プロローグ
この町は平和だ。欠伸が出るほどに。ニュース番組では連日凶悪事件が報道されているが、この町に住んでいるとそれらの出来事がどこか遠い世界の出来事のように思えてくる。
平和ということは事件がないということ。
事件がないということは探偵の仕事がないということ。
そんなわけで現在限りなく無職に近い私立探偵、奈園快明は事務所で暇を持て余していた。机の上にはハードカバーの本が五冊ほど積み上げられている。暇つぶしのために買ってきた小説だったが、全て読み終えてしまった。そして読み終えるまでの間、依頼人は一人もやって来なかった。
するとチリンとドアベルを鳴った。依頼人か!?奈園は椅子から立ち上がる。いや待て、落ち着け。前回舞い上がった勢いでハイテンションな出迎えをして依頼人を怖がらせたのを忘れたか。
「いらっしゃいませ」
精一杯落ち着き払った声で出迎えたが
「やっほ~。元気かい?快明」
と、陽気な挨拶をしながらやってきたのはルポライターの白瀬真実だった。
「なんだ白瀬か」
奈園は脱力して再び椅子に座り込む。
「なんだとは失礼だなぁ。来客に向かって」
「何が来客だよ。毎度毎度用もなく遊びに来やがって」
「いいのかなぁ~?折角の依頼人にそんなこと言って」
白瀬は悪戯めいた笑みを浮かべながら、来客用ソファーに腰かけた。
「依頼?白瀬が?」
「まぁね。登戸くんのこと覚えてる?」
登戸景頼。以前行方不明になった友人の捜索依頼を出した少年だ。数少ない依頼人の一人なので当然覚えている。
「覚えてるよ」
「実はさっき文房具売り場で偶然会ったんだよ。で、知らない仲でもないから買い物がてらちょっと話したんだけどね」
「三人までしか入れない村?」
「はい。そういう風習の村があるらしいんです。あくまで噂なんですけど…」
登戸は恥ずかしそうに言った。大人相手に仲間内の噂話を真面目に話すのはやや抵抗があるようだ。
「最初はツッチーがネットの都市伝説サイトで見かけたって言ったのが始まりで、その時はみんな嘘なの分かってて楽しんでたんですよ。でもこの前読んだ古文の本にそれっぽい村のことが書いてあったから、もしかしたら本当にあるのかなって」
「村のことについて何か書いてあったの?」
興味深そうに白瀬が問う。根も葉もない噂話や創作された都市伝説なら腐るほどあるが、歴史書によって裏付けされた逸話は珍しい、と思った。
「いえ、直接村の説明がされてたわけじゃなくて…。もとは落ち武者が書いたとされる手記らしいんですが」
そう言って登戸は鞄からノートを取り出し、白瀬に渡した。付箋の付いたページを開くと今言っていた手記の冒頭部分が現代語訳されて書かれていた。
傷を負った我々を、村の者は歓迎しなかった。「そんなに大勢の人を迎え入れることはできぬ」と。必死の懇願の末、「三人までならば良いでしょう」と許しをもらった。傷が深い仲間を村に残し、我々は山中で夜を越すことにした。
そこから先は野営の様子と星空を詠った短歌のことが書かれて、夜が明けたところで文章は終わっていた。
「ここの『三人までならばいいでしょう』って部分が噂のもとになったんじゃないかと思うんです。しかもこの野営に使われた山の場所の近くには、今でも小さな村が残ってるんですよ」
「なるほどねぇ…」
なかなか興味深い話だった。思っていたよりも根拠がしっかりしている。しかも村の場所まで判明しているときたもんだ。
「行ってみようか、その村」
「ってわけだ。どうだい、気になるだろう?三人までしか入れない村」
「まぁ、面白そうではあるな」
「噂の真相を一緒に確かめに行こうじゃないか。私と君と和斗で丁度三人だし」
「いいよ、暇だし」
このまま待ってても他に依頼は来ないだろう。そう思った奈園は二つ返事で承諾した。
「よし、じゃあ次の週末駅前集合だ!和斗にもそう伝えておいてくれ!」