20 隣国の王子様
────エルティミオ様……助けて……!
そう願ったときだった。
「動くな、ならず者!」
低い声が洞窟内に響く。
――だ、だれ……!?
「な、なんだお前! で、出てけ! この子どもがどうなっても──」
まだ男が話している途中だったが彼はすごい速さで男に詰め寄り、アルヴィンを引きはがして、男の喉元に剣を突き付ける。
――はやっ……
私や他の男たちが圧倒されていると彼は「早く拘束しろ」と叫び騎士が二人やってきて、他の男たちも拘束して、私たちは助かった。
「アルヴィン!!」
「まっ! まっ! うううぅー! ままーっ! うわぁぁぁん!」
「ごめんね! 怖かったわよね!」
私は男たちから解放されてすぐにアルヴィンに駆け寄り抱き上げる。アルヴィンは私にしっかりしがみついて泣きじゃくっている。そんなアルヴィンの頭をなでながら、向こうで騎士に指示をする男性をちらりと見る。
――彼のお陰で助かったけど……
この人は誰だろうか。どこかで見たような、薄い茶色の髪色に紫色の瞳。服装は商人のような装いをしているがこれは恐らく身分を隠しているだけだろう。すごく高貴な雰囲気がする。騎士の二人も見慣れない騎士服を着ている。
騎士を見ていると向こうのテーブルにあるちぎれたネックレスが視界に入る。あのネックレスはエルティミオ様からもらったものだ。取りに戻ろうかと思ったとき。
「大丈夫? この者たちはすぐ向こうの町の憲兵に引き渡すから、あなたも来てくれる?」
助けてくれた男性にそう言われて私はぎくりとした。
「助けて下さりありがとうございます。ですが、私たちはここで失礼します」
私はアルヴィンを抱いて頭を下げる、そしてすぐにこの場を去ろうと洞窟の外へ出る。
本当はネックレスを取りに戻りたかったが、そんな余裕はなかった。憲兵の許へ行くなどとんでもない。
仕方ない。あのネックレスは元々一度は手放したものだ。もうあきらめよう。
――大体、エルティミオ様から逃げてるくせに、心の中でエルティミオ様に助けを求めるなんて、私……まだまだ彼に未練たらたらなのね……
ウォーレンにネックレスを売るように指示したときに彼への想いは断ち切ったつもりだったのに。
私は自分の想いに自嘲して、振り返ることもせずに洞窟の外へ出た。
「そういうわけにはいかない! 憲兵に詳しい事情を説明しないと……その後はあなたの家まで送るから」
男性が私の前に立ちはだかり引き留める。でも憲兵の許へなど行ったら確実にエルティミオ様に捕まってしまう。
「結構です。助けていただいたことは本当にありがとうございます。ですが、私たちはここで大丈夫ですから」
私は立ちはだかる彼の横を通って向こうへ歩く。
その時、洞窟の外にあった馬車から女性が下りてきた。
「ジェラルド様、どうでしたか?」
私は降りてきた女性を見て大きく目を見開いた。そしてその女性の方も私と同じように私を見て大きく目を見開いていた。
「ああ、アリシア! この親子がならず者たちに襲われているところを助けたのだけど、憲兵のところへは行かないって言うんだ……」
彼は彼女に話しかけるが、彼女の視線は私の方を向いたまま。私は彼女から視線を外して下を向く。
ジェラルド様……その名を聞いて私はこの状況も決して良い状況ではないことを悟る。
「リナ、ルーシェ様……? なぜ……こんな、ところに……?」
「リナルーシェ……?」
私の名前に聞き覚えがあったのか、彼は怪訝な顔をした。
「ひ、人違いです! 私たち急いでいますから!」
私は走り出す。が、アリシア嬢は私の腕を掴んで引き留める。
「一体何がどうなってこんなことに!? リナルーシェ様、アリシア・ポリシャスです! 覚えていらっしゃいますか!?」
「わかりません! 人違いですから!」
私は彼女の手を振り払おうとするがすごい強さで掴まれて放してくれない。
「憲兵は嫌ってことですよね! 憲兵のところへは行きません! 急いでいるなら送ります! リナルーシェ様、とりあえず馬車に乗ってください!」
「ちょ、ちょっと……!」
アリシア嬢は私を無理やり馬車の中へと押し込んだ。
「風邪をひいてはいけないので、これを使ってください」
