火種
日が暮れると、辺りはたちまち闇に包まれた。街頭やビルの明かりなどで煌々としている街中と違い、夜の山には光源がない。一寸先は闇というやつだ、文字通り。足元の小石すら見えずに蹴躓くようでは、とても調査どころではない。まだ村の三分の一程度しか回れていないが、今日は一旦終わりにしよう。と、意見が一致した奈園と白瀬は宿屋に泊まることにした。
「結局これと言った収穫はなかったねぇ」
宿屋によくある窓際のスペースでくつろぎながら、白瀬がぼやく。
「だから言ったろ。噂話の発端なんて大抵普通でつまらないものだって」
いそいそと布団を敷きながら奈園が言う。
「おいおいもう寝ちゃうのかい?何か推理しようよ、探偵さん」
「これっぽっちの情報で推理もクソもあるか」
結論から言うと、二人は新たな情報を手に入れることが出来なかった。他の村人に聞いても、最初に坂浦が話していたことと同じような答えが返ってくるばかりだった。そして日暮れによって調査が中断されたため、肝心の村長にはまだ会えていない。現在二人の手元にある情報は『その昔山賊から村を守るために作られた掟が、形骸化しつつも今なお風習として受け継がれている』の一つだけだ。確かにこれだけでは推理のしようがない。
「んじゃ、おやすみ」
「ちょっと待ってよ、まだ十時だぞぉ?推理がダメなら何かして遊ぼうよ」
「マジで勘弁してくれ。山登りで疲れてんだってば…」
無尽蔵の元気で無邪気にはしゃぐ白瀬を尻目に、奈園はさっさと布団に潜ってそのまま眠ってしまった。
「むぅ…」
けんもほろろに断られた白瀬は取り出したトランプを鞄に戻し、仕方なく自分も布団に潜った。
五分ほど経ってから
「ねぇ、起きてる?」
と声をかけてみたが、返事代わりの寝息が聞こえてきたので諦めて眠ることにした。
朝、白瀬はドアを叩く音で目を覚ました。寝ぼけ眼で時計を見ると短針が5を指していた。ドアスコープを除くと三人の老人がただならぬ様子で立っているのが見えた。
「どうかしました?」
チェーンをかけたままドアを開くと、白い口髭を貯えた老人が隙間から覗き込みながら慌てた様子で訊いてきた。
「昨日村に来たってのはあんたたちか?何人で入った?」
初対面の相手に尋ねるには随分おかしな質問だな、とは思いつつも
「二人ですけど」
と正直に答えた。
「それは本当か?最初は三人で来たと聞いたぞ」
どうやら村に来た時の様子は既に伝わっているようだ。しかし知られたからと言って困るようなことは何もないので、白瀬は村の入口での出来事を伝えた。
「確かに三人で来ましたけど、二人までしか入れられないって言われたのでもう一人とは入口で一旦別れましたよ。昨晩は山で野宿してたはずです」
一通り質問に答えた白瀬は、こちらからも質問を投げかけることにした。
「あの、何かあったんですか?」
すると老人は一瞬怯み、一瞬迷った表情をした。そして再び凛とした表情を作り
「いや、何でもないよ」
と答えた。声が少し震えている。素人でも見抜けるほどに、あからさまな嘘だった。
「朝から騒がせてしまってすまなかった。では」
そう言って老人たちは去っていった。部屋に戻ると、話し声で目を覚ました奈園が眠たそうに訊いてきた。
「誰か来たん?」
「村長らしきおじいさんと付き人が二人事情聴取にきたよ。どうやら村で何かが起こったようだ。さぁ、早速調査に行こうか!」
「んぅ、まだ五時じゃん…もうちょい寝かせて…」
「………七時になったら起こすからね」
「さてと、早速調査と行きますか」
「朝の九時は『早速』のうちに含まれないと思うけどねぇ、寝坊助くん」
「ごめんなさい…」
白瀬の不満げな視線を感じながら身支度を整えチェックアウトを済ませていると、突然宿屋の入口から叫び声が聞こえた。
「あんたたちの!あんたたちのせいよ!!」
何事かと思い振り返ると、数人に抑え込まれた初老の女性が鬼のような形相でこちらに怒号を飛ばしていた。
「あんたたちが来たせいで!!うわあああああ!!!」
突然のことなので全く理解が追い付かないが、奈園と白瀬に対してひどく怒っていることだけは分かる。身に覚えのない二人は凄まじい剣幕に気圧され身を寄せる。すると女将が駆け寄り
「お客様、一先ずお部屋にお戻りください」
と、鍵を渡した。二人は混乱しつつも促されるまま部屋に戻った。
「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
部屋に戻ると女将は真っ先に謝ってきた。しかし気掛かりなのはそこではない。
「なんなんですかあの人。俺らのせいってなんのことですか」
「実は…今出さんの夫の即史さんが未明に亡くなったそうなんです」
答えているようで答えになっていない返答だ。夫が亡くなったことが何故自分たちのせいになるのか、奈園はまるで意味が分からなかった。そして混乱しているのは女将も同じようだ。
「ですが、なぜ今出さんがあなたたちに怒りの矛先を向けたのか、全く分からないのです」
困り果てたようにそう言った。