22 薔薇園へ
「まーま、ぱかぱか」
「うん、馬車でお出かけするわよ」
私はアルヴィンと手をつなぎ、アリシアの誘導で馬車へ乗り込んだ。
「薔薇園は少し遠いから、お弁当も用意してもらったの。ゆっくりと車窓からの景色を楽しみましょう」
「ありがとう、アリシア」
アルヴィンはお弁当と聞いて目を輝かせる。
「たーご、ありゅ?」
「たーご?」
アリシアはアルヴィンの言葉がわからず首を傾げる。
「たまごのことよ。アルヴィン卵料理が好きみたいなの」
「そっか。お弁当に卵が入っているかはわからないけど、とりあえず王宮の仕入れに卵を増やさなければならないことはわかった」
「え、いや……まだ一歳だからそんなに食べられないと思うけど……」
王宮の仕入れに影響するほどは食べられないと思う。
アルヴィンは馬車の窓から外を覗いて「おうち!」「わんわん!」と目につくものをどんどんと口にする。一歳半を過ぎてアルヴィンの言葉はどんどん増える。
「アルヴィン? 私の膝の上くる?」
アリシアがアルヴィンに向かってポンポンと膝を叩く。
「アルヴィン、どうする?」
私がアルヴィンに聞くとアルヴィンは嫌そうな顔をしてふるふると首を振る。
「ごめんね。嫌みたい」
「そ、そっか……」
アリシアとアルヴィンはもともとそんなに交流をしていなかったので仕方ない。そんなに悲しむようなことではないと思うが、アリシアは下を向いてズーンと音が聞こえてきそうなほど凹んでいた。
薔薇園へは思った以上に遠く途中馬車の中で食事を摂る。アルヴィンのオムツを替えたりなどで、休憩が多いせいもあるかもしれない。お弁当を食べてお腹がいっぱいになったアルヴィンは馬車の心地よい揺れに私の腕の中で眠ってしまう。
ぼうっと外を眺めているとアリシアが話しかけてきた。
「ルーシェ……ルーシェがエルティミオ殿下から逃げている理由って、あなたが乙女ゲームの悪役令嬢なことと関係があるの?」
私はアリシアの言葉に驚いた。
「もしかして……アリシア、あなたも……」
乙女ゲームと悪役令嬢の言葉、この世界には存在しない言葉だ。アリシアも転生者なのかと思いそういう目で彼女を見ると彼女は私の目を見てコクリと頷く。
「ルーシェは悪役だから悲惨な結末を迎えるかもしれないと怯えていているの?」
私はアリシアの真剣な顔に「それもあるけど……」と話し始めることにした。国の王太子妃となる彼女を巻き込むことには躊躇う気持ちもあるが、きっと転生者の彼女であれば、私の気持ちもわかってくれる。
「私はリナルーシェとしての人生も二度目なの……私は一度死んで、もう一度リナルーシェの人生をやり直しているの」
「っ!?」
アリシアはこれでもか、というくらい大きく目を見開いた。
「な、なぜ……そんな事象は聞いたことがない……」
アリシアは瞳を揺らして小刻みに震えた。
そんな事象? 彼女は一体何を知っているのだろうか。
「なぜかはわからないわ。だけど、私は一度目の人生でエルティミオ様に突然冤罪を並べ立てられ、アルヴィンを取り上げられて地下牢に放り込まれて衰弱死した」
「くっ……」
「ア、アリシア……? 可愛い顔が台無しよ」
私も悔しい思いをしたので共感してくれたのはありがたいが、アリシアは凶悪な顔で強く拳を握りしめていて、少しギョッとした。
「あ、ごめんね」
アリシアは表情を緩めてにっこり笑う。
「だからルーシェはエルティミオ殿下から逃げていたのね」
「うん……」
私が少し俯くとアリシアは私の手の上にそっと手を被せる。
「怖かったよね……」
私は小さく頷き、アリシアを見るとアリシアは真剣な顔で「もう大丈夫だから」「私が守ってあげるから」と言ってくれる。
友人として頼もしいと思うのだが、徐々にアリシアの可愛い顔が私の顔に近づいてきて、私は思わず顔を仰け反らせる。
「ち、近くない!?」
「あ、ごめん」
なんだか今日のアリシアは暴走しがちな気がする。アリシアは私から離れて明るい声を出す。
「まあでも、それなら、話は簡単だね。それは誤解だからルーシェはシェフレラに戻って、なんの憂いもなくエルティミオ殿下に愛されていれば良い」
「はっ……?」
なぜ誤解だと言い切れる?
にっこりと笑うアリシアがなんだか怖い。
「今、私が守ってあげるからって言ってくれたじゃない」
「うん、ルーシェのこともアルヴィンのことも私が守るよ」
どういうことだろうか。アリシアはそう言い切るとにこにこと外の景色を眺める。
――ていうか、この馬車いつまで揺れてるの?
