翻弄させられる彼の言葉
一難去ってまた一難。
サンヴェルド国を発つと同時にルカがダウンした。引き返そうにも出立したから時間は経っていたし、次の国まで進んだ方が近いという距離まで来ていた。それでも一旦野宿は挟んでしまう。ルカ自身は大丈夫だと言い張るのだが、どうも足取りが覚束なくて仕舞いにはユラが背負う形で歩くこととなった。
「ごめん、ユラ。重くない?」
「お前が重いんならメイ様だって重いわ」
「私を引き合いに出すな」
ユラの背中でぐったりしているルカの顔は熱で上気していた。申し訳なさそうにしながらも、力なく項垂れている様子が非常に痛々しかった。風邪でも引いたのだろうかと思ったが、ルカの自己分析によるとそうではないと言っていた。右眼の奥が疼くので、呪いによる壊死の影響だということらしい。
「大丈夫?ルカ。いつも私たちのお世話してくれているから疲れも出たのよ、きっと」
「ううん。僕は僕が出来ることをやりたくてやってるだけだから。全然負担じゃない」
「ま、それでもルカが僕たちにとってもう欠かせない存在となっているのは間違いないから。早くよくならないと困るなぁ」
エルヴィスがルカの背中を優しく撫でながら微笑んだ。焦らせるような言葉はルカの活力になる。
炊事、洗濯、備品管理、健康管理。身の回りの世話を請け負ってくれているルカは文字通り縁の下の力持ちだ。彼が同行してくれてからというもの、非常に毎日の生活が過ごしやすく充実している。あれだけ嫌がっていたユラまでも、ルカの言う事には逆らえない時でさえある。芽依たちは彼無しではもう生きていけない身体なのだ。
「今夜は俺らだけでどうにかしないとな」
「ごめん」
「責めてるんじゃない。いいからお前は休んでろ」
ユラはずり落ちそうだったルカの身体を抱え直して、ぶっきらぼうに呟いた。
***
「さて、どうしようか」
日が沈んで歩を進めることができなくなると、岩陰で休むことにした。ルカは天幕の中で眠っていて、今夜は芽依、ユラ、エルヴィスの三人で夕食を作らねばならない。といっても、ルカに出会う前まではユラやエルヴィスが作ってくれていたのだから、ルカが元気になるまでの間を乗り切ることはできる。
エルヴィスがふむ、と考えているのは芽依がルカの看病をしたいと希望したからだ。
「メイちゃんは呪いを持っているから、呪いの力が強まっているルカにあまり近付かない方がいいと思うんだ。立証するものがあるわけじゃないけど、互いに影響するかもしれない」
「そうなの…」
「看病は僕がするよ。メイちゃんはユラと一緒に夕食を準備してくれる?」
ルカのお粥も一緒にね、と言いながらエルヴィスは天幕の中へ入って行った。取り残された芽依とユラの間に妙な沈黙が流れる。
「………そういえば、俺メイ様が料理したところなんて見たことないですけど」
「………見せたことないからね」
「できるんですか?」
「失礼ね。人間、やろうと思えば何だって出来るのよ」
現に、人類は不可能だと思われた空中飛行だって成功させたのだ。難航しようが、無様になろうがやろうと思えば何だってできる。そう信じてる。
「出来ることとその仕上がりに関しては別の話でしょう」
「もちろんよ」
「えばるな」
何かを察したユラは、屈んでさっさと薪を組み、調理に必要な道具を準備し始めた。しばらくはルカがしていたので忘れていたが、やはりユラもこういうものは手慣れていて少し悔しい。
「口尖らせてないで手伝ってください。食材刻むくらいはできるだろ」
「う、うん」
芽依の顔なんて見ていなかったのに、何故不満そうな顔をしていると分かったのだろう。ユラには旋毛にも目が付いているのだろうか。まさか千里眼の持ち主か。
妙なことを勘ぐっても仕方ないので、芽依はユラの指示通りにナイフで食材を切っていく。ゴトン、ゴトン、とおよそ野菜を切っているとは思えない音がした。
「ちょ……、メイ様?」
「い、今話しかけないで!集中してるから!」
隣で火を熾していたユラも、不穏な音にチラチラと目線を寄こしてくる。両手でナイフを持つことがそんなに珍しいのだろうか。手を滑らせでもして刃物を手放してはいけないと、安全を考慮した上でのことなのだが。
「痛っ!」
「!」
両手でナイフを持っていたのに、何をどうしたらこんなことになるのか、サクッと音が指を通して聞こえてきた。痛みよりも背筋がゾクリとして汗が噴き出した。
「馬鹿、切ったのか。…結構深いな」
「痛い…」
ユラは顔を顰め、芽依の手を取って自分に寄せる。同時にじわりと人差し指から血が溢れてきて、つぅっと手のひらに伝った。今頃痛みを感じ始めた指は、ユラの指に止血されている先がそこに心臓があるみたいにドクンドクンと脈打っていた。止血の甲斐があるのかないのか、次から次へと血は流れてきて、ユラの手までも赤に染めていった。
