24 偽者
「いたっ……!」
腕にチクッと痛みを感じて目を覚ます。正確な時間はわからないが、あまり長い時間眠っていた感覚はない。おそらく十数分程度眠らされていたのだと思う。
私は小さな小屋のようなところで手足を拘束され、転がされていた。
「おじょーさまー、王太子妃さん起きたよー!」
間延びするような声を上げる男性は手に注射器を持っており、その注射器には採血した血液が入っている。おそらく私の血液だろう。
「あなた……暗殺者の……シヴァ……」
私は掠れた声を上げる。彼もまた乙女ゲームの攻略キャラでヒロインが暗殺者であるシヴァを選ぶと駆け落ちエンドになる。
「あれ? 王太子妃さんも俺のこと知ってるの」
シヴァが首を傾げていると、ある女性が近づいてくる。
「もう起きたの? 全く、面倒ね。ウォーレンがあれを持ってきてくれていればこんなことしなくても済むのに……」
ぶつぶつとそういう女性は先ほど窓から見た女性。一度目の人生でエルティミオ様と一緒に私を地下牢へ入れたアンナという伯爵令嬢だ。
伯爵令嬢のわりには質素なワンピースを着ていて少し違和感がある。
「ふふ、リナルーシェ妃、お久しぶりですわ」
「あなたは……」
お久しぶりですと彼女は言うが、今世で会うのは初めてだと思う。
「一体なぜ、こんなことを……?」
「ちょうど彼が来た頃だと思うので、彼が教えてくださいますわ。シヴァ行くわよ……」
「彼……?」
彼女はシヴァを連れて小屋から一旦出ていった。そしてすぐに誰かを連れてもう一度入って来た。
私は入ってきた人物を見て目を見張る。
「エル、ティミオ、さま……」
「リナルーシェ、王太子妃ともあろう君が情けない姿だね」
そういう彼は先ほどとは別人のように冷めた目をしている。一度目の人生で、彼女を連れて離宮に来た時と同じ目だ。
「先ほどアンナから聞いたよ。あの子は私の子だと思っていたのだが、やはり君は浮気をしていて、あの子は別の男の子どもだったんだね」
彼は唐突にそんなことを言い始めた。
そして彼は当たり前のように彼女の腰を抱く。
「もう君は必要ない。これからは彼女が君の代わりになるから」
「そういうことです。リナルーシェ様。なぜか、お分かりになりました?」
私はギリッと歯を食いしばる。
「ふふっ、そんな悔しそうな顔をしても、無駄ですわよ」
「そうだ。お前はここで捨て置かれる。ここで自分のしたことを悔いて死んでいけ。ルーシェ……」
そんな台詞を言われたが、もう私の心は何も痛まない。
「別にあなたに対して悔しがっているわけではないわ」
「え?」
「なぜ、今まで気が付かなかったのか、自分の思慮の足りなさに悔しがっているの」
「はあ?」
アンナ嬢は意味が分からないと言う顔をした。
「あなたはエルティミオ様ではないわ! どうやってやったのかはわからないけど、あなたは偽者よ!」
「ち、違うわよ! 彼は本物のエルティミオ様よ」
アンナ嬢はそう叫ぶが、どう見ても彼が本物のエルティミオ様には見えなかった。
「彼の目はそんな目ではないわ。彼の目はもっと澄んだ碧色で、それでいてもっと仄暗く、寒気がするような目をしているの! それに、容姿だってそんなただのキラキラした王子様のような風貌ではなくて、もっと禍々しいオーラを発しているのよ! 私の目の前にいる偽者は本物のエルティミオ様と全然違うわ!」
「ほ、仄暗い……? 禍々しい……?」
私の発言にアンナ嬢は唖然とする。
彼らは本物のエルティミオ様を見たことがないのかと思うくらい、目の前のエルティミオ様はキラキラしてるだけの王子様なのだが、一度目のリナルーシェの人生ではこんな偽者に騙されていたのかと私は自分が情けなくなる。
すると、小屋の扉がドンドンと叩かれる。
「アンナ・モーブ! お前がルーシェを誘拐したことはわかっている! リナルーシェを返すんだ」
正真正銘エルティミオ様の声がした。
扉は鍵がかかっているようで、ガチャガチャドアノブを回す音が聞こえるが、扉は開かない。
「な、なんでこの場所が……? しかも私のことまで……」
アンナ嬢はガクガクと震え始めた。
