11 ドロシーとウォーレン
前回の王宮での子育ては噂のこともあり、精神的にかなりきつかったのだが、今回の子育ては体力的にきつい。
乳母がいる生活とは違って授乳は全て私がしなければならない。母乳があまり出ないことを想定して哺乳瓶とミルクは事前に準備していた。
ミルクがあれば授乳なんて余裕だ、と思っていたけど、現実はそんなに甘くなかった。
ベンジャミン先生は新生児は身体が弱いからミルクを飲ませるのであれば哺乳瓶をしっかり消毒するようにと教えてくれた。大事なことだと理解はしているが、これがとても面倒な作業なのだ。
新生児はだいたい三時間おきに授乳が必要と教えてくれて、自分の睡眠時間は三時間の細切れ睡眠しか取れないのか、と覚悟をしたが、実際は授乳とおむつ替え、消毒に一時間かかってしまうので私が寝られるのが二時間しかなかった。しかもアルヴィンは私が抱っこで揺すると眠ってくれるのに、背中にスイッチが付いているのか、寝台に降ろすと泣いて起きてしまう。そうこうしているとまた三時間経って、アルヴィンがミルクを欲しがりくずり始める。これがすごくきつかった。
「ルーシェ、大丈夫……? ごはん、ここ置いておくから、食べられるときに食べてね」
「ありがとう! 助かるわ」
ドロシーのサポートがすごくありがたい。私はアルヴィンのおむつを替えてから、冷めてしまった食事を食べる。
出産経験のないドロシーは赤ちゃんのお世話は手伝えないが、食事や洗濯は全力でサポートするからと言ってくれて、できる限り自分のことくらいは……と思ったこともあったが、今は完全にドロシーに甘え切っている。
夜中の授乳を終えアルヴィンを寝かせて、私は台所で哺乳瓶を洗った。
「あれ、ルーシェ、まだ起きてたんか?」
やってきたウォーレンはコップを出して水を飲む。
「ごめん、うるさかった? アルヴィンが泣いて起きちゃって……でも、今授乳を終えたからもう寝るわ」
「こんな時間まで大変だな……」
「うん、でも自分の子どもだしね」
私はお鍋に湯を沸かして洗った哺乳瓶を煮沸する。
「あのさ……ルーシェ……」
「ん? なに?」
「いや……やっぱりいいや……おやすみ」
ウォーレンは何か言いたそうだったのに、言うのをやめて部屋へと戻っていった。
「うん……おやすみなさい」
何を言いたかったのだろうか?
わからないけど、その日から夜中の授乳に起きて台所へ行くと度々ウォーレンに会う。
アルヴィンの泣き声がうるさくて起きてしまうのかと心配して尋ねるとそういうわけではないと言う。現にドロシーはぐっすり寝入っているらしく、部屋が離れていることもあり、泣き声はそれほど聞こえないらしい。
「これ、洗って煮沸しておけばいいんだろう? あとはやっておくからもう寝ろよ」
「え、でも……」
「いいから、いいから」
最近ではウォーレンまで色々と手伝ってくれるようになったのだが、ウォーレンのサポートはドロシーと違ってなんとなく心地が悪かった。
◇
子育ても三か月が経過するころにはアルヴィンの首もすわって、私もだんだんとアルヴィンの世話に慣れてきた。最近はアルヴィンを抱いたまま私も一緒にゆっくり転がって眠るという小技を身に着けて、少しづつゆとりが出てきた。
「ウォーレン、喜んでくれるかな」
「こんなに一生懸命作ったのだもの、きっと喜んでくれるわよ」
この日はウォーレンの誕生日らしく、ドロシーに料理を教えてと頼まれた。私はアルヴィンをおんぶしながらドロシーに料理を教える。
「アルヴィン、寝ちゃったね。かわいいっ」
「ええ、おんぶは落ち着くみたいね」
料理がすべて出来上がったころにはアルヴィンはおんぶの揺れですっかり寝入っていた。
ミルクをたっぷり飲んでふくふくとした頬のアルヴィンがとろけた顔で眠る姿はすごく癒されるのだが、おんぶではその顔を見ることが出来なくて残念だ。
料理が出来てしばらく経ってからウォーレンが帰ってきた。
「おかえりなさい、ウォーレン! 今日は遅かったんだね。今日はね、料理を──」
「ああ! ちょっと寄り道してて、ほらルーシェ、これ見てくれ!」
ウォーレンは両手に紙袋を下げて帰って、ドロシーの話を遮るように私を呼ぶ。見せてきた紙袋の中にはベビー用品が入っていた。
「なにこれ、どうしたの?」
