21 乙女ゲームのヒロイン
私、シェフレラ王国ポリシャス伯爵家の娘アリシア・ポリシャスは前世で人気だった乙女ゲーム『恋する乙女のシェフレラ学園物語』のヒロインである。
私が日本人女性だった前世を思い出したのは十歳のとき。招待された王宮でのお茶会の最中に前世を思い出した。前世でプレイしていた乙女ゲームのヒロインに転生したことはすぐに理解した。
だが理解したと同時に泣けてしまった。
なぜなら『恋シェフ』内での私の一番の推しは攻略キャラではないから。私は攻略対象外の隣国の王子ジェラルド・フィオ・ロベレニー様が好きなのだ。
どんなに彼が好きでも私はヒロインだから攻略対象としか結ばれない。私は転生したと知ってすぐにそれを理解してお茶会の最中、庭園の隅で泣いた。
そのとき悪役令嬢のリナルーシェ・ステファニア──ルーシェに話しかけられてた。乙女ゲーム内でルーシェの幼い頃のスチルは出てこないので、彼女が悪役令嬢だと知らずに前世を思い出した高ぶった感情のまま話をしてしまったが、彼女は言った。
「大丈夫ですわ。世の中どうしようもないことなんて何もない! あなたが望めば運命にだって抗える。私は絶対に抗って見せるのですから!」
私の狭まった世界が広がった瞬間だった。たとえ世界観が乙女ゲームであったとしても今の私にとってここは現実世界。すべてがシナリオ通りに進むと限ったわけではない。
彼女が運命に抗うと言うのであれば、私だって隣国の王子であるジェラルド様を恋い慕っても良いはずだ。身分的には大変な道かもしれないが、絶対に出来ないということはない。
お茶会の途中で乙女ゲームの王太子ルートのエピソードである、タムタムという虫がとある貴族令嬢のドレスにくっつくという事件があったが、それはルーシェが躱してくれた。
その後、私はその日のうちに隣国の王子ジェラルド様と話をした。
少しずるいが、私は乙女ゲームの知識を使い隣国の王子ジェラルド様と楽しく交流することができた。そしてお茶会の終盤、私は興味深い光景を目撃した。
――あれは……エルティミオ王子?
なにやら木の陰から覗き見をしている。
「あれはエル? 何してるんだ?」
「あ、ジェラルド様……」
私がジェラルド様の方を見ると、ジェラルド様はしーっと口の前に人差し指を差し出して、こっそり覗き見するエルティミオ王子をさらに覗き見た。
「さっきの見た? エルティミオ王子のカッコつけ……!」
「みたみた! タムタムが怖いくせにヒーローぶって『騎士を呼ぶほどのことではない。わ、わたしが……』だって。足震えてんの超面白かったな」
「王子のくせにタムタム程度にビビってほんとウケる」
エルティミオ王子は悪口を言われる様子を木の陰から見て悔しそうに唇を噛みしめて見ていた。
虫が苦手な私からしてみれば、苦手な気持ちを堪えてあの場で前に出ただけ素晴らしいと思ったのだが、不敬という言葉をまだ理解できない同世代の男の子たちは面白おかしく今日の出来事の話をしていた。
「あら……! レード伯爵令息とメルビル侯爵令息では? 先ほどご挨拶をさせていただいた、ステファニア公爵家のリナルーシェですわ」
「あっ、ああ、先ほどはどうも」
そこで現れたのはルーシェだった。
「先ほどご令嬢のドレスについたタムタムを外してしまったのは私なのですが……どうやら私、お二人が活躍する場を奪ってしまったようですのね」
ルーシェが申し訳なさそうな顔をする。
「そうですよ、ステファニア公爵令嬢! 俺たちならあんなタムタムごときなんてことないのですから! 俺たちがあの場にいれば……!」
あの場の様子を詳細に語っておきながら、あの場に居なかったから自分が助けることができなかったような口ぶりだ。どうせ、自分たちも思った以上に大きなタムタムに怯えて隠れていたのだろう。