「おっと、俺は雇われなんだ。巻き添えはごめんだぜ! コレ、返すわ」
髪に隠れて見えなかったが、偽者のエルティミオ様は耳に嵌めていたイヤリングを外してアンナ嬢へ投げ渡す。
途端に偽者のエルティミオ様の姿はシヴァの姿に変わっていく。
「作戦は失敗だから前金だけいただくよ」
「あ、ちょっと……シヴァ……!」
それだけ言ってシヴァは一瞬で姿を消す。どうやっているかはわからないが、彼もまた不思議な魔法道具を使っているのかもしれない。
「ちっ……こんなはずじゃ……」
アンナ嬢は悔しそうに唇を噛む。
そうこうしている間も扉はドンドンと、ドアノブはガチャガチャと音を立てており、私がエルティミオ様に助けを求めようと「エルティ──」と叫ぶとすぐにアンナ嬢に口を塞がれ、猿轡を噛まされる。
「まだよ……まだ、大丈夫」
彼女はポケットから先ほど採血した注射器を取り出した。そしてシヴァから渡されたイヤリングのガラス部分に注射器を差し込み血液を注入していく。
「これはね、複製のイヤリングっていう裏アイテム。本当は成り代わりの指輪を手に入れたかったのだけど、ウォーレンが持ってきてくれなかったから、仕方なく大金を払って購入したの。複製相手の血液が必要だからちょっと面倒なんだけど、注いだ血液の量で複製できる時間は決まる」
彼女がイヤリングを嵌めると彼女の姿はリナルーシェに変わる。
「シヴァは本当はあなたの血液を採取するために接触を図ったのだけど、偶然採取できたのはエルティミオ様の血液だったから、試しに使わせてもらったの。まあ、あなたにはバレてしまったけど」
私はそれを聞いてハッとした。この町の診療所を出たときにぶつかったのはただの町の人ではなくシヴァだったのだと。
「なんでか、私が裏アイテムに手を出しているのがバレて、身動きが取りづらくなっちゃったのだけど、他にもなんとか身代わりの人形を手に入れたり、暗殺者のシヴァともコンタクトを取って、やっとここまで来れたのよ」
裏アイテム……この世界で生きる人は魔法道具のことをアイテムとは表現しない。おそらく乙女ゲームのことを言っているのだろう。『交換のイヤリング』も『身代わりの人形』もゲームをしていたころに聞いたことがある。確か『身代わりの人形』は学園で授業を受けなければならない時間も『身代わりの人形』に授業を受けさせ、自分は街歩きができるというアイテム。だが、どちらも出現条件が細かく私はゲーム内ではお目にかかったことはない。『恋シェフ』ガチ勢がかなりの金額を課金して情報屋から入手するようなレベルの情報である。
――そっか、彼女は転生者で『恋シェフ』ガチ勢だったのね……
「国の外れの修道院に送られて、こんな町にエルティミオ様が来ることなんてありえないと思っていたけど、町の診療所に高貴な人が来たってみんなが騒いでいて、やっと運が巡ってきたと思ったわ。モブ令嬢が悪役令嬢から逆転するチャンスは今しかないの……」
――モブ令嬢……!? アンナ嬢はモブだったの……?
「これからは私がエルティミオ様の隣に立つの。そうね……あなたからは血液をもらわないといけないから、一応生かしておいてあげるわ……!」
アンナ嬢はそう言って小屋の奥の物置に私を押し込む。私は「んー! んー!」と抵抗するが手足を拘束され猿轡を噛まされているため何もできない。
物置の扉はルーバータイプで隙間から明るい向こう側の様子は見えるが、物置側は暗いのでおそらく向こうからこちらが見えることはないのだろう。
隙間から見える彼女はロープを自分の手首にぐるぐると巻き始めた。そして器用に口を使いながら手首を拘束した。
バキッと扉の鍵を壊す音がしてすぐにバンッと扉が開く音がした。
「ルーシェ!」
エルティミオ様の焦ったような声が聞こえると、私の姿をしたアンナ嬢が「エルティミオ様! 怖かったです!」とエルティミオ様の胸に飛び込んだ。
私の姿をしているが私ではない人物がエルティミオ様にくっついている。その様子を見て私の目には涙が滲む。
――いやっ! エルティミオ様に近づかないで……! エルティミオ様! そのリナルーシェは偽者なの……! お願い……気付いてっ!
