13 時戻しの宝玉
とある貴族の娘の悪意でリナルーシェは亡くなった。
女は我が国の伯爵家の娘だったが、今まで関わったことのない初めて会った女だった。
リナルーシェが早産した際、妙な噂が流れ始めたのはこの女の仕業であった。父親の立場を利用し王宮に入り込み、メイドを買収し巧みに噂を流して、離宮の存在をリナルーシェに聞かせて警備が手薄な離宮にリナルーシェを追いやった。
悪意のある噂によってリナルーシェは他者の存在を怖がり、人の目がないことをリナルーシェが心地よく感じてしまったことも良くなかった。
女はリナルーシェに成り代わり離宮で生活をし、本来の私が帰国する予定だったあと一年半の間に本物のリナルーシェや離宮の奥に閉じ込めた者たちをどうにかしようとしていたところに私が先触れもなく帰国して捕まった、という状況だった。
「リナルーシェ・ステファニアが……! あの女が浮気をして他の男の子どもを妊娠していたのは本当のことです! エルティミオ様があの女に騙されていたんですよ! だから私があの女を排除したんです!」
騎士団の地下牢の柵を掴んで女が叫ぶ。さも自分が正しいことを言っているかのように。
リナルーシェとの関わりも聞いたことがないようなこんな女が、リナルーシェの一体何を知っているというのか。ただ、この女の自分は間違っていないと言わんばかりの目が気持ち悪い。
「お前なんかより、私の方が彼女のことはよく知っている。彼女はそんな女性ではない。手続きが終わればお前は処刑だ」
こんな女、すぐにでも私の手で殺してやりたかったが、衝動的に動くことは許されない。それよりも、確認すべきことがある。
捕らえた女は少し前に世間を賑わせ大怪盗と名を馳せた怪盗ワロンに王家の秘宝『成り代わりの指輪』を盗ませて手に入れたと言った。
どこで秘宝の情報を手に入れた、なぜ怪盗ワロンとコンタクトを取れるのかと聞いても、女は意味の分からないことを言うばかりで話にならなかった。
騎士たちに保護され、落ち着きを取り戻したナタリーから話を聞くと、ひと月ほど前に突然私が先触れもなくやってきてリナルーシェを地下牢へ放り込んだ、という。それに対し反抗的な態度を取った使用人はアルヴィンと共に離宮の奥の部屋に閉じ込められたらしい。
離宮の警備やメイドが一部、王宮で採用した者から別の者へ入れ替わっていた。あの女の配下の者らしい。
私はひと月前に帰国などしていない。
あの女はそばに侍従を置いており、どうやらその侍従が『成り代わりの指輪』を使って私に成りすましたようだ。
ナタリーの話を聞いた後、『成り代わりの指輪』についてを含めた私の主張を聞き終えたナタリーは厳しい顔をしながらもアルヴィンを私の腕に抱かせてくれた。
産まれたての赤子ではなく重みもしっかりある一歳の私の息子。
彼女と同じ緩くウェーブのかかったストロベリーブロンドに若草色の瞳。私が抱くと怯えたように「ふぇぇ」と泣き始める。彼女の面影を見つけて私の視界はぼやけてくる。
「すまない、ナタリー……出かけてくるからこの子を頼む」
私はステファニア公爵家へ向かった。
頭を下げてリナルーシェの兄であるステファニア公爵と母である前公爵夫人に今回の出来事を説明する。
前公爵に続く訃報に二人は悲しみを露わにし、リナルーシェを守り切れなかった私は二人から罵倒されることも覚悟をしたが、二人はそれをしなかった。
そして私がする質問にしっかりと答えてくれた。
◇
「陛下『時戻しの宝玉』を使います』
「っ……!」
私の発言に陛下は顔を歪ませる。
「ならぬ! それは人生で一度しか使えない。お前の人生はまだ先が長い。お前が王となったとき、国を揺るがすような事態に陥ったときに使うためのものだ!」
