4-1. 名を捕る 1
リーニィ姫からの宣戦布告を受けた後、沙良はいよいよぐったりしてしまった。
あの『お触れ』(それにしても変な名前すぎないか)とやらが来る前、結婚について大事な話しをしかけていたけれど、もう再開する気力はない。
(それに、リーニィ姫からヒントももらったし。うん、結婚問題はどうにかなるんじゃないかな)
あえてポジティブに考えて、とにかく今日はもう打ち止めにしたい。
そんな沙良の頭を、王子はぽんと撫でる。
「お疲れでしょう、サラ。続きは明日にしましょうか」
ヴァリューズ侍女長が、沙良の荷物を持って来てくれた。
「サラ様。こちらの袋の中身はいかがいたしましょうか」
エコバッグから大根がはみ出しているのだから、扱いにも困るだろう。
「えっと、夕飯のつもりだったんですけど。わたし大根大好きで……、なんかほっこりしません、大根って? 心のふるさとというか、お財布にも優しいし、生でも煮ても焼いてもおろしても美味しいしっ、あはは~」
とはいえ、この大根を買ったときには、まさかこんな場所に飛ばされるとは思ってもいなかった。どうしたらいいか分からないまま、沙良も大根賛美を口走る。
「はあ、お妃君は大根が、お好き……」
「…………」
周囲の沈黙が痛い、と思った瞬間、その場の誰のものか、ひゅっと息を飲む音がした。
同時に、沙良の手のなかの大根が光を発した。
(んん? あれ、あったか、い?)
疑問に思う間もなく、それはもぞもぞ動き出す。
沙良の腕を抜け出し、器用に回転して、ぼふっとカーペットに着地した。
「10点!」
「満点かい! って大根がしゃべった!?」
しゃべったどころか2回転半ひねり、ムーンサルトで華麗に着地を決めた。
色白な体がなにやら枝分かれして、短い手足らしきものができている。
くるっと振り返った大根の真ん中辺りには、目と鼻と口もできていた。真っ白な口ひげまであって、生意気にもかわいらしい。
「ネレスィマナンの新しきお妃君ですな。ご尊顔を拝謁できましたこと、恐悦至極にございますだでなぁ」
足元にひざまずく大根。ひざまずけるほど足が長くないので、なんだかムリヤリぎゅぎゅっと折り曲がっているけれど。
「……ご丁寧なご挨拶をどうも……」
沙良は沙良で、呆然としたまま名刺入れを取り出してしまった。恐ろしい。名刺交換が身に沁みついている。
「いや、名刺交換って素晴らしいシステムじゃない? これだったら初対面の大根とも挨拶できちゃう気がしない? その間にひと息つけそうじゃない!?」
「落ち着いて、サラ」
王子に肩を抱かれて、沙良は必死に見上げた。
「落ち着けませんよ! アルフレード王子、この国ではこれって普通の事なんですか? 夕飯のおかずが立ち上がってしゃべり出したら、みんな何食べてるんですか!?」
ちょこちょこ寄ってくる大根がかわいすぎる。あの胴体に包丁を入れるつもりだったと思うと身震いがした。
大根は大好物だけれど、突然ペットぽく好きになってしまったら、罪悪感の置き所がどうしようもない。
「普通の定義にもよりますが……。彼がこうなったのは、サラが原因ですよ」
「え!?」
「んだなぃ。お妃君は、儂の名を捕られましたでのん」
くっ、語尾もなんかかわいい。いや、ちがう。
「名を、捕った……? わたしが?」
名を捕る。
その言葉が出た瞬間、室内の空気が凍りついた。
衛兵どころか、ゴザシュ大臣もヴァリューズ侍女長も固まっている。イルクはものすごいしかめっ面だ。
平然としているのはアルフレード王子と、大根だけだ。
王子は片手で沙良の肩を抱いたまま、もう一方の手を大根に向けて差し伸べた。
「知ってのとおり、サラは妃君になって間もない。よろしければ、あなたを例にして、名を捕ることの説明をしたいが、よろしいか」
「よかたぃ。お妃君のお役に立てるなら本望ですぞな」
「ありがたい。――恩に着る」
王子は沙良をもう一度ソファに座らせた。
「儂、お妃君の膝の上に乗せてもらってもかまゎんかぃの? ちょこっとくらいワガママ言わせてもらってもよかやろかねー、と思うとるんじゃが」
「は? はあ、どうぞ」
沙良が両手を広げたら、大根は2,3歩助走した後、びよんっと飛んできた。身長の2倍以上とは、ものすごい跳躍力だ。
沙良の膝の上でお姫様抱っこ、いや、赤ちゃんのように横抱きされてご満悦な大根。鼻血が出そうなほどかわいい。
「サラ、その者は大根の精霊です。大根の付喪神と言ってもいい。“名を捕る”とは、その存在の、核になる部分を言葉で縛ること。名を捕られた精霊は、捕った相手に隷属します。――その者は、すでにあなたの忠実な僕です。大切にしてあげてください」
ぽかんとしていた沙良は、王子の言葉に青ざめた。
「れ、隷属?」
そんな強烈なワード、これまでの人生では縁がなかった。
「ええ。その者はもうサラには逆らえませんし、あらゆる力をサラのために使います。名を捕られたとは、そういうことです」
「でっ、でも、わたし、そんなっ。名前なんて捕った覚えありませんっ」
膝の上の大根が、むぎゅっと沙良を見上げる。
「そこは儂から説明しますのぃ。お妃君、儂を撫でまわしながら、心のふるさととおっしゃったのぃ。あれは一射的中でしたな。生でも煮ても焼いてもおろしても美味い、とか、ああ、ほっこり、も鍵でしたのぉ。あとは……、儂を見て、なんぞ料理を考えとらっしゃったじゃろ?」
「え、あ、ふろふき、にしたいな~って……」
本人(?)に向かって調理方法を告げるのは、罪悪感が半端ない。
けれど、大根の精霊は満足げにうなずいた。
「うむ。ふろふきも儂の名のひとつじゃて、もう完全にやられましたなぃ!」
ふろふき、という音に、室内の幾人かがビクッと身体を強張らせる。
妖精や精霊にとって、名を捕られるということは本能的な恐怖を呼び起こすのだろうと想像がついた。
「で、でも、わたし、名前教えてもらいましたよね? 王子と、あの、侍女長や、大臣も……っ」
怖くて名前が呼べなかったけれど、王子は軽く首を振った。
「もちろん、問題のない名をお教えしています。ただ、サラは特に力が強い。精霊にはいくつか名がありますが、今回はほぼ完全に捕ってしまったようですね」
「まあ、あと、儂は低級精霊やけん、名の数も少なかもんね」
すかさず、大根が補足してくれる。