手足を拘束され、声も出せない状況で、私はただ目を逸らすことしかできなかった。
◇◆◇
私がネイトと話をしていた時から異変が起きていたのだが、プロの仕業なのか全く気配を感じることなく、リナルーシェがいなくなってからしか気付くことができなかった。
なんの因果か、『時戻しの宝玉』を使用する前の人生でリナルーシェを死に追い込んだアンナ・モーブがいる修道院のある町フィカスへと来てしまった。
あの女には見張りを付けてあるが、どこから情報を得ているのかアンナ・モーブは不思議な魔法道具を大量に手にしている。違法な魔法道具が多々あり、それを理由に彼女を処罰して、王宮勤めをしていた彼女の父モーブ伯爵は退任し、アンナ・モーブは修道院行きが決まった。
彼女の部屋から違法な魔法道具はいくつか押収したが、まだ隠し持っていたものがあったようだ。
ネイトとそんな話をしていると、部屋にノック音とリナルーシェの声で「リナルーシェです」と聞こえた。なのに次の瞬間、話途中に彼女の声が聞こえなくなり私は慌てて扉を開ける。
廊下にリナルーシェはいなかった。廊下で警備をさせていた騎士たちもいない。
「ルーシェ……?」
彼女の名前を呼んでもなんの反応もない。
サァーッと一気に血の気が引いた。
慌てて隣の部屋へ入るがそこにはスヤスヤ眠るアルヴィンと女性騎士のカミラがいるだけだった。
「リナルーシェは……!?」
「っ! 先ほど廊下に騎士たちがいないことを不審に思われ、殿下のお部屋にお伝えに行きました! 私が行くつもりだったのですが、リナルーシェ殿下は私にアルヴィン様のことをお守りするようにと……」
カミラは悔しそうな顔をして話す。リナルーシェはアルヴィンを守るためにそう判断したのだろう。
「わかった。私はルーシェを探しに行く! お前は引き続きここでアルヴィンを守れ」
「はっ! 承知いたしました」
そして私はすぐにネイトのいる部屋へと戻る。
「ネイト! ルーシェが消えた!」
「はっ……!?」
「今度こそ誘拐の可能性が高い。私はルーシェを探す!」
「わ、わかった! 俺は町の外に待機させていた騎士に応援に来るよう指示を出す! リナルーシェ妃の行き先に当てはあるのか!?」
「当て……? 当てなんてないけど、ルーシェのいる場所はわかる……」
私は唇をきつく結んでただひたすらに走った。
――ルーシェ、今度こそ無事でいてくれ……!
◇◆◇
「アンナ・モーブ、離れろ! ルーシェをどこにやった」
エルティミオ様の地を這うような低く暗い声が響く。その声は聞いたこともないような恐ろしい声にドキリとする。
「え……」
エルティミオ様は素早く抜剣して、アンナ嬢の喉元に剣を突き付けていた。
――エルティミオ様、気付いて、くれた……
私はその様子を見て泣きそうになる。
「事と次第によっては即座にお前の首を斬り落とす」
アンナ嬢は青い顔で小さく「ひっ」と悲鳴を上げて「わ、わた、私はリナルーシェです……」と言うが、エルティミオ様は目をスッと細めてそのまま剣先を少しアンナ嬢の首にめり込ませた。彼女は「うぐっ」と声を漏らし、首から一筋の血が垂れる。
「今度は指輪に代わる魔法道具を手に入れたか。これか?」
「ひぃっ……!」
しゅんっとエルティミオ様が剣を一振りすると、アンナ嬢の耳に着けていたイヤリングだけに剣が当たり、パリンとガラス部分が割れ砕けて破片が床に落ちていく。そしてすぐにリナルーシェの姿をしていたアンナ嬢は元の姿にもどってしまった。
耳元で剣を振られたアンナ嬢は青い顔で固まっていた。
私は今ならエルティミオ様に気付いてもらえるかもと思い、全力で「んー! んー!」と声を上げて、身体をジタバタさせた。
「ルーシェ!? そこか! お前たちはアンナ・モーブを拘束しろ!」
すぐにエルティミオ様は私に気付いて奥の物置まで来てくれた。
「ルーシェ! 今拘束を外すから」
そう言って、まずは私の猿轡を外して、手足を拘束していたロープを切った。
私はすぐに「ごめんなさい」と叫びながらエルティミオ様に抱きついた。
「え、ル、ルーシェ……!?」
再会してからずっと距離を取っていた私が、躊躇いもなく抱きつくものだからエルティミオ様は戸惑っている様子だった。
「エルティミオ様は偽者の私にすぐ気付いてくれたのに……」
私は一度目の人生で偽者に気付くことができなかった。
「一度目の人生で冤罪を並び立ててきたのはエルティミオ様ではなかったわ。私はあんな人たちに騙されたの……! ごめんなさい」
「ああ、ルーシェ……! いいんだ。あの日、君を地下牢へ入れたのが私ではないとわかってくれたなら……!」
私は目に涙をためて返事をする。
「はい……、さっき、逃げられてしまったのですが、別人がエルティミオ様のふりをしていて、その時ようやく全くの別人がエルティミオ様に成り代わっていたことに気付けて。それに気が付けば必然的に一度目のアンナ嬢を連れてきたエルティミオ様も同じように本物のエルティミオ様とは全然違う目をしていたことに気が付いて……! 気が付くのが遅くて本当にごめんなさい!」
私は縋るように彼の背中に手を回す。
「いいんだ。君はこうして私の腕の中に戻ってきてくれた」
「はい……はい……もう逃げたりなどいたしません……!」
「ああ……もう絶対に離さないよ……ルーシェ、私の愛しい人……」
彼は私を慰めるようにしっかりと私を抱きしめる。
彼の温かい腕の中で、彼のこと好きでいてもいいのだと安堵の涙を流した。
すみません!
ムーン版との兼ね合いで、明日は更新お休みです。
お読みいただきありがとうございました。