そろそろ到着しないと帰るのが夜になってしまう。なかなか目的地へ着かなくて私は徐々に不安になってくる。
車窓から景色を眺めるアリシアを見ているとぞわぞわと気味の悪いものを感じ、身震いしたくなるのは気のせいだろうか。
「ア、アリシアいつ──」
「ああ、ルーシェ、そういえばならず者のアジトで君の落とし物を見つけたよ」
彼女は被せるように言う。
――落とし物……?
なんとなく嫌な予感がして続きは聞きたくなかったが、彼女は構わず会話を続ける。
「拾ってくるの大変だから、もう落とさないでねって言ったでしょう」
アリシアが私の首に何かを掛ける。
戦慄が全身を突き抜ける。不気味な何かが首に掛けられている。流れる血が凍りつくのではと思うほどの寒気を首から感じる。
首に掛けられたものは見なくても何かわかってしまう。
私が青い顔で「なんで……」と呟くと、彼女──いや、彼は手袋を外して手の指から指輪を抜く。
「ほ、本物のアリシアは……? ま、まさか……」
まさか、彼はアリシアにまで手を掛けたりなどは……。彼の狂気的な行動に私に一抹の不安がよぎる。
「彼女は今、ジェラルドと百合園でデートしてるんじゃない?」
そうだ。エルティミオ様はジェラルド殿下と仲が良い。冷静に考えれば彼がジェラルド殿下の最愛の人に手を掛けるなどありえない。
私は動揺しすぎて思考が飛びすぎたが、アリシアが無事と知ってホッとした。
「ならず者のアジトに入り込んでしまったのは、私のせいだよね。ジェラルドから聞いたとき肝が冷えたよ。怖い目に遭わせてしまってすまなかった」
そう言う彼は真面目な顔をして頭を下げる。
「逃げられる状況で訪ねてしまったのが良くなかったんだよね。今度は逃げられない馬車の中だから安心して。動く馬車から無理やり降りるのは危ないから、今度は絶対逃げないでね」
そう言って、申し訳ないような表情をしてから私を見つめて優しく微笑んでくるのだが、言っていることはすごく怖い。
「ど、どこへ向かっているのですか?」
「薔薇園に決まっているじゃないか。シェフレラの王都に新たに綺麗な薔薇園ができたらしいよ!」
シェフレラ!?
「親子三人で初めてのお出かけだね」
親子三人……!? それだけは認められない。
「こ、この子は……」
「私の子でしょ? 一度目と髪色や瞳の色が違うから、てっきり別の男との子どもに、私と一緒に考えたアルヴィンという名を付けたのかと思ったけど、この子は私の子だったんだね。まあ、どう見ても私そっくりだしね」
一度目と髪色や瞳の色が違う……?
確かにその通りなのだが、なぜ彼が一度目と言うのか。
どういうこと?
「ち、違います! エ、エルティミオ様の子どもでは……」
認めてしまえば、エルティミオ様とヒロインの間に子どもができたとき、アルヴィンはひどい目に遭う可能性がある。
「エルティミオ様の子どもではありませ──」
「だれの子?」
私が言いきる前に食い気味に彼が質問する。光を失ったような目をして、初めて聞くような低い声を発する。キラキラした顔から表情が抜け落ちて、暗い圧を感じる様子に私はぶるりと震えた。
「そ、そ、そ、それは言えません……! 罰するなら、わ、わ、私だけを……」
私は眠るアルヴィンを強く抱きしめる。
するとエルティミオ様はにっこりと笑う。
「ごめん。一瞬不安になっちゃったけど、そんなことはありえないんだった」
「え?」
「私がルーシェに罰なんて与えるわけないでしょう。ああ、お仕置きくらいは受けてもらおうとは思うけど」
お、おしおき……!?
