2. お妃君登場
すり鉢のような大広間は、期待と興奮で膨れあがっていた。
闇の中、上空に浮かぶ円形の舞台だけが、明るく照らされている。
とうとう、我らが王子のお妃君が現れるのだ。
「長かった……」
そう口にしたのは、どこの種族か。
この国の悠久の歴史のなかでも、1,000年以上妃君を迎えていない王子は初めてだ。
王族に匹敵する寿命をもつ大公家ならいざ知らず、いまやこの国のほとんどの種族が「王妃」を、すなわち「王」の存在を、目にしたことがない。
「やっとアルフレード王子が、王となられる」
「最後の刻の歪みが正されるのだな。……我らが長も、解放される」
静かに、だが激しい熱量でささやきが交わされ、誰もが円形の舞台を見上げる。
そして不意に、目を焼くほどの白い光が現れた。
§§
「うわっ、ととっ」
ホワイトアウトから突然重力が戻って来て、転びそうになった沙良は慌てて足に力を込めた。
(え、なんでこの恰好!?)
今の沙良は、ポストに手を伸ばしたあの姿勢だった。
濡れた傘を手首にかけ、両肩には重たいバッグが2つ。片っぽのエコバッグには大根が丸ごと一本。
へっぴり腰のまま宙に伸ばした右手が、マヌケすぎる。
“声”に文句を言おうとしても、さっきとちがって辺りは真っ暗だ。
(や、完全な暗闇でもない、のかな? ……あれ、実はめちゃくちゃ何かいる、感じ……?)
沙良が立っている場所は、小さい円形の床だった。
周囲が暗すぎてよく分からないけれど、浮いている気がする。足場が頼りなくて怖い。とにかくまっすぐ立ってみた。
はるか眼下には、チラチラとたくさんの色が瞬いている。
意識をそちらに向けてみると、たくさんの息遣いやひそやかな音が聴こえた。シュゴーとかふしゅぅぅぅとかグルルルルとか、不穏な音だらけだ。
闇に眼が慣れてくると、ぼんやりと円形闘技場のような形が見えてきた。いや、吹き抜けの感じがしないので、ドームなのかもしれない。上も端も、見当がつかないほど大きい。
いちばん遠くに目をこらしてみる。
遠い場所の小山は、まるで人影のようだ。
「えっ?」
そう思った瞬間、その小山がもぞりと動き、かっと瞳が開いて、沙良の視線とぶつかった。
(え、人!? ホントに!?)
遠近法がおかしすぎる。あのサイズは、あり得ない。
思わず後ずさり、円から落ちそうになって固まる。
(どどどどーしたらっ。ナニコレわたしにどうしろと? 王子の妃とか以前に、命の保証は!?)
どんな種族とも通じ合える言語能力など、この場では1㎎も役に立たない。
そこまで考えて、いきなり頭が冷えた。
つまりここは、いろんな種族がいる世界なのだ。
ということは、あの小山は巨人族、とか。人間とは程遠い息遣いも、人狼(?)とかオーク(!)とかバンシー(もはやワケが分からない)とか、そういうのがごちゃごちゃ溜まっているのだろう、そう考えれば納得できるかも。できるといいな。できるはず。うんできるったらできる!
沙良がひとりパニックと闘っている間、闇の一隅がぽうっと明るくなった。
そこから沙良のいる円盤まで光の道が伸び、2人の男性が歩いてくる。
1人は護衛のようだ。少し後ろに控えていて、全身真っ黒で闇に沈んでいる。
前を歩く男性は、まっすぐに沙良を目指して来た。
古代ギリシャ人のような長い衣装をまとっている。白地に金色の刺繍のあしらわれた長いトゥニカと、濃紫のマントがキラキラしい。
プラチナブロンドの髪は肩より少し長く、サラサラとたなびいている。
透明な蒼い瞳は、美しい水のようだ。
すっと通った鼻梁に切れ長の目。桜色の薄い唇。大理石のような美肌。
(うわあ。――まぎれもなく、御伽噺の王子様だ~)
世界遺産の彫像のごとき造作に、沙良は自分の現状も忘れてうっかり見惚れてしまった。
その歩く彫刻が、沙良の前で片膝をついた。
形のいい唇が、音楽を紡ぎ出す。それは沙良の頭のなかですぐに言葉に変換された。
「ようこそ、お妃君。私はアルフレード。あなたの夫となる者です」
パラララ~ンと、オーケストラ演奏のような音が響き渡る。
空耳かと思ったら、いきなり円形闘技場は光に包まれ、本当に音楽が鳴っていた。
花や光の粒が舞い、鳥や蝶やその他正体不明のいろんなものが飛んでいる。
何十本もの虹が、一斉に懸かった。
うおおおおおっという雄たけびや拍手で、足元の空気が揺れる。
呆然としている沙良の手を取り、アルフレード殿下はその指先にキスを落とした。
「ひょえっ」
飛び上がりそうになる沙良を、殿下は微笑んで見上げてくる。
その瞳は喜びと、なによりも信頼に満ち溢れていて、落ち着かない気持ちになった。
「で、殿下。あの、失礼とは存じますが、そのですね、わたし、まだあなたと結婚するとは」
「我々は皆、あなたを歓迎します」
完璧な笑顔のまま、王子は沙良の言葉をぶった切った。同時に、控えていた護衛の男性が、すばやく沙良の背後に立つ。
(ひええっ。なに、結婚しなかったら、わたし殺されちゃうの!?)
ムリヤリ押し切られはしたけれど、あの“声”の話しぶりは、結婚か命かという危険な空気はなかった。というか、断ったら死ぬのなら、前もってもう少し警告しておいてほしかった。
後ろから、聞き取れないほどの小声が届く。ジャズの低音のようだ。
一瞬遅れて、護衛の言葉が翻訳された。
「――今は黙っとけ。余計なことを口走られたら守れない」
「え」
目の前の王子が、艶やかに笑む。
「ああ。イルクの言葉が理解できるのなら、やはりあなたはお妃君だ。どうかあなたのお名を賜る栄誉を、私に与えていただきたい」
「は」
前後を見返して、忙しい。
もはや、大広間は大騒ぎだ。
円形闘技場全体に色と音と光が舞い乱れ、妖精らしき羽根つきの人が飛び交い、巨人たちは集まってずしんずしんと踊っている。沙良の真横で、いくつもの光の粒が弾けてはまた輝く。
握られたままの右手が、いっそう強くつかまれた。
「――この場は私に合わせて」
真剣なその声に、沙良も腹を据えた。
「――はい。わたしは、沙良です」
少し迷って名前しか言わなかった沙良に、王子も目を見開いた。
「すばらしい。――皆の者! 神々はネレスィマナンに祝福を贈りたもうた! 我らがお妃君、サラ殿だ!」
そのままアルフレード殿下は沙良の右手を高く掲げ、大広間は喜びに爆発した。
耳を聾する歓声のなかで、沙良の背後にいた護衛、イルクがつぶやく。
「……よりによって、人間がお妃君たぁね」
荒れるぞ、という言葉を飲み込み、王子とその親友は視線を交わし合った。