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17 大丈夫、バレてない

「ルルシア、向こうのテーブルもうメイン終わりそうだからフロマージュの準備して、皿下げろ!」


 私がいつまでも大丈夫、大丈夫、と念じていると料理長からの指示が飛ぶ。


「はいっ!」


 慌てて返事をし、指示されたテーブルを見る。


 ――エ、エルティミオ様のテーブルだわ……。


 私は青い顔をしながらフロマージュの準備をする。準備をする間にエルティミオ様とサンデリアーナ伯爵令息はメインを食べ終えていた。

 お皿を下げにいかなければならない。せめて彼らのテーブルの接客は誰か別のホールスタッフに交代してもらいたい。先ほどキャッキャしていた彼女たちなら喜んで代わってくれるかもしれない。そう思って二人を探すが、一人はお客様のお会計中でもう一人はオーダーを受けている最中だった。

 他の誰かにとも思うが皆忙しそうで仕事を頼めそうな人がいない。

 ちらりと料理長を見ると、お客様を待たせるな、という目をしている。自分が行くしかない。


 大丈夫……私はドロシーそっくりのルルシアだ。堂々としていればバレることはない。

 大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。


 気持ち悪いほどに心の中で大丈夫と何度も叫ぶ。


「失礼いたします」


 私は手際よくお皿を下げていく。エルティミオ様の視線を感じるが私は決してそちらを見ない。ワゴンに使用済みの皿を載せて、フロマージュを彼らの前に用意する。


「この後コーヒーか紅茶をご用意いたしますが、どちらがよろしいでしょうか」

「では私は紅茶で」

「俺はコーヒー」


 私は決まった台詞で質問し「かしこまりました」と丁寧に頭を下げてからワゴンを押して厨房へ戻る。早歩きになりそうな気持ちを必死に抑えて、いつも通りの動きを心がける。


 よかった。よかった。よかった。バレてない。バレてない。バレてない。


 私は厨房に入り大きく息を吐く。

 そして彼らの食事の進み具合に合わせて飲み物を提供できるよう、カップとソーサーの用意をする。そしてまたちらりとホールを覗き見るとレストランの玄関に見慣れた面影があり、私はホールへ出る。


「ベンジャミン先生!」

「ルルシアさん、お久しぶりです!」


 ベンジャミン先生は数か月に一度ご実家の方へ帰ってくるが、レストランの方へ立ち寄ることは少ない。


「お食事ですか?」

「あ、いえ。隣国での医師会の講演に招待されていたものですからその帰りなんですが、珍しい甘味を手に入れたので、レストランの皆さんに差し入れをと思いまして」


 国の外れに位置するこのシュロの町はシェフレラ王都よりも隣国の方が近い。我が国は隣国ロベレニー王国と国交を結んでおり、渡る目的がはっきりしていれば隣国に渡ることができる。学術交流を目的とした医師会に所属するベンジャミン先生は学会のたびにロベレニー王国から招待を受けて、何度か隣国に渡っており、その帰りにお土産を持ってシュロの町へ立ち寄ることが多い。


 ベンジャミン先生は「ちゃんと実家の分も買ってありますよ」と言いながら甘味の入った箱を私に渡す。


「ありがとうございます。みんな喜びます!」


 ホールスタッフの女性陣は皆甘いものが好きなので喜びそうだ。気遣いのできるベンジャミン先生はホールスタッフの中では密かに人気がある。若くて医者で三男坊。平民の中では優良物件なのだろうと想像できる。

