鼓動の理由
あまり大声で言うことではないのか、アランは声を潜めている。
「変とは?」
「いやね、私も一週間くらい前からこの国に滞在してるんですけど、国民の動きがどうも怪しく思えて仕方なくて」
怪しいと言われればアランの恰好の方が余程怪しいのだが、この際それは置いておく。無言で続きを促すユラに、アランは先を続けた。
「最初来た時は明るくていい国だなぁぐらいにしか思ってなかったんですがね、それは表向きだけのようで」
「何か裏があるというのか?」
「あるかどうかまでは分かりませんが、夜中になると大勢の国民が家を出てどこかに集まっているみたいなんですよ。一回後をつけてみたんですが、途中で見失いまして…」
アランによると、以前よりハイロ国に暮らすものたち、最近来たものたち、観光でやって来たものたち、特に街中を中心にその動きがあると言う。あの常時祭りのような町全体が寝静まった後、再び儀式のようなものが始まるというのだ。それは太陽の下で行われているようなものではない。月の妖艶な光がお似合いな粛々とした雰囲気。
まるで、何かの宗教だという。
「宗教ねぇ…」
「まあ、調べたわけじゃないので本当のところは分かりませんが、滞在する間は気を付けた方がいいと思いますよ」
そうじゃなくても芽依がミリナ国の君主だと関所の役人にも知れ渡っていたのだ。何が行われているか分からない以上、夜は出歩かない方がいいだろう。と言っても、夜に外出する用事もないが。
「とりあえず分かった。俺達は町の端の古い宿に泊まっているから、何かあったら訪ねてくれ」
「承知しました」
もう日も暮れ始めていたので、必要なものを買って早めに宿に帰った。その間も、行き交う人々の様子は特段変わった様子はないし、相変わらずの陽気な人達ばかりだった。
***
錆びれた宿と言っても、やはり祭りの影響か、取れた部屋は一室だけである。安全面からしても芽依とユラは全く別々の部屋に泊まるわけにもいかないのだが、毎度のことながら、閉塞された同じ空間で異性と夜を明かすというのはどうも気が休まらない。風呂もトイレも一緒、着替えも相手の存在が確認できるところでしか出来ない、ベッドは二つあるが、気にせず眠れるような距離にあるわけではない。そう思っているのは芽依だけのようで、ユラは驚くほど通常運転だ。常に芽依だけに緊張感が漂っている。
静かな部屋の中に、ザァという水が零れる音がする。雨が降っているわけではない。ユラが風呂に入っているのだ。主が先だと何分もごねたが、芽依がユラより先に入るなんて絶対に嫌だと、最終的には命令して先に入ってもらった。ユラにはかなり微妙な表情をされたが、命令に背くわけにもいかず、不機嫌に風呂へ向かって行った。
やがて、シャワーの音が止まると、ガチャリと洗面所のドアが開いてユラが姿を現す。
「!」
芽依は思わず息を呑んだ。
「ユユユユユラ!!?ぬ、脱い、でる!?」
「あ?脱いでるだろ、風呂入ってたんだから」
「いや違くて!上!上半身!服着てから出てきてよ!」
「何で」
何でじゃねぇよと突っ込む余裕もなく、その程よく引き締まった肢体から目を逸らす。水も滴るいい男とはきっとこんな奴のことを言っているのだ。細マッチョの身体だけではない。拭ききらずに髪から垂れる雫が頬へ、首筋へ胸へ伝っていくのを見ると動悸がしてくる。自宅で父や兄のタオル一丁の姿を見ても濡れてるオジサンがいるとしか思わなかったのに。
「メイ様?顔赤いですけど、熱ぶり返したんじゃ…」
「きゃああああ!」
「!?」
視線を逸らしているうちに近付いたのか、ユラがすぐ目の前にまで来ていた。上から覗き込むようにして顔色を窺ってくるので、視界いっぱいにユラの上半身(裸)が広がっていた。思わず叫び声を上げてユラを思いっきり平手打ちしてしまった。
「……」
「……え、…あ、…ご、ごめん、ね?」
青筋の入った額と共に射殺せそうな瞳が降ってくる。そりゃそうだ。心配したのにいきなり殴られたのだから。慌てて謝るが、険しい表情が緩まることはない。
「…何なんすか一体」
「えー、あー、いや、だから、ふ、服着て…風邪ひくよ…?」
尚も視線を右へ左へ彷徨わせながら、芽依はぐいぐいとユラの身体を遠ざけていく。手に触れる肌さえも緊張する。ユラは芽依に押されながら不満そうにはしていたが、ベッドの上に投げていたシャツを頭から被った。頭を出しても表情が変わるわけではなかったが、これでやっと芽依もユラの方を向けるようになった。
「これでいいですか」
「よ、よろしい」
「何で上から目線なんだよ」
「君主様だから?」
「確かにな」
芽依の行動に納得いったわけではなさそうだったが、ユラはそのまま咎めもせず、ため息をつきながらも風呂に入ってきてくださいと促してくれた。
シャワーを少しだけ強く出して、自分のため息をかき消すようにした。
何だかおかしい。ドキドキする。家族以外の裸を見たからだろうか。だが、ユラの上半身裸の姿を初めて見たわけではない。これまでも目の前で着替えられたり(その時も殴ったが)、身体を拭くと言って脱がれたりしていた。確かにその時も動揺したのだが、こんなに目を合わせられない程だっただろうか。
「……はぁ…」
手に残るユラのきめ細かい肌の感触を握りしめて、何度目かになるため息を思う存分ついた。
その時だ。
後は泡を落とすだけの状態だったのだが、外で大きめの音がした。ガタガタガタ、と何かがたくさん動き、ぶつかるような音。
「な、なに…?」
突然のことにシャワーを流したままで固まってしまう。先程とは違う鼓動が自分の耳にまで聞こえてきそうだ。
「メイ様!!」
「うあはぁい!??!」
何の前触れもなくユラが風呂のドアを開け放ってきた。嘘だろ?
「出て下さい!早く!!」
「えっ?えっ!?」
「急げっつってんだろ!」
「ぎゃああああ!」
事態の把握もしないまま、真っ裸の芽依はユラの手に引かれ、流れるようにタオルに巻かれて持ち上げられる。そして洗面所のドアを少しだけ開けて外の様子を確認した後、隠れるようにして窓の方へ移動する。
「ななな何!?一体どうしたの!」
「説明は後だ!ちょっとこのまま失礼します、よっと!」
「はいいいああああああああ!?」
本当に一体どうしてしまったのか、ユラは。二階の窓から人一人抱えて飛び降りるなんて尋常じゃない。しかも真っ裸だ。たかが二階、されど二階。浮遊感は一瞬のはずだったのに、恐ろしすぎてその一瞬がスローモーションのように感じてしまった。
「私裸なんですけどぉぉぉぁあああああ!!!」
「うっせぇつの!見つかるから黙って!」
「見つかるって誰に!?天から見てる神様!?」
だったらどうか見ないでくれ。なんせ見せれるような裸ではないから。地面に降り立った感覚もなく、ユラの肩に米俵のように抱えられたまま、芽依は一体どこを優先して隠すべきかだけを考えていた。