15 新たな生活
ベンジャミン先生のご実家はシュロという、わりと広い町で富裕層向けのレストランを営んでいて、先生はそのお家の三男坊で、料理人としての道ではなく医者としての道を選んだらしい。
邸宅はレストランのすぐ隣にあり、先生が邸に入るとすぐにご家族がわらわらと集まり、誰が誰を連れて帰ってきた!? と騒がしくなる。
「とりあえず、説明はあとにさせてください。ルルシアさん、浴室はこちらです。アルヴィン君は預かりますから、まずは身体を綺麗にしてきてください」
「ありがとうございます」
アルヴィンの吐瀉物はミルクだけだが、それでも結構匂うと思うので、私はお言葉に甘えて浴室を借りた。
私が身を綺麗にしてから浴室から出ると、ベンジャミン先生はすでに皆に説明を終えてくれていた。
「ケビンがとうとう子どもとお嫁さんを連れて帰ってきたのかと思ったのに残念だわー……」
そう言うのはベンジャミン先生のお母様。ケビンというのはベンジャミン先生の名前だ。
「変なことを言わないでください。ルルシアさんが困惑しているではありませんか」
「あ、いえ……」
一応否定したが、たしかにどういうリアクションを取ればいいのか困る。
「ルルシアさん、奥の部屋を貸しますから、今日はそこで休んでください。アルヴィン君はあなたを待っている間に寝てしまいました。起きたら、少量のミルクを上げるようにしてください。お腹を下すようならオムツかぶれをしやすくなるので、こまめにおむつを替えてください」
「わかりました」
「それと……ルルシアさんも、もし調子が悪いなどがあればすぐに私に言ってくださいね」
先生は五日間はこのご実家で過ごすらしく、その間はこの家で甘えていれば良いと言ってくれた。
◇
「すみません……ご迷惑をおかけしました」
「いえ、良くなって何よりです」
私は結局ベンジャミン先生の言った通り翌日熱が出て、吐き気が止まらなくなり大変なことになった。
三日間熱が出て、ようやく落ち着いた。ふらふらになりながらアルヴィンのお世話をしていたが、一足早く胃腸炎が治ったアルヴィンは先生の一番上のお兄様、ロバートさんの奥様のミーナさんが世話を助けてくれた。
「ミーナさんも大変助かりました。ありがとうございました」
「いいえ、ハリーの世話のついでみたいなものだから気にしないで!」
ロバートさんとミーナさんの間には四人のお子さんがいて、その一番末っ子のハリー君は一歳になったばかりの赤ちゃんで、ミーナさんは子どもの世話にも慣れていた。
「ところで……私、こんな状態だったのでよく考えもせずにお世話になってしまいましたが、先生のお父様が大変な時に……お父様は大丈夫なのでしょうか……?」
「ああー……父なら元気に厨房で檄を飛ばしてるんですけど……」
なんだか困っているように見える。
「倒れられたのでは?」
「正しい情報は階段でバランスを崩して倒れて足を骨折した……ということで……私が来た時にはもう処置も終わっていて、痛み止めを処方するくらいしかやることがなかったんですよ」
「骨折!? 大変ではありませんか!?」
「大変よ。ロバートが毎日頭抱えているもの」
ロバートさんが頭を抱える? どういうことだろうか。
ミーナさんが苦笑いをしながら「ちょっと見に行く?」と誘ってくれたので、私はミーナさんについて、邸宅の裏口からレストランの裏口へと入る。
レストランの裏口から中に入るとすぐに厨房に出た。
なかなかの広さのある厨房で、働き手も活気がある。ここからちらりと見えるホールは富裕層向けのレストランらしくきらびやかな装飾に優雅な雰囲気を醸し出している。
「おい! ピアーノ夫人の料理は辛さ控えめだぞ! 鍋分けろ!」
「あっちのテーブル、もう皿の上、空だぞ! 次の料理早く!」
「洗い場溜まってるぞ! そんなんで皿足りるんか!?」
厨房ではずっと怒号が飛んでいるが、全部ひとりの男性の声。声を上げる壮年の男性は足をギプスで固定して松葉杖を持っている。他にも「早く皿を下げろ」や「火加減が違う」などの指示が飛ぶ。
「まあ今までもこんな感じではあったんだけど、お義父さんが怪我してから料理人が足りなくてさらに忙しくなっちゃって、こんなタイミングなのに昨日忙しすぎるって一人辞めちゃってね……さらに忙しくなっちゃったみたい。お義父さんが怪我をしてから一週間、ロバートがクタクタになって毎日頭抱えているわ……」
忙しなく料理人が駆け回るその風景が懐かしく感じてしまった。
「すみません。アルヴィンお願いしても良いですか?」
私は隣で一緒に様子を見ていたベンジャミン先生にアルヴィンをお願いして厨房の洗い場でお皿を洗う。それが終われば今度は料理の仕上げに取り掛かっている料理人に「プレートは丸ですか? 四角ですか?」と確認をする。料理人は驚いた顔で「丸で」と答えて私は盛り付けやすいように丸皿を並べた。