「買ったんだよ! アルヴィンあやすのに良さそうだろ!」
中からオルゴールやベッドメリー、ぬいぐるみが出てきた。
「ルーシェが子育て大変そうなのがずっと気になってて! さっそく、アルヴィンのベビーベッドに取り付けて──」
「あ、ありがとう! でも、取り付けは自分でするから良いわ! それより、今日はウォーレンの誕生日だからってドロシーが美味しい料理を用意してくれたからゆっくり食べて」
私が被せるように言うとウォーレンはテーブルに並べられた料理を見て「ああ」と言う。
「じゃあ、ルーシェ。先に食事にして、後で一緒に取り付けよう!」
「わ、私はもう頂いたから、二人でゆっくり過ごして! アルヴィンも寝かせてあげないといけないから部屋に戻るわ。これ、ありがとう」
私はベビー用品の入った紙袋を持って逃げるように部屋に戻った。ドロシーの顔を見ることはできなかった。
――ここもそろそろ出ていかないとダメかもね……
◇
翌日からドロシーとぎくしゃくしてしまったので、私はアルヴィンを連れて散歩に出るなどして家にいる時間を減らしてみたりした。
それから三日ほど経った日の夜中、授乳に起きると台所にはウォーレンがいた。
「水でも飲みに来たの?」
「ルーシェと話がしたくて……」
私はぎくりとした。
「なぁ、ルーシェ……前に一度聞こうとしてやめた話、王宮で何があって逃げてきたのかってやつ、教えてくれないか?」
「面倒ごとは引き受けないって言ってたじゃない」
「うん。でも、ルーシェが子どものこととかすごい頑張ってるのに、何かあったらルーシェのこと置いて逃げるってのはやっぱり気が引けるっていうか……」
それを聞いて私は小さくため息を吐いてから言う。
「言いたくないわ」
「え……?」
以前は王宮から逃げ出すことに協力してくれたという負い目があったから話さなければならないと思っていたが、彼が私の面倒ごとまで引き受けるつもりで話を聞くというのなら言いたくない。
私はウォーレンとは依頼人と請負人の関係であって、それ以上深い関係にはなりなくないのだ。
「ウォーレン、私近いうちにここを出ていこうと思ってる。ドロシーにも話したわ」
「え!? なんで? アルヴィンにもまだ手がかかるんだからもうしばらくここに居ればいいだろう!」
「あなた、ちゃんとドロシーのこと見てる?」
そう指摘するとウォーレンの瞳が揺らぐ。
昨日ドロシーには近いうちにここを出ていこうと思っていると話をした。ドロシーは「ごめんね」と言って泣き出した。
「うぅっ……ルーシェは私の命の恩人なのに……私、ルーシェが出てくって聞いて、今すごくホッとしてるの……ひどいよね。うっ、ううっ……ごめんね……ごめんね」
そう言ってグズグズと泣く。
「ううん。ドロシーの病気が治ったのだから、もっと早く出ていくべきだったのに、子育てが大変すぎて甘えていたの。私の方こそごめんなさい」
私はそれから少しずつ、ここで過ごした一年ほどの荷物の処分を始めた。
ウォーレンが私のことを気にかけてくれることが苦痛だった。
ウォーレンは私を見ては大変だ、頑張っている、と声を掛けるが、私をサポートしてくれているドロシーのことは見えていないように思えて仕方がなかった。
「赤ちゃんを抱えているから私ばっかり大変なように見えるけど、私の食事も洗濯も今はドロシーが全部してくれているのよ。ドロシーの頑張りを恋人のあなたは気付いてあげていた? ドロシー、私が渡した料理のレシピを見ながら一生懸命料理をしているけど、あなたはちゃんと美味しいよ、って言ってあげた? あなたが気にかける相手は私ではなくてドロシーなんじゃないの?」
「…………」
ウォーレンは俯いて黙ってしまう。
私は台所での用事を終えたらそれ以上の話はせずに部屋へ戻った。
◇
「おい! ルーシェ!! 緑の瞳の女性を探してるって村に騎士が来ているぞ!」
「えぇっ!?」
ウォーレンと話をした翌日のことだった。
「お前のこと探しに来たんじゃないのか!?」
「騎士って……? ルーシェの家庭内暴力夫さん、騎士だったの……?」
やはりドロシーは私を夫のDVから逃げてきた妊婦妻だと思っていたようだ。
「や……DVではないし、夫は騎士でもないのだけど……」
「一軒一軒、家を訪ねているみたいだぞ。ここにいても見つかるのは時間の問題だ……!」
