14 逃げる
風も吹いていないのに突然ゾクッと寒気を感じて私はアルヴィンを抱きしめて少し震えた。
すぐに寒気は引いていき、何だったのだろうかと首を傾げる。
――また騎士がいる……。
私は泣いているアルヴィンを連れて堂々と騎士の横を通り過ぎる。
そして乗合馬車の停留所で馬車を待っていると騎士が私の顔を覗き込む。
よしよしと泣く我が子をあやす母を装うが、内心は心臓がバクバクと鳴っていた。
乗合馬車は時間通りにやってきて、私はアルヴィンと馬車に乗り込もうとした。
「あ、ちょっと、すみません!」
私の顔を覗き込んでいた騎士が馬車に乗り込もうとしていた私の肩を叩いて引き留める。私の心臓はドクンと強く跳ねる。
「なにか?」
平静を装い騎士の方を振り向いた。
「これ、落としましたよ」
渡されたのはハンカチ。アルヴィンが握っていたものが落ちてしまっていたらしい。私は「ありがとうございます」とそれを受け取り馬車へ乗り込む。
すぐに馬車は走り出し、騎士の姿は見えなくなって、ドロシーの姿をした私は馬車の中でふーっと息を吐いた。
とりあえずこの馬車で行ける一番遠くの町へ向かう。方角は念のためドラセナ公国とは反対の方角の町へ。
アルヴィンはまだ生後四か月で、一日中馬車に乗って移動することは難しく、私は午前中に一時間、午後に一時間馬車に揺られて移動をした。少し大きな町に出たので、そこで宿を取った。
私は指輪を外し、素の姿でアルヴィンを寝かし付けた。
アルヴィンはドロシーにも慣れてはいたが、やはり私の姿がずっと見えないのは不安だったのか、今日はよく泣いていた。
私は村へ来た騎士を思い出してアルヴィンをギュッと抱きしめた。
私が王宮から逃げ出してもう一年近くが経っている。それなのに村へ来ていた騎士は三人もいた。
私は王都の状況を知るため、隣町で売っていた新聞を買ってたまに目を通していた。村へ来てすぐのころ、王太子妃は静養中で公務に欠席という記事は読んだが、王太子妃行方不明やステファニア公爵令嬢指名手配などという記事は一度も見ることはなかった。国の要人が何か問題を起こしたり、巻き込まれたり、というのは国の威信にも影響するため、私が王宮に居ないことは極秘扱いで騎士団のみで捜索を行っているのだろうと想定できる。
だが、あの小さな村に三人もの騎士がやってきたとなると、一年近く経っても、捜査の手は全然緩まっていないと考えられる。
捕まったら私はどうなってしまうのだろうか。
「できるだけ遠くへ……彼の目の届かない場所へ……」
◇
私はそれから二か月もの時間をかけてゆっくりと移動した。宿では素の姿でアルヴィンに接したが、一歩外へ出るときはドロシーの姿で外に出るよう徹底した。
度々騎士を見かけることがあったが、私はドロシーの姿で堂々と通り過ぎる。
だいぶ国の外れの方までやってきたが国境は簡単には越えられないので、国内で隠れて過ごすしかない。
「そろそろ路銀が厳しいのよね……」
ウォーレンの家にいたころも、家賃と生活費にいくらかお金を渡していた。そして今回、移動にかかる馬車代と宿代でかなりお金を使ってしまった。
「出来ればこの辺りで家を借りて仕事をしながら生活できると良いのだけど……」
とりあえず暗くなってきたので、その日泊まる宿を探す。
「当宿では、乳幼児を連れたお客様はお断りをしています」
「え……」
そんなこと初めて言われた。
この国は最近子育てをしやすい国になってきたはずだが、国の外れの方まで来てしまったので、王国の方針が行き届いていないのかもしれない。
仕方がないので私は他の宿を探すことにした。
「すみません。うちの宿は──」
この町の宿屋は全滅だった。
私は急いで馬車乗り場へ向かった。
「だめだわ。もう今日の馬車の運行は全部終わってるわ……」
どうしよう。赤ちゃんを連れて夜を外で過ごすのは厳しい。
私は地図を思い浮かべる。
隣町までは歩いて行けない距離ではないが、森の中を抜けなければならない。
寒い。夜はなかなか冷える。アルヴィンがグズグズと泣き出して、私は荷物の中からストールを取り出し、アルヴィンと自分に巻き付けるようにそれを羽織る。
「ちょっと待って……アルヴィン身体熱くない……!?」
おでこに手を当てるといつもよりも体温がかなり高い。
「さっきの通りに診療所があったわ……」
私は来た道を戻って診療所へ向かった。
夜なので扉には休診の札が下がっていたが、私はドンドンと扉を叩いて「すみません!」と叫んだ。
「なんだい、こんな時間に……!」
中から医者らしい初老の男性が現れた。
「子どもが熱で……! 診てもらえませんか!?」
すると男性は深いため息を吐く。
「札には休診と書いてあっただろう」
「お願いです! まだ赤ちゃんなんです! お願いします!」
「明日の朝出直しな!」
「あっ、待って──」
すぐにバタンと扉が閉められてしまう。
「そんな……」
真っ赤な顔でグズグズと泣く我が子を見る。
生後半年、今まで熱など出たことがなかったが、毎日の移動が小さなアルヴィンの大きな負担になっていたのかもしれない。
「ああっ、アルヴィン……ごめんなさい。私のせいで……」
逃げなければ、とそればかりに気を取られていた。アルヴィンの熱い手を握ると不安が募る。
こんな寒空の下で熱のあるアルヴィンを一晩過ごさせるわけにはいかない。とりあえず宿だけでも何とかしなければ……!