今度は注文の入った魚料理の魚を手に取り包丁を入れる。「下処理は済んでいます」と魚料理を担当する料理人に渡せば「あ、ありがとう」と料理人はすぐにフライパンの上に載せて焼き始める。
そして私はまた洗い物に手を付ける。
「すごい……! ルルシアさん、レストランで働いた経験が?」
「はい、ずいぶん昔ですが……」
私はお皿を拭き上げながら応えた。一通りの洗い物を終えたところで、レストランのピーク時間は越えたようだったので私はベンジャミン先生からアルヴィンを受け取りミーナさんたちと邸へ戻る。
そしてミーナさんがお茶を用意してくれたので、私はアルヴィンにミルクをあげながらミーナさんの用意してくれたお茶をいただいた。
「ルルシアさん! さっきはありがとう!」
コック帽を手に握りしめてやってきたのはベンジャミン先生のお兄様のロバートさん。
「いえ、お世話になりましたし……あんな程度ではお礼とも言えませんが……」
「ルルシアさん、頼みがある!」
「はい?」
「ケビンと帰るのは待ってくれないか! できればうちのレストランを助けてほしい!」
ロバートさんは真剣な顔で頭を下げる。
「なぁ父さん! 彼女ならいいだろう!?」
ロバートさんが顔を上げて視線を向けた先には先ほど厨房で怒号を飛ばしていた、足をギプスを固定した壮年の男性がいた。
「ああ! さっきの動きを見ていたが、彼女なら即戦力だ。ルルシアさん、ケビンと帰るのはやめてうちで働いてもらえないかい?」
「あ、あの……! もともとベンジャミン先生と帰るつもりはありませんでしたけど……?」
村に戻っても再び騎士が私を探しに来たら怖いので、あの周辺には近寄りたくない。
「え、そうなの? ケビンが一生懸命君の看病をしていたから俺はてっきり……あっケビンの片思いか!」
それを聞いてベンジャミン先生が「ちょっと」と怒り出す。
「それはハッキリ母さんに否定したじゃありませんか!」
「私だってロバートにちゃんと説明したわよ。ルルシアさんとケビンはまだ結婚してないみたいよって」
「まだもこれからも結婚しませんってば!」
この家でベンジャミン先生の結婚が熱望されていることはよくわかった。
「すみません、ルルシアさん。変な勘違いをしているようですが気にしないでください」
「あ……はい……。えっと、すみません……私、ちょうど働き口を探していたところなので雇っていただけるのであれば大変ありがたいのですが……」
「ほんと!?」
ちょうど路銀も厳しくなってきた頃なのでありがたい申し出だが……
「ですが、ご覧の通り小さな子どもを抱えておりますので、働くにあたっては子どもの預け先が必要なのと、住む場所もまだ……」
するとすぐにミーナさんが口をはさむ。
「ルルシアさんが働いている間のアルヴィン君のお世話なら私が面倒みるわよ! それに住む場所なら、そのままうちに住んじゃえばいいじゃない! お義母さん良いですよね?」
ミーナさんがベンジャミン先生のお母様に確認する。
「ええ! うちは構いやしないよ! もともと大所帯だもの。一人や二人増えたところで……」
ここの家には先生の二番目のお兄様とその奥様も住んでいて、六人の大人と四人の子どもが住んでいる。それだけの大家族であれば私たちが増えることなど大したことがないのかもしれないが、私は自分の事情で住む場所は別にしたい。
「では! ミーナさん、申し訳ないのですが、働く間のアルヴィンのお世話はお願いしても良いですか?」
「もちろんよ!」
「ですが、住む場所は別で探します。遠慮をしてるとか、ここの家が嫌だとかそういうわけではなく、ちゃんと自立をして生活したいのです」
私はまっ直ぐ前を向いて話をした。
だが、先生はうーんと難しい顔をする。
「女性一人では何かと心配ですし、母さんたちが良いって言ってるのですから甘えてはどうですか」
ミーナさんもお母様も「そうよ、子どもも小さくて大変でしょうし」や「ケビンの言う通り甘えてくれて良いのよ」と言う。そんな中一人だけ私の意見を肯定してくれた人がいた。
「いいんじゃないか、しっかりしたお嬢さんだ! おい、ロバート! お前、明日の定休日はルルシアさんの家探し手伝ってやれ!」
先生のお父様は腕を組みながらそう言ってくれた。
「ありがとうございます! ロバートさん、よろしくおねがいします」
こうして私とアルヴィンはこのシュロの町で新生活を始めることにした。
最近は後書き控えめだったのですが、今回はどうしても次回予告をしたく…!
明日更新予定の次話は『16 再会』です。やっとです…長かった!
お読みいただきどうもありがとうございました。




