episode36 初めての友達と最後の言葉を交わした件
【前回のあらすじ】
決勝戦での一騎打ち。岩佐宏美が的を外し、柴崎楓も的を外してしまった件
岩佐とは反対側、的の数センチ左側の壁に当たり、矢は無残にも音を立てて落ちた。
弓道を始めて二年半。
練習において、的からずれることはあっても外すことは恐らく手と足の指の数で数え切れるほど。
大会においては一度だって外したことはなかった。
常に窓のド真ん中。
それなのになぜ、矢は外れてしまったのか。
思い当たることは一つしかない。
矢から手を離す瞬間、岩佐のことを考えてしまった。
自分の一本が、初めてできた友達に与える影響を考えてしまったのだ。
あたしは反射的に、岩佐の方を見ていた。
彼女もあたしのことを見ていた。
その表情は驚きではなかった。
静かな怒りが、その表情から伝わってきた。
そこから先はあまり覚えがなかった。
気付けば表彰式が終わり、あたしはどしゃ降りの雨の中、帰路を歩いていた。
部員達と一緒に帰らず、後から帰る、と言ったことは覚えている。
朝、天気予報を見て持ってきた紫色の傘に、容赦なく雨は降り注ぐ。
ふと我に返り、スポーツバッグのチャックを開いて中を覗き込んだ。
そこには、金色に輝いたメダルと、一枚の賞状が入っていた。
「そっか。あたし、優勝したんだった」
顔に雨粒が当たることを省みず、あたしは曇天の空を見上げた。
自分が外したことにより、試合は十本目に繰り越された。
どう考えても精神的ダメージはあたしの方が強かったにも関わらず、岩佐は十本目を大きく外した。
そしてあたしは、十本目を決めた。
動揺と衝撃が胸を渦巻いていたけれど、何万回と繰り返した所作に救われた。
八大会ぶりに十回目までもつれこんだ全国大会決勝戦は、あっけなく幕を閉じたのだった。
こんな終わり方、許せるはずがない。
九本目、あたしがきれいに決めていたら、まだ完璧に終わることができた。
というか、岩佐が外した時点で、それ以外の終わり方なんてありえなかった。
それなのに何で、あの時岩佐のことが過ぎってしまったんだろう。
「楓ちゃん!!」
二駅ほど歩いてから電車に乗ろう。
そう考えて歩いていたあたしの背後から、叫び声が聞こえた。
振り向くと、道路のど真ん中で、岩佐が傘も差さずに雨に打たれながらたたずんでいた。
いつもの笑顔とは裏腹に、顔を大きく歪ませて怒りの表情をあらわにしてる。
思い当たる節は一つしかなかった。
足音を立てながらズンズンと近づいてきて、顔がくっつきそうなくらいの距離で停止した。
「何で、九本目を外したの」
一週間前の彼女の話で、弓道を小学生の頃から続けてきたことを知った。
親の影響で弓道を始め、最初はなかなか花が開かなかったものの、努力に努力を重ね、今の実力まで上り詰めたと。
そんな彼女にとって、あたしが矢を外したことは、どう映ってしまったのか。
「あたしだって、外したくて外したわけじゃない」
「そんなの嘘。楓ちゃんはどんな時だって矢を外したことはなかった。ずれるとしても、的の中心から数センチだけ。あたしが外したタイミングで外すなんて、そんなの意図的じゃないとありえない」
「全国大会で後攻になったのは初めてだったから、岩佐のプレッシャーが……」
「わたしなんかが、楓ちゃんのプレッシャーになる訳ないじゃん!」
大粒の涙を流し、眉間に縦皺を立てて激昂しながら、そんなことを平然と言い放たれる。
その言葉には、悔しさと、悲しみが入り混じっていた。
「どれだけ努力をしても、どれだけ時間をかけても越えられない壁だった。わたしが楓ちゃんに会いに来なければ、楓ちゃんはわたしのことをずっと知らないでいたでしょ。そんなレベルなんだよ、わたしなんて」
「そんなことはない! 岩佐のことを知らずに今日の決勝を迎えたら、きっとあたしは岩佐のことを…」
「ううん、分かるもん。楓ちゃんは、絶対わたしのこと、知らずに中学校を卒業するよ」
力の抜けた涙声で、岩佐は言う。
あたしは言葉を継げなかった。
「わたしのせいでしょ。わたしが、この大会が終わったら引退するって言ったから。だから、優しい楓ちゃんは、わたしに勝たせてくれようとしたんだよね」
その言葉に覇気はなく、むしろ優しさが感じられる。
