戦う力
「ここでじっとしておいてくださいよ」
ユラはそっと芽依を木陰に隠すと、自分の上着を頭から被せてそう言った。かなり小さくしたランタンの火を芽依に持たせてくれたのは、先程暗闇が苦手だと言ったからか。
決してこの前みたいに飛び出してくんなよという意味を込めて、絶対だからなと威圧をかけて、ユラは離れていく。剣を抜き、刃を地面に向けて振った後ろ姿は、とても広い。
これが、護衛騎士の背中。
暗闇に向かって、ユラは鋭い眼光を走らせた。
「オラ、出てこい」
短く煽ったのを皮切りに、木の陰からぞろぞろと人の姿が出てきた。ざっと二、三十人程か。これ程の人数が身を隠していたとなれば、大方、結界を張れる程の魔力の持ち主がいるのだろう。
「てめぇの顔、見たことあんなぁ?いけ好かない面だ」
「お互い様だな。生憎、俺は野盗の知り合いなんかいないからお前らとは初めましてだと思うがな」
ユラは剣を地面に突き刺して、杖のようにしながら手はポケットに突っ込んだままだ。余裕ぶっかましているその姿が気に食わなかったのか、野盗は額に青筋を浮かべる。
「さっき女の声がしたと思ったんだが、お前、女見てねぇか」
「さあね。見たとしても教えるわけねぇだろ」
「そうかよ……ユラ=オーウェンドルフ!!」
馬鹿丁寧にフルネームを呼んでくれながら、野盗は袋叩きにするようにユラに襲いかかった。剣、槍、弓、棍棒、斧。様々な武器がユラの頭から降り掛かってくる。
「久々だねぇ、この人数を相手にするのは」
それなのにユラは、楽しげに不敵な笑みを浮べた。
ユラの持つ剣が地面から抜かれた瞬間、突然の竜巻でも起こったかのように、武器と人間が飛び散っていった。木の幹に撥ねる血、高くから落下する武器や人間、ぶつかって折れるのは木の方か人間の骨か。特別強靭そうでもない人一人に、屈強な男たちが次々と凪払われていく様は、まるで幻想の世界のようだった。
ふう、とユラが大して乱れてもいない息を吐いた時には、野盗達は皆、落ち葉と一緒に散っていた。
***
向こうで何が起こっているのだろうか。何やらたくさんの人の声が聞こえる。
芽依は気を紛らわすようにランタンの小さな火を見つめ、ユラの上着にくるまっていた。こうしていると、何だか落ち着くのは、この上着の香りが芽依の好きな匂いだからか。きっと本人に伝えたら引かれるだろうけど。
僅かに聞こえる呻き声のようなものが続く中、芽依は様子を見に行きたい衝動を必死にやって抑えていた。もしかしてあの呻き声は、ユラのものではないだろうか。まさか呪いを受けなかった代わりに何か違うものに取り憑かれたりしていないだろうか。剣を抜いていたけど、そんなもの通用しない相手だったら?お札とか、そういうものを携えて行った方が良かったのではないだろうか。城下町で買っておけば良かったのだ。売っているかどうか知らないけど。
でも、今度こそ失敗しない。ここで動いては、またユラに迷惑を掛けることになるかもしれない。奥歯を噛み締めて、出来るだけ瞬きを少なくして、ランタンの灯りに集中する。
だから、気付かなかった。
口を塞がれるまで、後ろから迫ってくる存在に。
「──────っ!?」
「大人しくしろ!」
もが、と口元に乾いた皮膚の感触が覆った。口では上手く息が吸えない。もちろん言葉も発することができない。
助けも呼べない。
「お前だな?新しく君主になった姫と言うのは!白い肌、焦げ茶の髪と瞳、小柄な体躯、噂通りだぜ!」
あまりの力に振り返ることもできないが、恐らく恰幅のいい男だ。下品な声が耳元で響いて酷く気分が悪い。口を塞がれた勢いで後ろに仰け反らされた為、ユラの上着も落ちてしまった。
落ち着く香りが、なくなってしまう。
「こんなところで出会すなんてラッキーだったな!お頭に差し出せば喜んでくれるだろうなぁっ!」
「んんんっ!」
なんせ珍しい容姿してるもんなぁ、と男は心躍らせているが、芽依の容姿はそんなに珍しいものだっただろうか。確かに肌は白い方だと言われてはいたが、目立つほうではないし、髪と瞳なんてそこら辺の日本人捕まえてくれば三人に一人はヒットする色だ。城下町で見た、明るくて奇抜な神や瞳の色を持っているこの国の人達に比べたら随分と地味なものだ。
そこまで考えて、芽依はすっと悟った。
ここは日本ではなかった。今奇抜なのは芽依の方なのだ。
「高く売れるかなぁっ!それともこのまま犯しちゃうかなぁっ!」
「んんっ」
気持ちの悪い声が耳を侵食していく。覚えている。この感覚。小さい頃に体験した、悍ましい記憶。
────可愛い子だね、キミ。
────ちょっとおいで。怖いことはしないから。
────抵抗するな、この餓鬼!
怖くて、怖くて、怖くて。
自分で戦える力が欲しいと思った。
誰かを助けられなくても、せめて自分を護れる力を。
そんな、自分主義な勝手な力を。
ふと、手のひらに金属の温度が触れた。
ユラが持たせてくれた、護身用の短剣。
「───……、」
護身用の。
ギュッと柄を握りしめる。
これで、戦えるのか。
自分が。
気が付いたら鞘から刃を抜き、両手で短剣を握り締めていた。
驚くほど震えていたけれど。
「はっ、そんなもので俺を殺ろうってのか?大した自信だなぁ!」
これをどうするのか。
このまま後ろに突き刺す?口を塞ぐ腕を切り落とす?
自分の首を切り離して、拘束から解放される?
何もかも、恐ろしくてできやしない。力や手段があったって勇気がない。
何も出来ないことが、一番怖い。
「メイ様!」
声を聞くと同時に視界に認めた彼の姿は、一度瞬いた瞬間に目の前まで迫ってきていた。
「─────っ、」
視界の端にキラリと光る刃が通り過ぎ、それはそのままほんの小さな音を立てて、芽依の後ろを通過した。
声など発する間もなく、芽依を押さえていた男はあっという間に力と血を失う。噴き出した男の血は、芽依の頭に雨のように降り注いだ。
「…………、」
ボタボタと落ちてくる血が、スローモーションのようで、もしかして避け切るのではと思ったほどだ。
けれど、そんなことは一切なくて、肌の色も髪の色も、瞳の色さえ埋め尽くすくらいに、芽依は血に塗れた。
握り締めたままの短剣の刃にも、輝きを失うくらいに。