった。
「お世話になったレストランの方々にお礼を伝えて、ちゃんとお別れがしたくて……」
と言えばエルティミオ様は優しく微笑み、私の指に「ではこれが必要だね」と指輪をはめてくれた。
ただし「男物の腕時計をしているのは気に入らないんだよね」と言われてウォーレンからもらった姿を消したように見える魔法道具は取り上げられてしまった。もう必要のない魔法道具なので別に良いのだけど、つい先ほどまで優しく微笑んでいたエルティミオ様は時計の針さえも止めてしまえそうなほど殺気立った目で腕時計を見ており身がすくみそうだった。
シュロの町でお世話になった人たちと挨拶をするドロシーの姿をした私の首にはエルティミオ様の執念……もとい、魔力の込められたネックレスが掛けてある。
魔力以外の禍々しいものが込められている気がして、恐怖のアイテムなのだが、私がこれに助けられたことも事実なので、逃げ出すつもりがないという意思表示のつもりでそれを身に着けることにした。
「良かったらレシピ教えますよ!」
突然シュロの町からいなくなった私にベンジャミン先生のお父様であるレストランの料理長もお兄様のロバートさんも文句を言ったり怒ることもなく、無事でよかったと言ってくれた。
「勘違いで家を飛び出してきちゃうなんて、ルルシアさんも結構そそっかしいのね。それにしてもケビン君はなんでDV旦那さんから逃げてるなんて思い込んでいたのかしら……?」
「ははっ、なんででしょうね……」
それは私がそういう目で見られていることに気付きながらも否定をしなかったからなのだけど、ミーナさんに言われた私は笑って誤魔化した。
「私のせいで皆様にご心配をお掛けして、申し訳ございません。長い間、妻が大変世話になりました」
「いえいえ、ルルシアさんが貴族のご夫人であるなんて知らずに、うちで仕事をさせてしまってこちらこそ申し訳ございませんでした」
「いえ……こちらでの仕事は楽しくやっていたようですので……」
金髪を茶色に染めて変装したエルティミオ様は深々と頭を下げた。
ミーナさんは教えてくれた。私のいなくなった日から町には騎士がうろつくようになり、夫から逃げているというルルシアは実はとんでもない人で、自分たちは匿ってはいけない人を匿ってしまったのではと戦慄した、と言う。
「殺人鬼とか、大泥棒とか……! 実はどこかの国の王子様のお妃様かも! なんて盛り上がったのだけど、お貴族様のご夫人だったなんてね」
そんなふうに言われてぎくりとしたのは言うまでもない。
◇
「ルーシェがこんなに美味しい料理を作れるなんて知らなかった!」
私は店の休憩の時間帯に料理長へオムライスのレシピの説明がてら厨房を借りてオムライスを作った。
エルティミオ様は私が厨房へ行くと言うと「火傷しない?」「手を切らない?」と何度も心配だ心配だ、と言ってくるので「アルヴィンとここで待っていて下さい」とホールのテーブルで待ってもらうことにした。
エルティミオ様と二人で待つことに不安げな顔をしたアルヴィンだったが「ママがオムライスを作るからここで待ってて」と言うとアルヴィンは「おみゅらいちゅ!」と目を輝かせてエルティミオ様の膝の上に大人しく座った。
アルヴィンが膝の上にいることにエルティミオ様も「アルヴィンが……私の、膝の上に……!」と目をキラキラと輝かせ、厨房へついてくることなくホールで待ってもらうことができた。
私の作ったオムライスをアルヴィンは「おいちぃ、おいちぃ」と、エルティミオ様も「美味しい」と言ってペロリと平らげてくれた。
「変わった料理だったけど、本当に美味しかった! ルーシェの昔の記憶のこと……今度ゆっくり聞かせてなんて言ったけど、やっぱり気になるな……! もちろん、ルーシェが他にどんな料理を作ることができるのか、なども気になるけど、料理人って、職場で恋愛したりしてたのかな。ここではケビン・ベンジャミン氏の名前を聞いたから、彼にも会えたら私の最愛の妻がお世話になったお礼を伝えなければと思うけど、彼はこの地には住んでいないんだってね。残念だ」