またその口ぶりは十歳にしては美人で格上の貴族令嬢の前で良い格好をしたいように見える。
驚いたのはその後のルーシェの行動。
彼女はすぐそこの木から、令嬢のドレスに付いていたタムタムよりもさらに二回りは大きいのでは、と思うような大きなタムタムを二匹、両手で掴んでにっこり笑う。
「では……せっかくですので、お二人にあの場の再現をして差し上げます。ぜひ、どちらがヒーローらしいか見せてくださいませ」
そう言うと二人の貴族令息の服にぺちょっとタムタムをくっつけた。
「ヒィィィッ! な、何するんだ、この女っ!」
「お前っ! こんなことをしてタダで済むと……」
驚き激昂して彼らは口を滑らせる。
「おんな……? おまえ……?」
すかさずルーシェは冷たい目をして二人を見る。
「不敬……って言葉ご存知です? 私はタムタムが平気だとおっしゃる二人と楽しく虫取りをして遊んでいただけでしたのに、そのような暴言を吐かれたとお父様に泣きつけばよろしいのでしょうか?」
陰口を叩く割には、父親から振る舞いに対する指導は受けていたらしく、二人は不敬という言葉に青ざめる。
二人は「すみません」「ごめんなさい」「もう言いません」を繰り返す。それに対してルーシェの答えはこうだった。
「冗談ですわよ。子どもの遊びですもの! さっ、どちらがヒーローなのか、私に教えてくださいませ!」
と楽しそうな顔で言う。
「お、お前、このでかいタムタム取ってくれ!」
侯爵令息は伯爵令息に言うが、伯爵令息の方も自分の服についたタムタムを見て震えている。
「む、無理だよ……こんなでかいの、触れないよ……」
助けを求めるような目でルーシェを見るが、肝心のルーシェは「あ、先ほどお父様が呼びに来たのでした。とても有意義な時間をありがとうございました」と礼をしてさっさと去っていってしまった。
不敬な貴族令息を簡単にやり込めてしまって驚いたが、同時に少しすっきりした。
ちらりとエルティミオ王子の様子を見ると顔を赤らめながら、去っていくルーシェのことを目で追っていた。
「エル……惚れたな……」
楽しそうにジェラルド様はその様子を眺めていたが、私の意見も同じだった。
ルーシェは木の陰に隠れる私やエルティミオ王子には気付かずに前を通り過ぎ「ああ、さっき謙虚に真っ当に……って心に誓ったばかりだったのに、さっそくやらかしてしまった気がするわ」「いや、これは不可抗力。謙虚も真っ当も明日から頑張るわ……」とぶつぶつひとり言を言いながら去っていった。
そしてさらに驚いたのはその後のエルティミオ王子の行動だ。
エルティミオ王子は自分の悪口を言っていた二人の前に出ていって、なんと震える手で服に付いた大きなタムタムを外してあげていた。
貴族令息二人は苦い顔をしながらもエルティミオ王子にお礼を告げる。
「彼女に相応しい男になるにはこの程度でビビっててはいけないよな。気付かせてくれてありがとう」
そういうエルティミオ様の表情は爽やかな笑顔だったと思うのだが、いつからルーシェを冤罪で地下牢に……などという展開になってしまったのだろうか。
◇
それから私はシェフレラ学園に入学する年にジェラルド様のいる隣国へ留学した。
ゲームの強制力が働いて留学できずに無理矢理学園に入れられる……などということはなく、私は隣国でせっせとジェラルド様との距離を詰めていった。
そしてようやくジェラルド様と婚約が結ばれる運びとなり、私は母国であるシェフレラ王国に婚約の許可をもらいに行った。
私とジェラルド様の婚約は両国の関係をより強固なものにするだろう、と歓迎されて話は無事にまとまった。
そして、その帰りに子どもを連れたルーシェと再会した。
「冤罪で捕まって地下牢に入れられてしまうから逃げていると言って……信じてもらえますか……?」