雨で濡れた身体を拭くようアリシア嬢からタオルを渡された。アルヴィンをそのタオルで包んでやるとアルヴィンは疲れていたのかすぐにスーッと私の腕の中で眠りに就く。
私を助けてくれた男性の指示でならず者たちは同行していた騎士が後続の馬車で連行するらしい。
「リナルーシェ様……いえ、リナルーシェ妃殿下、私たちシェフレラ王宮へ行った帰りなんですよ」
私はアリシア嬢の言葉にビクッと肩を揺らす。
「そこで国王陛下と王妃殿下にリナルーシェ妃へのお目通りをお願いしましたが、リナルーシェ妃は体調不良で静養中だとお話がありました。静養中のあなたがあんな洞窟で一体何を? 急いでどこに行くのですか?」
アリシア嬢は私に詰め寄るが、私は下を向いてただ一言「人違いです」と小さく言う。
「そうですか。わかりました! では私はあなたをシェフレラ王宮へお送りするだけです」
「や、やめて!! お願い!」
私は慌てて声を上げる。
「リナルーシェ妃……何か事情があるのですね」
「……」
「話しては、くれないのですか……」
アリシア嬢は真剣な顔をする。
彼も彼女も信用できるかわからない。だけど、もう誤魔化すことはできない。私は恐る恐る言ってみた。
「冤罪で捕まって地下牢に入れられてしまうから逃げていると言って……信じてもらえますか……?」
「もしかして……! リナルーシェ妃……あなたは……」
アリシア嬢は何かに気付いたような顔をした。だが私には彼女は何にピンと来たのか分からなかった。
「なにか……?」
「い、いえ! わかりました。あなたの話を信じます。私、昔あなたに言われた言葉ですごく救われたのですよ」
「私が言った言葉?」
「ええ!『世の中どうしようもないことなんて何もない! あなたが望めば運命にだって抗える』あなたは私にそう教えてくれました」
彼女と会ったのは十歳のころのお茶会のとき、一度きり。私は確かにその時に言った。悪役令嬢としての運命に抗いたかったから。
「あの時の言葉のお陰で今があるのです。ところで、逃げているって、どこか匿ってくれる場所があるのでしょうか?」
「い、いえ……でも……すぐそばのシュロの町へはエルティミオ様がいて、見つかれば捕まってしまうので……」
「わかりました! ジェラルド様、彼女も一緒にお連れしても良いですか?」
「ま、待って! アリシア嬢! 他国に迷惑をかけるわけには……!」
黙って話を聞いていたジェラルド様と呼ばれた男性が柔らかく笑う。
「やはりリナルーシェ妃は僕のこと気付いていたんだね」
「髪の色が違ったので始めはわからなかったのですが、アリシア嬢がお名前を呼んだときに……ジェラルド・フィオ・ロベレニー王太子殿下……」
彼は隣国ロベレニー王国の王太子だ。変装をしているのか今は薄い茶色の髪色をしているが、本来の彼は銀髪だ。
ここで隣国の王子様が登場するのかと驚いたが、どうやら乙女ゲームのヒロイン、アリシア嬢は隣国の王子様ルートを選んだようだ。
だが、乙女ゲーム『恋シェフ』には隣国の王子様は攻略キャラではないので隣国の王子様ルートというものは存在しない。どうやって彼女がシナリオから離脱したのかはわからないが、この世界はシナリオとは関係のない世界であることはわかった。
「リナルーシェ妃……僕は先ほどシェフレラ王宮でアリシアとの正式な婚約を認めていただいたんだ。アリシアがあなたの話を信じると言うのであれば僕もあなたの話を信じよう。あなたはアリシアの友人ということで国に招待しますから、もしよければ我が国へ滞在してください」
ジェラルド殿下がアリシア嬢を見て、これでいいかな、と微笑む。アリシア嬢も目を合わせて微笑み返し、愛し合う二人の絆が見えた気がした。その光景をうらやましく思ったのか、そんな二人を見て、私の胸は小さな痛みを感じた。
「ありがとう、ございます……」
王太子妃ともあろう者が他国にお世話になるなどありえない、と思ったが、そもそも私は自ら王太子妃という立場から逃げ出したのだと思い直す。
だからといって他国に迷惑をかけて良いわけではないし、ジェラルド殿下のそばにいることが得策とも思えない。だが、王家の秘宝の指輪を取り上げられてしまい、無一文で逃げてしまった今では、国内に隠れ住むのは厳しいものがあるので、私はアリシア嬢とジェラルド殿下の提案に甘えるしかなかった。