明るい顔で話していたエルティミオ様の顔がだんだんと仄暗い顔になっていく。ただし、ぱっと見は変わらずキラキラした笑顔。
ベンジャミン先生にも会いにいくことが出来れば、直接お礼を伝えたいと思っていた。だが、片付けのために一旦厨房に下がったとき、やはり私はその場でお礼の手紙を認めて、ミーナさんに手紙を託すことにした。
それから私たちはみんなにお礼と別れを告げて王都へと旅立った。
◇
王都へ向かう旅。エルティミオ様はまだあと一年は公国で大公代理をするつもりだったので、今は王太子としての仕事はほとんどないらしく「陛下と母上には早馬でルーシェの無事は報告した。慌てて帰る必要はない」と色々な町に立ち寄りながらゆっくりと馬車を進めた。
アルヴィンも一緒なので多く休憩を挟んでもらえて助かった。
「アルヴィン! あっちの鳥には餌やりが出来る。パパと一緒にあげてみよう!」
エルティミオ様は移動ばかりではつまらないから寄り道しようと花鳥園のある町に寄ってくれた。
エルティミオ様は積極的にアルヴィンと関わりたがり、何度もアルヴィンに「パパと呼んでごらん」と声を掛けるがアルヴィンは唇をキツく結んで、ニコリともしない。
エルティミオ様はアルヴィンのお昼寝をする様子や、一生懸命におしゃべりをしながら馬車の外を見る様子を見て、ため息を漏らして「可愛い」「尊い」と呟いているので、我が子と仲良くなって可愛がりたいのだと想像できる。
だが、エルティミオ様の努力もむなしくアルヴィンはなかなか心を開かない。
今も花鳥園の係の人から餌を受け取りアルヴィンに渡して、エルティミオ様は鳥への餌やりの見本を見せているが、予想外に大量な数の鳥が寄ってきてしまってアルヴィンは怯えた顔をしていた。
「とりしゃん、こあい。とりしゃん、こあい」
とアルヴィンはエルティミオ様から受け取った餌を再びエルティミオ様に突き返し、私の後ろに隠れてしまう。
エルティミオ様は切なげな表情で一人で二人分の餌がなくなるまで、ひたすら寄ってくる大量の鳥に餌をあげ続けた。
「アルヴィン! ひよこだ。かわいいよ!」
「ひおこ! かーいー!」
育雛箱に入ったひよこを見つけて声を掛けるとアルヴィンは可愛いひよこを見て喜んだ。
「たーご?」
「そうだよ。こっちの卵はこれから孵化してひよこになるんだ」
「たーご? ひおこ?」
育雛箱の隣には孵卵器が置いてあり、今まさに孵化しそうな卵がいくつかあった。
「おっ、ちょうど孵った! 産まれたばかりのひよこだ。可愛いね!」
アルヴィンが食いついて来たのでエルティミオ様はアルヴィンを抱き上げ、卵から孵るひよこを見えやすいようにしてあげたのだが、喜ぶかと思ったアルヴィンは予想に反して、顔を青くしてポロポロと涙を流し始めた。
「ア、アルヴィン!?」
「ふぇっ、うぇーん……! たーご、ばべないっ! うぁーんっ……! ひおこ、ばべない!」
徐々にアルヴィンの泣き声が大きくなって、アルヴィンは「ママっ、ママーっ」と叫び始めた。
エルティミオ様は必死で「アルヴィン? どうしたんの?」と抱っこであやそうとしたが「やー」っと手で押して身体を離そうと仰け反り始めたので、私はエルティミオ様と抱っこを替わることにした。
するとエルティミオ様は「もしかして……?」とどこかへ行ってすぐに手に何かを持って戻ってくる。
「アルヴィン」
エルティミオ様はアルヴィン呼ぶと口の中にスプーンを突っ込む。
「おいちぃ」
「アルヴィン、これは卵から作ったプリンだよ」
「たーご……」
甘いプリンを口の中に入れて泣き止んだアルヴィンは卵と聞いてまた泣きそうな顔をした。
「でもね。ひよこになる卵とは別の卵」
「べちゅ?」