私は森の中を行くことに決めた。二時間も歩けば隣町に着くはずだ。私は早歩きで森を進む。
「ふぇっ……ふぇぇっ……」
一時間くらい歩いたころ、ふうふうと熱い息を吐いていたアルヴィンが急に苦しそうにぐずり始めた。
先ほどグズグズしていた様子とはまた違う。
「ど、どうしたの……アルヴィン!?」
当然だがアルヴィンは泣いて苦しそうにするだけで、何も説明してくれない。
「うわぁぁん……、うぇううっ……」
「あっ、アルヴィン……っ!」
アルヴィンがごぼっと大量のミルクを吐いてしまった。
以前からミルクを飲んだ後にげっぷと共に吐いてしまうことはあったが、そんな程度の量ではない。
私はしゃがみ込んでアルヴィンの顔を覗き込む。暗くてわかりづらいが、先ほどまで真っ赤な顔をしていたのに今は真っ青でぐったりとしている。
「ど、どうしよう! アルヴィンっ……! アルヴィン!」
すると目の前に夜道を照らす光源の付いた夜間用の馬車が止まる。
「どうしましたか? 何かお困りですか?」
降りてきたのは一人の男性。
涙で滲んで前が見えづらい。
「え……ドロシーさん……?」
聞こえた声は──
「ベンジャミン先生……?」
◇
とりあえず馬車に乗るようにと言われて馬車に乗る。
「アルヴィン君は胃腸炎でしょうね。脱水に注意する必要がありますが、とりあえず吐いたばかりなので様子を見ましょう」
ベンジャミン先生は馬車の中ですぐにアルヴィンのことを診てくれた。
「ところで……なぜドロシーさんがアルヴィン君を……?」
アルヴィンを抱いていることで不審な顔をされて私は仕方なく指輪を外して自分の姿を現した。
「えっ、ルルシアさんっ!? ど、どういうことですか……?」
「夫から……逃げているんです……」
「ずっと旦那さんのことは気になっていたのですが……そうですか。お子さんもいるのに大変だったんですね……」
ベンジャミン先生は私を見て悲痛な面持ちをする。これはあれだ。
過去に「夫から逃げてきた」と言ったときのドロシーと同じような顔をしている。またエルティミオ様はDV夫となってしまったが、深く説明するのは憚られるため私はそれを否定しない。
「これは特別な魔法道具で夫から逃げるにはちょうど良いので、ドロシーに許可をもらってドロシーの姿で村から出てきました」
「そうでしたか。人の姿を借りて……というのは思うところがあるし、その魔法道具はなにやら危なげな気もしますが、旦那さんから隠れて過ごすにはその姿の方が良いのでしょうね」
ベンジャミン先生は優しい顔をしたのでホッとした。ベンジャミン先生は誠実な人なので、こういった魔法道具を嫌がることは想定できたが、事情を説明すれば頭ごなしにダメとは言わないと思ったので、私は逃げずに話すことにした。
「それでルルシアさんはなぜ森を……?」
私は先ほどの町で宿に泊まれなかったこと、熱が出たアルヴィンを医者に診せられなかったことを説明した。
「では、とりあえずうちの実家にでも来てください。ああ、広い街なので、どこから情報が漏れるか分かりませんので、心配でしたら、ドロシーさんの姿で来てくれて良いですよ」
「甘えても、良いのでしょうか?」
「ええ。それだけアルヴィン君の吐しゃ物を掛けられていたら、隣町の宿屋でも断られる可能性が高いでしょうから、遠慮なさらずうちへ来てください」
私は言われてからハッとした。私の肩と胸の部分にべったりとアルヴィンが吐いたミルクが掛かっている。
「す、すみません! こんな汚い格好で馬車に乗ってしまって……!」
「お気になさらず。ただ、あなたにも胃腸炎がうつっている可能性が高いですから気を付けてくださいね」
「はい……」
ベンジャミン先生のご実家はここからすぐのシュロという町でレストランをしているらしく、お父様が倒れたという連絡を受けて、診療所を休んで様子を見るために駆けつけているところだったらしい。馬車は町の貸し馬車屋で夜間でも走れる馬車を借りて、御者も同時に雇って走らせてきたのだとか。
父親が倒れたと聞いて、実家に駆けつけることは普通だと思うが、少しの気がかりがある。
「診療所お休みして大丈夫なのでしょうか……?」
ルーノラの村には不信感いっぱいの高齢の医者しかいないので、村の人たちが困るのではないかと心配した。
「診療所は休業せずに若い医者に頼んできましたから! そろそろあの子も一人立ちしても良いころでしたし、うちには優秀な看護師もいますから大丈夫ですよ。それにあの町に診療所は他にもあるので、うちの医者の腕が悪ければみんな他の医者にかかるだけですよ」
それを聞いて安心した。
「あ、そろそろ着きますよ。えーっと、ドロシーさん? ルルシアさん?」
ドロシーから姿を借りる許可はもらっているが、名前まで借りるのは別の問題が起きそうな気がする。
「ルルシアでお願いします」
私はドロシーのそっくりさんのルルシアとして過ごすことにした。




