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episode20 有り得たかもしれない未来の件

【前回のあらすじ】

水無瀬を振ると決めた罪悪感から御影光は嘔吐した件

「お腹、もう大丈夫?」


 その不安そうな声に顔を上げると、水無瀬はまだ一文字もプリントに書いていなかった。

 やっぱり、弁当が原因だと考えているようだった。


「吐き気がしたのは水無瀬の作った弁当のせいじゃないよ。それだけは絶対に違うから。ちょっと疲れが出ただけだと思う」


 強く否定したことで水無瀬は目を丸くしたが、信じてくれたようでホッと胸をなでおろしていた。


「もしかして寝不足?」


「うーん、ちょっとだけ」


「またノイローゼみたいにならないでね。私、すごく心配してるんだから」


「それは大丈夫。最近、夢を見ていないから」


「…………そう」


 あれ、ちょっと冗談を言ったつもりだったのに。

 水無瀬はそれ以上言及して来ずに、プリントに鉛筆を走らせ始めた。

 まあいいかと思い、それに合わせて、俺も勉強を再開する。

 

 時折、外で部活をしている者達の声が響いてくる。

 季節は十月。

 三年生はほとんど引退して、今頃は新チームとして二年生が頑張っている頃だろう。

 三年間部活を続けるような高校生活ではなかったけれど、後悔はなかった。


 そうしてびっしりと問題が印字されたプリントの表を埋める頃、「ねえ」と水無瀬が話しかけてきた。


「もし一緒に高校に入学していたら、いつもこんな感じだったのかな?」


「こんな感じって?」


「今日みたいに一緒に登校して、一緒にお昼ご飯を食べて。ちょっと放課後に教室に残って一緒に勉強して、そして一緒に帰って。

 そんな光景が、当たり前になっていたのかなって」


 さっきと違い、ペンを動かしながらそんなことを語る彼女。

 その表情は、髪の毛に隠れていて見ることができない。

 そう言われて、少しだけ想像してみる。


 あの時から付き合い続けていたら、今はもう三年も経っているのか。

 そしたら、もっと水無瀬のことを知って。

 きっと、ずっと仲良しみたいな感じにはいかなかったんだろうなぁ。

 

 たまには価値観が会わなくて喧嘩をして。

 でも、やっぱり好きだから仲直りして。

 ああ、俺はこの子と結婚するんだなと少し先の未来を想像して。

  

 水無瀬の言う通り、当たり前の日常を、一緒に楽しく謳歌おうかしていたんだろうなぁ。

 

 もし俺の前にMが現れたとしても、きっとあの赤いボタンは押さなかっただろう。

 現状に満足して、これ以上の変化なんて、求めなかったに違いない。


 今より刺激的な毎日ではなかったと思うけど、それでもきっと水無瀬と過ごせば。

 どんな毎日も、きらきらと輝いていたことだろう。




「その未来ってさ……もう、来ないのかな」




 ふと、音が鳴り止んだ。

 それは、この部屋の中で唯一の音である水無瀬のペンが、動きを止めたからだった。

 合わせて、俺のペンの動きも必然的に止まる。


 伏せていた水無瀬の前髪が少し揺れ、その先の表情が目に映る。

 

 口をキュッと結び、何かをこらえるように顔をしかめていた。

 言葉一つ間違えば、きっとその目から涙が溢れてくることは、想像に難くない。

 

 だからこそ、俺は何も言えなかった。

 浮かんでくるのは、彼女の気を遣うような言葉ばかり。

 

 その未来は俺が作る、とカッコよく言えれば良かったのだが、それは後々彼女を大きく傷つける。

 そしてきっと、桜庭も失望するだろう。


 が、永遠のように感じられた時間は突如終わりを迎える。

 パッと表情を変えて顔を上げた水無瀬が、


「ごめん、今のなし! つい心の声が漏れちゃったっ!」


 両手を顔の前でぶんぶんと振る。

 心の声、か。


「未来なんて今はいいの。私は、こうして光くんと一緒にいられるだけで楽しいから。この時間の方が、ずっと大事だから……」


 そう言ってプリントを裏返し、再び空欄を埋めに入り始める水無瀬。

 それを見て、俺も無言で勉強に戻る。

 ホッとしている心がいることに、無性に苛立ちを覚えた。


 そして黙々と勉強を重ねること三十分。

 そろそろ見回りの先生が来るかもとのことで、一緒に帰宅する方向に。

 その帰り道は、いつもより少しだけテンション高く話しかけてきた。

 俺は自分の気持ちが伝わってしまわないよう、なるべく平然をよそおいながら、その会話を続けたのだった。




 それからの三日間は、月曜日とほとんど変わらない一日を過ごした。

 火曜日、前日と同じようににこやかな笑顔で玄関先に立っていた水無瀬。

 そして朝のHRが始まるまで会話をして過ごし、その後も授業以外は基本的に水無瀬と過ごした。

 水無瀬のテンションは相変わらず高く、鈴村のようなアプローチをしてくる、ということはなく、むしろ変わらない日常を一緒に楽しむ、といった具合だった。


 帰りに寄り道したい、屋上でご飯を食べたい、図書室で一緒に勉強したい。

 そんな、今じゃなくてもできるようなことを、彼女は望んだ。

 それはまるで、俺と過ごせなかった二年半という高校生活を取り戻すかのように。


 対する俺は、桜庭との約束を守り、会話を楽しむことに徹し、すべての要望を飲んだ。

 月曜日に感じた苦しみは、一日を経るごとに強くなるどころか、少しずつ収まっていた。

 もしかしたらそれは、あまりにありふれた日常すぎて、水無瀬がもう半分諦めているんじゃないかと思ったことにある。

 

 そんな風に、一緒に過ごせば過ごすほど分からなくなる水無瀬の心を感じていると、気付けば金曜日。

 つまるところ修学旅行前日。

 

 その当たり前の日常に少し、変化が訪れたのだった。

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