「それにアルヴィンは私の子だよ」
なぜそんな風に言い切れるのか。
「シュロの町で農家の夫婦からアルヴィンの生まれ月を教えてもらったんだ。王宮の医師に確認したら妊娠した時期は君がまだシェフレラ王宮で生活していた時だ」
農家の夫婦の子どもとは月齢が同じで何度も子どもの誕生日の話をしていた。そんなところからアルヴィンの生まれた時期がバレてしまうとは想定していなかった。
「でも……私、エルティミオ様がドラセナ公国へ旅立つまではずっと月のモノが来ていました。エルティミオ様が旅立ってから別の男性との子を妊娠したと考える方が自然では……?」
エルティミオ様がはぁ、と深いため息を吐いて、眉間を押さえて少し俯く。
「君の口から別の男性との子を妊娠なんて言葉聞きたくないからやめてくれ」
「で、でも……」
「ナタリーから聞いたよ。月のモノの出血が異様に少なかったと。医師に聞いたが、妊娠初期は不正出血というものがある。それに君は結婚してからひと月ほどで、風邪気味で体調が悪いと言っていた。あれは妊娠初期の体調不良だったんだよ。医師からは、妊娠による不調と気付かずに風邪薬を服薬してしまう人もいると聞いた。ナタリーに聞いたら幸い君は薬は服薬していなかったようだけど」
私は額を押さえて項垂れる。
わざわざ自傷してその出血で月のモノと誤魔化したのに、量が少なすぎて妊娠初期にありがちな不正出血だと言われ、エルティミオ様との閨を避けるために風邪気味だと伝えたことで妊娠の初期症状説を自分で補強してしまった。
「それに君が王宮からいなくなってから妊娠をしたのだとすると、妊娠から出産までの日数が短すぎて、仮に早産だったとしてもこの国の医療では無事に産まれてくるのが不可能なレベルだって王宮の医師が言っていたよ」
「け、結婚直前にすでに妊娠していたとは……!?」
「それは絶対にありえない!」
一度目の出産後、王宮内で散々噂をされたことなのに、エルティミオ様はきっぱりと否定する。
「結婚の三か月前から君は王宮で過ごしていて、常に護衛や侍女を複数人つけていた。君が一人になる機会なんて一切なかったんだ。君が他の男とどうこうするタイミングなんて皆無なんだよ」
私はそうだったかしら、と結婚前の生活を振り返る。
一度目のリナルーシェとしての人生は、学園卒業から結婚式までの期間、妃教育のために毎日王宮へ通ってはいたが、いつも公爵家へ帰宅していた。だが、言われてみれば、二度目のリナルーシェとしての人生では結婚の三か月前から妃教育と結婚式準備のために、王宮に部屋をもらって生活する方が良いのでは、とエルティミオ様から提案があり、彼は早々に陛下の許可をもらい、私は結婚前から王宮で過ごしていた。
二度目の人生は初夜からのインパクトが強すぎて、それ以前のことがすっぽりと抜けていた。
「だから、間違いなくアルヴィンは私の子だ。まあ顔や色を見ても私そっくりだし、君が初夜で初めてだったことは周知の事実で、君がアルヴィンを王宮に連れ帰ったところで誰もアルヴィンの存在は否定できないと思うよ」
一度目の人生では「浮気などしていない」「この子はあなたの子どもだ」と何度主張しても認めてもらえなかったのに、二度目の人生は言うまでもなくアルヴィンはエルティミオ様の子であるという証拠を並べ立てられてしまう。
「一体どうして……まるで、私の一度目の悩みを先回りしてるような……」
「ああ、それはね……」
エルティミオ様がなにかを説明しようとしたときだった。
アルヴィンが「うーん」と身じろぎ始めた。
起きたかな、と思うと突然ギャーンと泣き始める。
「アルヴィン、ママはここよ。泣かなくても大丈夫よ?」
私は身体をゆっくり揺らしてギャンギャン泣くアルヴィンを宥める。アルヴィンが寝起きに泣くことはたまにある。
「すごい泣いているけど、アルヴィンは大丈夫なの? 医者に見せた方が……ちょっと町に立ち寄り急ぎ医者へかかるか……」
寝ぐずり程度で医者にかかる必要はない。このままゆっくり揺れていると再び眠りに就くこともあるし、泣き止んでそのうちいつも通りご機嫌に戻ることもある。あとになって「にゅーにゅー」や「あっちゅい」と言われて、喉が渇いていたのかな、暑かったのかな、など原因が分かることがあるが、理由が分からないままのことが多い。
そのうち泣き止むので大丈夫です、と言おうとして考える。医者にかかりたいと言えば馬車を停止してもらえるのでは、と。
逃げ出したい、というよりは落ち着いて話を聞くために馬車を止めてほしい。誤解というのなら、私は何を誤解しているのか知りたい。
もちろん状況によっては逃げる必要もあるとは思うが、彼の思うまま強引に先へ進むよりも、一度止まって話を聞いて状況を判断したい。
「そうですね、念のためお医者様に診てもらった方が良いのかもしれません」
「わかった。悪いが近くの町で馬車を止めてくれ! 診療所へ行きたい」
エルティミオ様は御者のいる側の窓を開けて、御者に指示を出す。
「わかりました。ここからだとフィカスが近いのでフィカスに寄りますね」
「フィカス……!? いや、仕方ない。フィカスへ寄ろう」
御者が町の名を言うとエルティミオ様は嫌そうな顔をした。
なぜ彼が嫌そうな顔をしたのかはわからないが、私もフィカスと聞いて少しだけ憂鬱な気分になった。