 そしてベンジャミン先生は少し声のトーンを下げて聞いてくれる。


「最近はお変わりないですか? 心配事があればいつでも言ってくださいね」


 これはベンジャミン先生がご実家に帰るたびに聞いてくれることだ。


「あ、あの……実は……」


 私はいっそ、先生に助けを求めようと、夫がすぐそこに……と言おうと思ってそこまで口にした。


「話し中にすまない」

「ひっ!」


 突然後ろからポンッと肩を叩かれビクッと肩が揺れる。

 声だけで分かる。顔を引き攣らせながらゆっくりと振り向くとやはりエルティミオ様がいて、私を見下ろす凍りつくような冷たい目に、私の背筋も凍りつく。


「な、なにか御用でしょうか?」

「先ほど紅茶を頼んだのだが、やはりコーヒーに変更することはできるかい?」


 冷たい目をしていたと思ったが、次の瞬間には柔らかな笑顔に変わっていた。先のほどの冷たい目は気のせいだったのだろうか。


「だ、大丈夫です」

「そう、良かった。では頼んだよ」

「かしこまりました」


 私が頭を下げると彼はすぐに席に戻る。

 そんなこと他のホールスタッフを席から呼んで伝えても良いようなことなのに、ホールに他に人はいなかったのかと周りを見るが、先ほどと同様に他のスタッフは皆接客中だった。


 ――他のスタッフも接客中だったから、オーダーを取った私に言いに来ただけよね……?


 背中に焼けつくような視線を感じるのは気のせいだろうか。


「ルルシアさん……? 何か言いかけていました?」

「い、いえ! なんでもありません。私、そろそろ接客に戻らないと……」


 私がリナルーシェだとバレてしまったわけでもないのに、下手なことを言ってそれを聞かれてもまずいと考え直し、私は先生に助けを求めることはやめた。


「そうですね、営業時間中にすみません。すぐにでも診療所の方へ帰る予定だったもので、営業終了まで待てなくて。今日のところはこれで失礼しますね! また来ますから」


 私は先生にお礼を言ってその場で見送った。

 そしてエルティミオ様たちのテーブルを見ると、もうコーヒーを持っていって良い頃だったので、厨房に戻りコーヒーを用意する。


 やはり他のスタッフに運んでもらいたいと思うのだが、今日はお客様の入りも多く皆忙しそうだ。


 私は仕方なく用意したコーヒーをトレイの上に載せて運ぶ。

 エルティミオ様とサンデリアーナ伯爵令息は次に向かう地域について話をしていた。


 ――良かった。この町にリナルーシェはいないと判断したのね……!


 私はコーヒーを置いて頭を下げて厨房へ戻る────


 ────はずだったのだが、トレイを持っていない方の手首をパシッと掴まれる。


 胸がドクンと強く鳴る。そしてすぐにバクバクとすごい速さで音を立てる。


「えっと……追加注文でしょうか?」


 私はごく普通な接客を意識して質問する。

 手首を掴んでいるエルティミオ様は私の顔をじっと見つめる。何を考えているのかわからない表情に、顔が強張りそうになるが、不思議な顔をして首を傾げてみる。

 じっと私の顔を見ていたエルティミオ様は掴んだ手首の先を見る。視線の先は私の手。そしてトレイを持っている手の方に視線が移動する。


 大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。


 心の中で何度も呟くが、彼の碧い瞳は私の何もかもを見透かしているような気がしてならない。

 額に冷や汗が滲んでくる。

 私の容姿を一通り確認したエルティミオ様は少し笑って「すまない。水をもらいたくて」と言い、私は「かしこまりました。少々おまちください」と笑顔で応える。


 厨房へ向かうが背中に彼の視線を感じる。不自然な動きにならないように私は下がる。


「ルルシアさん! 向こうのお客様、お水ですね! 私、持っていきます」

「あっ、助かります!」


 先ほどキャッキャしていたホールスタッフの一人がさっさと水を準備して厨房からホールへ出る。


「ごめん! ルルシアさん、ちょっと注文立て込んできたから、厨房の方手伝ってもらっていい?」


 ロバートさんの指示に私はホッとする。


「わかりました」


 この日はコース以外の注文にばらつきがあって厨房の方が忙しくなってきたため、私はそのままホールに出ることはなく、閉店まで厨房の手伝いをした。

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