宝玉の使うタイミングについてはずっとそのように教え込まれてきた。
「リナルーシェ妃はすでに王子を産んでくれておる。彼女は十分に役目を果たしてくれたんだ。お前はこれから彼女を悼み、弔って、アルヴィンを立派に育て上げるのだ」
私は陛下の言葉に拳を強く握りしめる。
「いやです」
彼女をこんな形で失うなど認められない。
「私にとって彼女の死は国を揺るがす事態以上のものなのです! 『時戻しの宝玉』を使って次こそは絶対に彼女を守り抜きたいのです!」
「ならぬ! あれは国のために使うものなのだ!」
陛下は頑として首を縦には振らなかった。
「エルティミオ、やりなさい」
「っ!?」
陛下の隣にいた母の行動に私も陛下も目を見開く。
「お、お前……何を……」
母は護身用の短剣を取り出し父の首元に剣先を突き付けていた。
「リナルーシェを守れなかったことは私にも責任があります。陛下にも同様のことが言えるはずです。王家の秘宝が盗まれたとき、彼女には宝物庫で秘宝が盗まれたとしか伝えませんでしたよね。どのような秘宝が盗まれて、それによって起こりうる可能性についての説明をしていれば、このような事態にはならなかったと思いませんか?」
「そ、それは……」
母はスッと目を細めて一呼吸置き、冷たい声で囁いた。
「陛下? 私がここであなたの首を斬れば、エルティミオは『時戻しの宝玉』を使わなければならなくなりますかね?」
陛下はごくりと唾を飲み込んだ。
「わ、わかった! 使用を許可するから……」
「ふぅ、わかってくれれば良いのです」
母は陛下から短剣を離して鞘に戻す。
「陛下、私が同じように何者かに殺されたときは『時戻しの宝玉』を使用してくださいね」
母は冷たい目で陛下を見た。
「私は為政者として正しい判断をしているつもりだが、男としてはダメだったようだな……」
陛下は深いため息を吐いた。
母の助力もあり『時戻しの宝玉』の使用は許可されたが、母があそこで剣を突きつけていなければ、私が母と同じことをしていただろうと思う。
こうして私は『時戻しの宝玉』を使用した。
戻りたい時を思い浮かべて宝玉に魔力を流し込めばスーッと時間を遡っていく。使用者だけは一度目の記憶を残すことができる。
私は彼女のことを強く想う。
――次は必ず守るから。リナルーシェ……!
一度目の記憶はそのままに私は学園時代まで時間を遡った。
◇
二度目の人生。初夜のあたりからリナルーシェの言動に違和感があった。
だが私も一度目とは違う行動を取っている。そういうことがあってもおかしくはない。
「ルーノラという村でリナルーシェ妃の目撃情報があったぞ」
「それで!? リナルーシェは保護できたのか!? 誘拐犯の捕獲は!?」
リナルーシェが失踪して一年。ようやく掴んだ彼女の情報に、私は急使でやって来たネイトに詰め寄った。
「い、いや……すぐに騎士が向かい、一軒一軒探して回ったが、掴んだ情報はルルシアという赤みのある金髪に緑色の瞳をした女性に空き部屋を貸していたという同棲する男女の話が聞けただけで、それも……その女性は少し前に部屋を出ていってしまったということだった」
「赤みのある金髪に緑色の瞳……リナルーシェの可能性が高いな……。その女性はどんな奴に捕らえられていたのかなどの情報はないのか!?」
「それが……捕らえられているような様子はなく、赤子を連れて散歩しているところをリナルーシェ妃捜索に当たっていた騎士が非番の日に立ち寄った村で目撃したということらしい」
「赤子……?」
私は眉を顰める。
「村人の情報ではルルシアと名乗るその女性は夫の家庭内暴力から逃げてきたシングルマザーという話はあったが……」
「家庭内暴力……? シングルマザー……? その女性はリナルーシェではなさそうだが……」