そして、ユラは傷の具合を確かめると、あろうことかその芽依の指を口に咥えたのだった。
「──…っ!」
その時ばかりは何故か伏せた目元が妖艶に映り、まるでファンタジーに彩られたヴァンパイアのようにも思えた。妖しく、美しく、麗しく、その姿が様になるような。
指先にユラの舌が当たる感覚が通り過ぎた後、解放されたそこは冷たい空気が貼り付いてくる。
「んげ…。鉄の味…」
「…っ、あ、当たり前でしょっ!何やってんのよ!」
「何って、応急処置」
「応急処置って…」
しれっとした顔で言ってのけるユラは、特に大したことをしたという自覚はないようだった。芽依の手を掴んだまま片手て荷物を漁り、救急箱を取り出した。
「ここまで料理が壊滅的だったとは」
「ユラみたいに何でもそつなくこなす方が変なのよ…」
「顔赤いですね。ルカのがうつりました?」
「う、うるさいわね」
恥ずかしさとユラの驚愕な行動に混乱しているだけだ。からかいながらもユラは手早く芽依の指を手当てしていく。そしてきゅっと包帯の端を結ぶと、芽依が切っていた野菜を掴んで持ち上げる。
「あんなに豪快な音をさせておいて全部繋がってるって、器用なことするのな」
「う、うるさい…」
「これは皮剥いてから切るのが一般的なんですがね」
「知ってるんなら教えなさいよ。意地悪」
皮が硬いのに無理やり切ろうとするからあんな音が出てたのだと今頃言いやがる。悪意があるとしか思えない。
途中だった細断をユラが華麗に続きを請け負ってくれる。美しい手からは美しい手捌きが生まれるようだ。なんだか芽依はただ迷惑をかけただけのようで、いたたまれなさや恥ずかしさが募って身を小さくしていく。
「いいんじゃないですか」
「…え?」
刻んだ野菜を鍋に入れて火にかけながら、ユラは鍋の中に目線を固定させたままで呟いた。
「不器用でもいいんじゃないですか。そういうところが可愛いとかって思う人もいるでしょう」
ドキリと芽依の心臓は撥ねた。それがどういう理由かは明らかではないが、恐らく『可愛い』という単語。彼の表情で、彼の声でその単語が出るのが違和感があって、少しだけ緊張もして。彼が言う事でたった四文字でパワーワードとなる。
「……」
「メイ様?指、痛みますか?」
「だっ、大丈夫!さ、さ、触んないで!」
「……」
あ、と思った。
切った指の様子を見ようと芽依の方へ手を伸ばしたユラが動きを止める。心配してくれただけなのに、あまりに困惑していて口が勝手にユラを拒絶してしまった。それにもユラはただ目を僅かに据わらせただけで、はいはい、と言って従順に手を引いた。怒った様子はないけれど、芽依の方がどうしようもない気持ちになった。
「ご、ごめん、違うの!そ、その…その、ユラが変な事言うから!」
「変な事?俺、何か言いました?」
「えっ、そ、その……か、可愛い…とか…」
ごにょごにょと言葉を濁しながら声が小さくなっていく。ユラが芽依に対してそう思ったと言ったわけではないと分かってはいるが、それを言うのにも緊張するのだ。案の定、ユラは芽依が何を言っているのか分からないというような表情を滲ませた。
「物の例えでしょう。別に”放っておけないヤツ”とかでも良かったですし」
「いや、だから!」
それはそれで破壊力がある気がする。自覚のないユラに分からせるのは骨が折れそうだと悟った芽依は、諦めて、けれどその余韻に酔いしれて目線を外さずにはいられない。
だが、ユラはそれを許してはくれなかった。
筋肉など殆どない腕を掴まれ、ぐっと引き寄せられた。
「『だから』、何?」
「────…っ!!」
不意に近付いた距離がすぐ目の前にユラの顔があるというのは、それこそ息を止めるくらいの衝撃で。
「…………」
「…………」
パチパチと火が跳ねる音と虫の鳴き声と柔らかい風が通り抜ける音だけが耳を撫でていく。前髪が触れ合いそうなこの距離に、誰か分け入ってくれることが出来るものはいるだろうか。
自分ではどうしようもない状況に芽依は固まることしかできなかったが、ありがたくもユラの方が先に終止符を打ってくれた。
「……これ」
「えっ?あっ…へ?茶碗?」
ユラはいつの間にか目の前に茶碗を取り出し、雑に芽依に手渡す。
「不器用でもよそうくらいできるでしょう。お願いします」
「あ…、は、はい…」
いつの間に仕上げていたのか分からないが、ユラはルカ用の粥を鍋ごと芽依に差し出した。今度は火傷するとかやめて下さいと言われ、危うく火傷しそうになった。
零さないよう気を付けながら、それでも急いで粥をよそうと、芽依はルカが寝ている天幕に持っていくという理由でその場を離れた。どうしてもこのままここに滞在しておくには勇気が足りなかった。
「……あっぶね…」
芽依が去った後の火の前で、ユラが一人、表情も変えずにぽつりと呟いていた。