「ああ。アルヴィンが食べる卵はひよこにはならないから、食べても大丈夫。ひよこになる卵は、厨房には行かずにここで大事に育てられる。ちゃんと管理をされているから、アルヴィンが間違ってひよこを食べることはないから、アルヴィンは安心して大好きな卵をたくさん食べて良いんだ!」
「たーご、ばべてい?」
アルヴィンには難しくて理解できていないと思うが、アルヴィンは理由があって卵を食べても大丈夫であることはなんとなくわかったようで、エルティミオ様の説明に対してそう聞いた。
「ああ。食べて良い」
エルティミオ様はアルヴィンを見てしっかり応えるとアルヴィンは嬉しそうな顔をした。
「たーご、ばべる! ぷりん、ばべる!」
「ああ、パパが食べさせてあげよう!」
アルヴィンはエルティミオ様の手から甘いプリンを食べさせてもらって喜んだ。
二人の距離が少し縮まったように見え、私は温かい目で二人の様子を見守った。
◇
エルティミオ様は王宮へ帰る前に約束通り王都にある薔薇園にも連れて行ってくれて、家族旅行でもしているような気分だった。
だが、馬車が王宮の門を通り中へと進むと気分が重たくなってくる。
私がはぁ、とため息を吐くとエルティミオ様は私の手の上に手を重ねる。
「大丈夫。もし人の目が不安なら、新たに警備の厳重な王子宮を建ててもいいよ。ルーシェは静養中扱いになっているから、それも不自然ではないから良いかもね」
彼は私に気を遣った優しい提案をしてくれる。
「もちろん私もそこで生活するし、執務室もそっちへ移動させて、いつでも君たちの様子を確認できるようにしよう。身体が弱いと子を産めるのか、などと邪推をするような輩も出てくるが、ルーシェはすでに王子を産んでいるから問題ないしね。ああ、もちろんそうでなくても誰にもそんなこと言わせないように私が対処するけどね」
彼は案外良い方法かも知れない、とだんだん早口になっていく。
「そうだね。わざわざ社交などして君に不埒な視線を向ける者がいたらいけないから、君は宮居から出ないで過ごした方が良い。アルヴィンだってこんなに可愛いのだから人の出入りの多い王宮内では誘拐が危険だ。王子宮では信用のおける護衛と使用人だけを置いて、ルーシェの美しさもアルヴィンの可愛らしさも大切に大切に閉じ込めておかないとね。そして可愛い二人は私だけが愛て過ごす。ああ、なんて素敵な計画なん──」
「あ、あの! 大丈夫です! 私、王宮で、ちゃんと王太子妃として過ごしますから」
突っ込みどころが満載すぎて、私はまだ話し途中だったエルティミオ様に食い気味に返事をした。
「ああ。優しいルーシェは私の立場のことを気にしてくれているんだね。大丈夫だよ。心配しなくても、不敬なことをいう者は私が一蹴するから心配しないで。王子宮には立派な厨房を用意するから料理がしたいと思ったら好きなだけ料理をして、広い庭も用意するから君もアルヴィンも宮居の外になんて一歩も出ないで、親子三人で静かに過ごすのも──」
「へ、平気です!! エルティミオ様と一緒に外へ出て国の様子を見守っていきたいですし、アルヴィンだって将来のために外でいろんな経験をした方が良いと思います。そのために護衛を付けるわけですし」
「そう? 良い方法だと思ったんだけどね……」
「私、頑張ってみるので、もし上手くいかなかった場合はお願いしても良いですか?」
エルティミオ様は一瞬残念そうな顔をしてから、優しく「わかったよ」と笑った。
「ただし、無理だと思ったら早めに相談するんだよ」
「わかりました」
――一度目の人生でも、アンナ嬢が現れる前まで、エルティミオ様とは愛し愛される関係だったとは思うけど……
今のあのままの流れでは軟禁でもされ兼ねない勢いだった。私の言い分にエルティミオ様が納得してくれて良かったと、私はこっそり息をついた。
――二度目の方が愛が重すぎる気がするのは気のせいかしら……