力なくだらりと下ろした両手が、もうこれ以上、自分と言い争いたくないことを示していた。
岩佐の言うことに間違いはなかった。
きっとあたしは、心の奥底で彼女がそれを望んでいないことを理解していながら、そう思ってしまった。
それが気の緩みを生み、矢は外れた。
「確かに、あたしは矢を離す瞬間、岩佐のことを考えてしまった。これを決めたら、岩佐が引退することになるって」
これだけは彼女に伝えたい。
そう思いながら、言い訳を並べるかのように力のこもった声であたしは言う。
「でも、だからと言ってわざと外したわけじゃない! それだけは信じて!単にあたしの心が弱かったから、それが弓矢に伝わって外しただけ。
完全にあたしの実力不足だった」
気付けば、自分の頬にも涙が伝わっていた。
冷たい雨の中で染み渡る温かさ。
人生で一番情けないくらい、わめいて叫んで言い訳をして。
そんなあたしの言葉に、岩佐は優し気に微笑んだ。
「わたしがいなくなれば、楓ちゃんは前みたいに強くなるもんね」
そう告げると、彼女は踵を返して歩いていく。
ダメだ、彼女にあたしの気持ちが、言葉が、全く届いていない。
止めて、きちんと話し合わないと。
そうじゃなければ、初めてできた友達と、永遠に別れることになってしまう。
傘を放り投げてでも彼女を止めようとあたしは一歩踏み出した。
しかし……。
「来ないで!」
ビリビリと地面が揺れるくらいの声で、彼女は叫んだ。
それは、完全なる拒絶の言葉。
反論の余地も、話し合いの余地も、与えてはくれない。
その雰囲気に圧倒されて、あたしはそれ以上踏み出すことができない。
「楓ちゃん、一ヶ月間だったけど、一緒に練習ができて楽しかったよ。友達と仲良くね。
もう会うことはないと思うけど、元気でね」
最後に振り返った彼女の笑顔は、雨に打たれながらも太陽のように晴れやかなものだった。
そこに、さっきまでの怒りや悲しみ、苦しみは全く感じられなかった。
※※※
彼女と会ったのは、それが最後だった。
埼玉県という愛知県から離れた場所に住んでいるから、というわけじゃない。
岩佐宏美はその数日後、交通事故で車にはねられ、意識不明の重体となったからだ。
一週間後、新聞に載った小さなニュース欄で、そのことを知ったあたしは、彼女の入院先を調べて会いに行った。
けれど病院からは、一瞬だけ意識が回復した時に、あたしには会わせないでと岩佐から言われていると、面会を拒否された。
代わりに、事故の当たり所が悪く、今後はもう長くないだろうと教えてくれた。
加えて、彼女は慢性疾患を抱えており、元々あと数年の命だという真実を知った。
発作が起きると、体の震えが止まらなくなる病気だと。
あの時、公園で彼女が言ったことは冗談ではなかったことに気付く。
つい、言ってしまったのだろう。
それが、彼女の心の弱さなのかもしれない。
九本目で外した時、彼女の手が震えていたのは、発作が起きたからということも悟る。
むしろ今までずっと、無理矢理抑えてきていたのかもしれない。
その真実を知るには、彼女が劇的な回復を見せて話せるようにならなければできない。
そしておそらく、達成することはできないのだろう。
岩佐という友達を失い、精神的支柱を失ったあたしは、それから誰に対しても関心を失った。
高校に入ってからも、人間関係はリセットされたが、告白といじめは受け続けた。
そして高校二年生の秋。
ついに怒りを爆発させたあたしは、朝のHRが始まる直前に、机や椅子をなぎ倒し、何人かの女子生徒に怪我を負わせ、一ヶ月間の停学となった。
停学期間中、あたしの頭の中にあったのは、岩佐のこと。
今現在どうなっているかは、あたしには分からない。
彼女が亡くなったとしても、一人の高校生が亡くなっただけで、ニュースになることはないのだろう。
やっぱりあの時あたしは、岩佐に嫌われてでも引き留めるべきだった。
そして殴り合いのけんかになってでも、話し合うべきだった。
そんな後悔を胸に抱えながら、部屋の隅でじっとうずくまり、停学期間が空けるのを待ったのだった。
【チャンネル登録と高評価お願いします!】
少しでも面白い、先が読んでみたいと思いましたら、ブクマ・評価・感想等をお願いします。
個人的にブクマと感想が嬉しいので、何かあればお気軽にお願いします!




