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16 再会

 翌朝、診療所のある町へと帰っていくベンジャミン先生を見送った。


「ルルシアさん、本当におひとりで大丈夫ですか? もし旦那さんに見つかったら、暴力を振るわれる前にうちの両親や兄たちを頼ってくださいね」


 先生は心配そうな顔をしながら馬車に乗り込み帰っていった。やはり思った通り、先生の中でエルティミオ様はDV夫となっていた。


 それからロバートさんの伝手で職場となるレストランからわりと近い集合住宅の一室を借りられることになった。角の部屋を借りられて、隣に入居者はいないらしく多少うるさくても問題ないと言ってもらえた。

 寝台や箪笥などの大型の家具は備え付けで、私は足りないものだけ買い足し、新品のシーツを敷いた寝台にアルヴィンを転がし、指輪を外す。


「あぶぅーっ!」

「ふふっ、やっぱりこの姿が一番にこにこしてくれるわね!」


 私も寝台に転がってアルヴィンを抱き上げ高い高いをした。アルヴィンはキャッキャッと笑う。

 他人の家に住んでいては気軽にこの姿にはなれない。自分でしっかりと自立して生活したいという気持ちももちろんあったが、私が住む場所を探したいと言った理由は気軽に素の姿に戻りたい、というところにもあった。


「アルヴィン! ここから私たちの人生を始めましょう!」

「あーうーっ!」


 アルヴィンがそうだね、と言ってくれたような気がした。



     ◇



 それからの毎日は大変で忙しいものだったが、充実していた。


「ミーナさん! 今日もアルヴィンお願いします!」

「はいはーい!」


 私がドロシーの姿で邸の裏口から声を掛けるとミーナさんがやってくる。


「アルヴィンですけど、昨日から突然ふらふら走り出したかと思うと後ろに転んでケラケラ笑うって危険な遊びに挑戦したがるんです」

「あらー分かったわ。気を付けて見ておく」

「あと、今狭いところブームみたいで、おもちゃ箱の中身全部出したかと思えば、その中にちっちゃくなって入り込んでることがあって」

「ふははっ、うちの子たちにもあったわ!」


 ミーナさんには気になることを伝えて、アルヴィンを託す。


「オーケー! アルヴィン! 入り易そうな箱いっぱい用意してあげるね」

「えっ、そっちですか!?」


 ミーナさんの答えにアルヴィンは「あーとっ! あーとっ!」とミーナさんにお礼を言って目を輝かせる。

 ミーナさんのお世話の仕方はアルヴィンの行動を制限することなく、のびのびと遊ばせてくれる。さすが四児の母だな、と感心するばかり。アルヴィンは嫌がることなく「だーこ?」と言ってミーナさんに抱っこをせがむ。


「では、すみません。お願いします!」

「はーい、いってらっしゃい」

「ママっ、ばっばっ!」

「うん、アルヴィン、いってきます」


 アルヴィンはグーパーしてバイバイしてくれたので、私もアルヴィンに手を振る。

 私はミーナさんにアルヴィンをお願いしたら、そのままレストランの裏口へ向かう。


「おはようございます」

「おはよう、ルルシアさん。今日の昼は厨房入ってもらいたいんだけど、夜はホールの方へ出てもらってもいい? ホールの子が夜休みたいそうなんだ」

「わかりました」


 私はロバートさんの指示に返事をして、エプロンを着けてコック帽をかぶる。


 ここで働き始めてから一年が経った。レストランは毎日忙しいが、忙しい方が気が紛れる。

 一度目のリナルーシェとしての人生では、今から半年前に死んでいた。カビ臭い地下牢に冷たく硬い床の感触はまだ鮮明に覚えている。

 町でたまに騎士を見かけてドキリとすることがあるが、ドロシーの姿で平静を装い堂々と通り過ぎれば声を掛けられることもない。

 一度目の人生では「ナイナイ」しか聞くことのできなかったアルヴィンの言葉は一歳半を迎えて、もっと増え「ママ」という言葉も聞くことができた。今ではアルヴィンはドロシーの姿の私もリナルーシェの姿の私もどちらも「ママ」だと理解しているようだ。


 なんとか死なずにここまで来ることができた。

 私は過ごしやすいこの地でひっそりと子育てしながら過ごしたい。



「今日の賄いはルルシアに頼みたいんだが」

「任せてください!」


 私は下ごしらえのためにニンジンの皮を剥きながら応えた。

 料理長であるベンジャミン先生のお父様の足はもうすっかり治っている。私の作る料理を食べてみたいと言ってくれたので、賄いにオムライスを作ってから、度々賄いを作るように頼まれる。オムライスはもちろん包丁で真ん中に切れ目を入れると中からとろとろの半熟卵が出てくる、ふわとろオムライスだ。

 この世界、日本の乙女ゲームの世界のわりに料理はフレンチ寄りで、みな初めて食べるオムライスに感動してくれた。


「父さんまたルルシアさんに賄い頼んだのかよ。ルルシアさんの休憩時間無くなるじゃないか!」

「平気ですよ! 料理好きなんで!」

「いや、大丈夫だ! ルルシアの休憩はわしが確保する!」


 そう言うと料理長は私が夜のディナータイムまでに剥く予定のニンジンとジャガイモの皮を猛スピードで剥き始めた。


 日本人だった前世、私は東京のなかなか大きな有名レストランで働いていた。調理師免許を持った者でも新人は皆平等に一年はホールを経験させる店で、皆そこを経てから厨房に入る。私は厨房の見習いよりも少し上の各料理担当のアシスタントのポジションで仕事をしており、その日の人材の少ないところを補うような役割を果たしていたため色んな料理を担当したことがある。肉料理や魚料理、ソースが完璧に作れる、などということはないが、幸いこのレストランではオールラウンダーとして活躍することができ、それがここでは重宝された。