その台詞を聞いて、彼女も日本人女性としての前世の記憶を思い出し、この世界が乙女ゲームの世界で、ルーシェという人物が乙女ゲームの中では悪役令嬢であることを知ったのかと思った。彼女は悪役令嬢だから断罪される運命から抗おうと行動しているのかもしれない。
だけど彼女はそれ以上は何も話してはくれなかった。
エルティミオ殿下とそっくりな子どもについて問いただしても「違う」と否定されてしまう。かといって父親が誰なのかも教えてくれない。
「実はさ……エル──エルティミオから以前内密に手紙が届いていたんだ。リナルーシェ妃が誘拐されたから、彼女に関する情報を入手したら教えてほしいと……」
「誘拐!?」
その手紙はエルティミオ殿下がジェラルド様を信頼して、個人的な手紙として届けられたもの。ジェラルド様の話では、体面上は体調不良で表舞台から姿を消しているルーシェだが、実は二年前に誘拐されていた。それは極秘情報でシェフレラ王家はずっとそれを隠して、ルーシェの捜索を行っていたらしい。
「でも……彼女、自ら逃げているって……」
「そうなんだ。彼女とエルとの間では話に食い違いがある」
ジェラルド様は私の顔色を窺いながら「僕としては……」と自分の考えを述べ始める。
「そんなのだめです! ルーシェが嫌がっているのに、エルティミオ殿下に彼女を引き渡すなんて!」
「いや……だって彼女が連れている子ども……明らかにエルの子でしょ? 隣国の王子をいつまでもこんなところで匿うわけにはいかないよ。エルの話を聞く限りでは、あんなに彼女にべた惚れしているエルが、彼女のことを冤罪で地下牢に入れるなんてありえないでしょ」
「でも……せめて彼女が事情を話してくれるまで待ってもらえませんか!? お互いに誤解があるのなら、お互いの言い分を聞いて誤解を解いてからルーシェを帰しましょうよ!」
私はそう話すが、ジェラルド様は「うーん。エルが彼女にひどいことをするなんて思えないから、エルに丸投げすればいいと思うけど……」と納得していないような顔をする。
「以前私が乙女ゲームの話をしたこと、覚えていますか?」
「ああ、前世の話?」
「そうです。ルーシェはその乙女ゲームの中では悪役令嬢と呼ばれるキャラクターだったのです。私はゲーム内でヒロイン役だったので、攻略キャラと無理やりにでも結婚させられるかもと怯えていたのですが、彼女も同じで悪役だから悲惨な結末を迎えるかもしれないと怯えていて、エルティミオ殿下とすれ違ってしまったのでは……と思ったのです」
「なるほどね……」
「なので、ルーシェからは私がタイミングを見て事情を聞き出しますので、もう少し待ってください」
私がそう話すとジェラルド様は優しく笑って「わかったよ」と私の頭をポンと撫でた。
これでジェラルド様は私の思いを理解してくれたと思い込んでいた。
◇
それから数日後。
ジェラルド様との婚約が正式に結ばれてから、私は妃教育のためにずっとロベレニー王宮で過ごしているが、フロアは違うが私の友人という立場で私と同じように王宮に滞在するルーシェとは、妃教育が忙しすぎて結局あまり話ができていない。
「アリシア、今日の妃教育は教師が体調不良だからお休みだって。ちょうどこれから王都の外れにある百合園の視察の予定があるからアリシアも一緒に行かないかい?」
「え、行きたいです!」
視察という名のデートの誘いだ。妃教育で忙しくて、ジェラルド様との時間も取れていなかったので嬉しいお誘いだ。
「では、三十分後に出発するから準備して待っていて、また部屋に迎えにくるよ」
「わかりました」
ジェラルド様はそう告げて、部屋から出ていった。
「あ……ルーシェとアルヴィンも暇してるだろうから、誘ってあげたら喜ぶかも」
きっと良い気分転換になると思う。
一応は視察という名目もあるので、ジェラルド様に聞かずに勝手に誘うのは良くない。
「後でジェラルド様に聞いてみよっと!」