早く逃げなければまずい。
「ちょっとアルヴィン抱いてて!」
「う、うん……」
私はアルヴィンをドロシーに抱いてもらって、すでにまとめていた荷物を部屋から持ってくる。
アルヴィンは物々しい雰囲気を感じたのか、ふぇーんと泣き出してしまった。
「私、行くわ!」
ドロシーから泣いているアルヴィンを受け取る。
「ルーシェ、俺はここでドロシーを守る。俺たちはルルシアという女性にたまたま空き部屋を貸していただけの関係だ。騎士が訪ねて来ても少し前に出てってしまってもういない、と話をするぞ」
「それでいいわ」
私たちにそれ以上の関係性はない。
「ルーシェ、これとこれを持っていけ」
見せられたのは腕時計と指輪。
腕時計の方は前に見たことがある。視覚に干渉して姿を見えないようにしてくれる魔法道具だ。
「相手に見せたいものを想像して魔力を流し込めば、相手には、あるものがないように見えるから」
そう言ってウォーレンは私の腕にそれを嵌める。
「でも別人の姿を映し出したりはできないのよね」
私は泣いているアルヴィンをちらりと見る。
今、姿を見えないようにしても、何もないところから赤ちゃんの泣き声が聞こえる状態になってしまう。触れられれば、映し出した映像が歪んで魔法道具の効果は切れてしまう。
「ああ。それにその魔法道具は魔力の消費量が大きいから、長時間の使用は不向きだ」
「では……」
今来ている騎士から逃げられるかは運次第。そう思っていたら、ウォーレンは私の手を掴んで人差し指に指輪をはめる。
「これを使え」
「これは?」
金の太いアームに真っ赤な大きな宝石の嵌った指輪。
「返しそびれててさ……王家の秘宝ってやつ……?」
「王家の秘宝っ……!?」
それは一年ほど前にウォーレンが盗み出そうと王宮に忍び込んだ時の物。
「えっ……返してなかったの?」
「ああ……慌てて王都から逃げてきただろ? 家帰ってからポケットの中に入ってるの気付いて……でも返しに行くのも危険だからずっと隠し持っていた」
「ええー……」
もしかして騎士たちは私が王家の秘宝を盗み出したと思って私を探している、ということはないだろうか……。見つかったら窃盗犯として捕まるかも……。
この世界は何が何でも私を悪役にしたいように思えてならない。私は過去に入れられた地下牢を思い出してぶるりと震えた。
「これさ、古い術式が組まれてて解読するのに時間がかかったんだけど、ほんの微量の魔力で知っている人間に成りすますことができるんだ。ちょっとドロシーのこと想像してみ?」
「う、うん……!」
私がドロシーを想像すると、何となく全身に違和感が生じた。すぐそばにあった姿見で自分の姿を見てみると、身長、体型、顔、すべてにおいてドロシーの姿になっていた。
「わっ、すごい!」
「すごーっ! 私が二人いる!」
「なっ、これなら上手く逃げられるだろう!」
ウォーレンは得意げな顔をした。
「この二つ、もらってもいいの?」
「いいよ、俺にはもう必要ないから」
そう言ってウォーレンはドロシーを見る。ドロシーもうん、と頷いた。
それは怪盗の仕事から足を洗うことを意味している。ドロシーはずっとウォーレンに怪盗の仕事はやめてほしいと思っていた。
これで二人は理想的な形になっていく。
「ドロシー? あなたの姿借りてもいい?」
「私はルーシェに何もしてあげられないもの。私の姿くらいどんどん使って」
ドロシーは「こんなことしか役に立てなくてごめんね」と言った。
「ううん。そんなことない。私は育児で大変な時にドロシーが色々と手助けしてくれたこと、すごく感謝してる。ありがとう」
私は再びウォーレンの方を向き直す。
「ウォーレン、ドロシーのこと大切にね」
ウォーレンは真っ直ぐ私を見て「ああ」としっかり頷いた。
私は泣くアルヴィンを抱いて、ドロシーの姿で二人のいたルーノラの村を出た。
いつも評価、ブクマ、ありがとうございます!
ヤンデレ不在回が長く続いていてすみません。
さっそく先の展開が読めそうな流れになっておりますが、明日ようやくヤンデレ出てきますので(明日はまだヤンデレ薄めですけど……)それまで気付かないフリして読んでいただけると幸いです。
お読みいただきありがとうございました。