 さらに貴族令嬢として身に付けていた所作なども良かったようで、富裕層向けのレストランでは丁寧な所作を気に入られて、お客様受けも良く、ホールスタッフが不足している日は接客も任された。



 夜のディナータイムになると忙しくなってくる。


「いらっしゃいませ、スターツ会頭、お待ちしておりました」


 私はホールの玄関でお客様を出迎えてテーブルへと案内する。

 グラスに水を用意していると、ホールスタッフの女性が二人キャッキャしながら厨房から客席を覗き込んでいたのでどうしたのだろうと首を傾げた。


「あっ、ルルシアさんも見てください! 向こうのテーブルの男性、すっごいイケメン!」

「うちのお店、よくお貴族様も利用されるので、高貴な方って見慣れてはいますけど、今まであんなに美しい人見たことありませんよ!」


 二人はどうやら貴公子を見つけて黄色い声を上げていたらしい。

 貴族なら知っている人かもしれないと私も二人と一緒に客席の方を覗き込む。


「っ……!?」


 私は客席を見て大きく目を見開いた。驚きで心臓が激しく動悸する。目に入った光景は息をするのも忘れてしまいそうなほどの衝撃だった。 


 ――なぜ……彼がここに……っ!?


 視線の先にはエルティミオ様がいた。

 彼はまだあと一年公国で過ごすことになっているはずだ。なぜここにいるのだろうか。

 同じテーブルには騎士団長の息子でロザリー嬢の婚約者のサンデリアーナ伯爵令息もいた。


 私は一度目の人生、アルヴィンと引き離されたあの悪夢のような日を思い出す。アンナというヒロインを連れて一時帰国でもしたのだろうか。

 ただでさえ激しい動悸で胸が痛いのに、ヒロインの顔を思い浮かべるとさらに胸を抉られるような心地がして、息が苦しくなってくる。

 

「ルルシア! もう前菜仕上がりそうだから、会頭のところに早く水持っていって」


 料理長の指示でハッとした。


「は、はい……!」


 私は少し深呼吸をして、すぐに用意した水を持ってホールに出る。心臓がバクバクと鳴っている。

 私は今、ドロシーの姿なのだから、堂々としていれば彼が私に気付くはずがない。私は水を持って彼の横を通り過ぎる。


 彼らの座るテーブルのすぐ隣に位置する会頭のテーブルに給仕をしながら聞き耳を立てる。


「リナルーシェ妃は本当にこの町にいるのかよ……?」

「わからない。だが、この町でルーシェの持っていた宝石が売られていたんだ。なにか手がかりがあるかもしれないだろう」


 っ!


「そう言って、もう八か所もあちこち町を回ってるんだが……」

「嫌なら王都に戻ればいい。ルーシェは私ひとりで探すから」


 彼が雑にフォークを手に持った。そしてそのフォークを仄暗い目でまじまじと眺める。いつも所作まで完璧な彼が、食事を前にそんなふうにする様子は初めて見る。


「ルーシェは絶対に逃がさない。たとえ彼女が地の果てに居ようとも私は絶対に彼女を追いかけ捕まえる……!」


 その言葉とともに目の前にあるステーキの一切れにフォークをダンッと突き刺した。

 私は顔が引き攣りそうになるのを必死に堪える。テーブルクロスで隠れて見えないはずだが、足はガクガクと震えている。


「はぁ、付き合うさ。それが俺の仕事だから」


 サンデリアーナ伯爵令息はそれを見ても平然とパンを口に運んでいた。

 私は水を置き、料理の説明を終えると足の震えを堪えて厨房へ下がる。


 厨房の中に入り扉を背にハァハァと必死で息をする。


 ――こ、殺される……!


 あの目……バレたら地下牢送りどころのレベルではない。私はそんな悪いことをしたのだろうか。

 私がいないのであれば、死亡扱いでもなんでもして、ヒロインと再婚でもすればいいのに、なぜ私を捕まえる必要があるのか。

 考えてもわからないことばかり。


 そして私は失敗したと頭を抱える。

 私は王宮を逃げ出してから手持ちの宝飾品をばらしてウォーレンに出来るだけいろんな場所で売ってきて欲しいと指示をした。

 数か月にわたって、二十か所以上もの場所で売ってもらった。私の捜索を撹乱するための指示だが、ウォーレンだって怪盗としての自分の存在を知られたくないはずなので、私の指示を怠ったなどはないはずだ。私はそこで安心して、どこで宝石を売ったかまでは確認していない。


 まさかウォーレンがこのシュロの町へ宝石を売りに来ていたとは知らなかった。

 そして宝石の売却の情報を頼りにエルティミオ様が自ら私を探しにくるなど思いもよらなかった。


 私は厨房の窓ガラスに反射した自分の顔を見て心を落ち着かせる。


 ――いや……大丈夫。だって私は今ドロシーの姿をしている。リナルーシェとは別人の姿をしているのだ。堂々としていれば大丈夫。

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