「友人として! 色々とお聞きしたいこともありますが、まずはロベレニー王国に着いてからにしましょう!」
そう言うアリシア嬢の目線は思いっきりアルヴィンに向いていた。
◇
「まーまっ、どーじょー」
「ありがとう、アルヴィン! 綺麗なお花ね」
「んっ、おあな!」
アルヴィンが中庭で摘んだ花を渡してくれる。
「ルーシェ、まだ、話してはくれないの?」
「アリシア……」
アリシアがやってきて、悲しげな顔で聞いてくる。
私はもうひと月、このロベレニー王国でアリシアの友人として丁重にもてなされている。
アリシアはロベレニー王国王太子の婚約者で最愛の人。使用人たちの態度を見ていても大切にされていることが良くわかる。そんなアリシアの友人ということで、私は身分を伏せて賓客用の宿泊室に滞在している。
今や何者でもない私がロベレニー王国の王太子妃となる女性と気軽に話をすることは憚られたが、「以前、お互いに敬語はやめましょう! と話をしたじゃない」と十年も前のやり取りを出されて私はアリシアと「ルーシェ」「アリシア」と呼び合う仲となった。
ロベレニー王国では快適な暮らしを提供されているが、いつまでもこのままではいられない。
アリシアは本当にヒロインらしく優しい女性で、アリシアに詳しい話をしてエルティミオ様の追ってこられないこの国で隠れて自立して生活できる環境を整えるため、彼女に協力してもらうことが良いとは思う。
だけど、彼女にアルヴィンのことや私がエルティミオ様から逃げる理由を話すにはどうしても慎重になってしまう。
自分を平民と偽り、夫から逃げているから匿ってほしいと協力をお願いすることとはわけが違う。
彼女はこの国の王太子妃。友情よりも国益を優先するべき人なのだ。
シェフレラ王国とロベレニー王国は友好関係にあり、シェフレラ王国がリナルーシェを探しているから見つけ次第連絡してくれと話をすればロベレニー王国は友好関係を反故にしてまで私を匿うことはできない。
特にアルヴィンについては絶対に言うことはできない。シェフレラ王家の血を引いたアルヴィンは特別な存在だ。仮にエルティミオ様が新たな妃を迎えて、その間に出来た子を王太子として育てるのであれば、アルヴィンの存在は邪魔になる。今後新たな火種になりそうなアルヴィンは消される可能性が高いのだ。
自分が冤罪で地下牢で衰弱死するのも嫌だが、アルヴィンに何かがあるのはもっと嫌だ。
そして何より私は知っている。ジェラルド殿下とエルティミオ様は仲が良い。
二人は愛称や呼び捨てで呼び合う仲なのだ。
二人のやり取りを直接見たわけではないが『恋シェフ』内では遠慮なく会話する二人のスチルがあるし、実際のエルティミオ様が語る隣国の様子からも二人の仲の良さを察することができる。
だから、私はアリシアに「冤罪で捕まって地下牢に入れられてしまう」ということ以外は何も話さない。それでも優しく私のことを助けてくれる彼女には感謝しかない。
「ルーシェ、良かったら気分転換にお出かけしない? そう……きれいな薔薇園を知っているの。アルヴィンを連れて一緒に行きましょう」
私は少し考える。このひと月、アルヴィンはこの中庭でしか遊べていない。できればどこか他の場所にも連れていってあげたい。アリシアの提案は嬉しくて、エルティミオ様の目の届かないこの国でなら少しくらい出かけても良いのかもと思った。
それに先日、偶然再会してしまったが、本来であればエルティミオ様はドラセナ公国でまだ大公を務めているはずだ。
まだあと一年大公としての任期のある彼がこんなに長期間公国を離れられるはずがない。
「でも、アリシア、妃教育が忙しくて出かける暇もないって言ってなかった?」
「大丈夫。今日は教育の先生が体調不良でお休みになったから、時間があるの」
時間があればジェラルド殿下と出かけたいと言っていたのに、良いのかな、とも思うが、殿下も都合が悪かったのかもしれない。
「アリシアが良いなら行きましょうか」
私はアリシアの提案に乗ることにした。