私は家庭内暴力などしていないし、一度目の人生では彼女は確かに妊娠していたが、二度目の人生では私が旅立つまでに彼女が妊娠することはなかった。
彼女が妊娠しなかったことは恐らく私が一度目と違う行動を何度も取ってきたからだと想定できる。
「お前はリナルーシェ妃を大切にしていたから暴力なんてありえない、と俺もそう思ったんだけど……彼女の捜索の際にエルティミオが説明した、リナルーシェ妃の特徴と一致しているところがあって。ほら……食事の際にリナルーシェ妃は食事を前に手を合わせる癖がある、と言っていただろう? その女性も村の野原で敷物を敷き、赤子を寝かせ、そこで弁当を取り出し食事を前に手を合わせていたらしい。そして『イタダキマス』と……」
「ルーシェだ……!!」
彼女は公的な場では絶対にそのようなことはしないが、ふと気の緩んだ時などは食事を前に手を合わせて「イタダキマス」と言うことがある。そんなことをする人間、この国で彼女以外に見たことがない。
一度彼女にその行動の真意を確認したことがあるが、食材と料理人への感謝の気持ちを表した行動だと教えてもらい胸を打たれた覚えがある。
誘拐されたはずのリナルーシェ。誰かに捕まっているというわけではないのに彼女はなぜ王宮へ戻らないのか。
家庭内暴力?
私が彼女に暴力的なことをしたことはないはずだが……私は必死に過去を振り返る。
一度目と違って私は二度目の初夜、リナルーシェのことを激しく抱いた。愛するリナルーシェに私という存在を刻み付けたくて、一度目以上に余裕がなかったのだ。
ここへきて初夜から感じた違和感が浮き彫りになる。
初夜以降、私は彼女に愛していると言ってもらえただろうか……?
一度目の人生ではドラセナ公国への旅立ち前に涙ながらに「愛しています」と言ってもらえたのに、二度目の別れでは言ってもらえなかった。
もしかして……
――ねぇ、ルーシェ……私の愛は暴力的だった……?
彼女は赤子を抱いていたという。
私の子は妊娠してくれなかったというのに……
私の頭によぎったのはあの忌々しい女の言葉。
――『あの女が浮気をして他の男の子どもを妊娠していたのは本当のことです!』
いや、それはありえない。彼女にそんな不快な疑いを掛けられることがないよう二度目の人生では対策を講じてきた。あんな言葉はあの女の戯言だ。
そう思っていても、その言葉は私にかなりのダメージを与えていたようで、彼女を愛しながらもときどき探るような目で見てしまう。そのたびに彼女はそんな女性ではない、と心を落ち着かせてきた。事実、彼女に他の男を感じるような動きはなかった。
だが、彼女が私の目に届かないところへ行ってからはどうだろうか。
ずっと彼女は無理やりに誘拐されたのかと思っていたが、実はその先で誰かと愛し合っていたら……?
私の中に彼女へのドロドロとした想いが溜まっていく。
――いったい君は誰と愛し合って、誰の子を孕んだの……?
今度こそ必ず守ると決意して時を遡ってきたというのに……
まさか他に愛する人がいるのだろうか。
――君の方から離れていくの……?
いや。彼女が誰かと愛し合い、子を産み、ちゃんと食事をして暮らせている。それが彼女の幸せであるのであれば……彼女がこの世に生きていることを喜び、私は彼女の幸せを願って身を引くべきなのかもしれない。
そんなことを考えてると、妙に感情が高ぶってくる。じっとりとした熱が胸を焼く。
「ふふっ……ふははははっ! あーっははははははっ!」
気が狂ったかのように笑いがこみあげてくる。
ああ、無理だ。
「だめだよ、ルーシェ。私は君のことを愛しているんだ。そんなの認められるはずがないよね……?」
君は神の前で永遠の愛を誓った私の妃なんだ。
絶対に逃がさないよ……ルーシェ……。




