195話 マリア
地上はおろか大気を覆った闇は徐々に東北全県を覆い尽くしていった。
それまでの生活とは違う混沌とした阿鼻叫喚の世界に変わり、逃げ惑う者も居れば戦い、自ら生を掴もうともがく者とそれぞれにこの地獄を生き残ろうともがき苦しんでいた。
各地に散らばる黒石の能力者も、それぞれに大切な人を守るため、黒石の力による侵食に耐えながらも奮闘していた。
闇は人々の死を糧に成長を続け、黒石権左郎が上にある【甚黒魔皇石】を更なる高みに引き上げた。
「カッカカカカ! 良いぞ、どんどん集まる。死を糧に更なる成長をするのだ! そして我と一体となり、ワシは【暗黒経王】としてこの世に君臨するのだ!」
マリアによって現世に体現した【甚黒魔皇石】は、異次元の狭間にいた冒涜の魔物を取り込み、悍ましく触手を畝らせながら、黒石の屋敷が有った上空で暗黒の波動を放ち続けている。
【甚黒魔皇石】を現世に呼び寄せたマリアは、自身のペットで有り子供でもあるドゥドゥーマヌニカちゃんと共に、新しく作った世界でしばしの休憩中だ。
彼女曰く、「【甚黒魔皇石】を呼び寄せた時点で私の仕事はお終い。後はご勝手にどうぞ」と権左郎の事には興味なさげだ。
この【甚黒魔皇石】の現世への体現は、優畄たち光の御子の力と勢いに焦った権左郎が、マリアとの盟約の解除を条件にして進めたもの。
そのためマリアとの1500年に及ぶ盟約と契約は、現時点では切れている。
力を蓄えた【甚黒魔皇石】と同化する事で、彼女と同等の力を手に入れられる。そうなればもはや彼女の力は必要無いという訳だ。
マリアと権左郎が交わした盟約と制約は、共存共栄と隷属。
隷属の制約は権左郎がマリアを利用するために、初めて出会った時に無知だった彼女を騙して交わしたもの。
その制約は最初の300年程で切れているが、その300年の間でマリアは、暗黒の体現者としてその頂点に君臨している。
「今更黒石から解放されても意味はないですわね…… それでも事の顛末だけは見届けましょうか」
「ギギ…… 暇潰しにはなるかな?」
「ええドゥドゥーマヌニカちゃん、極上の暇潰しよ。それとドゥドゥーマヌニカちゃん、いつの間に言葉を覚えたの?」
「ギギ…… ママ達の話を聞いているうちに自然とね」
「あらあら、ドゥドゥーマヌニカちゃんは優秀で良い子ね。そのうち新たな世界を任せようかしら」
「ギ…… ママ、それ面白そう! そうしたら沢山新しい世界の住人を苦しめてそのカルマをママにプレゼントするんだ!」
「まあ、それは楽しみね」
楽しそうに語り合う2体の何か。
その内の1体、マリア。
漆黒の体現者として何よりも人々の苦しみが好みな少女。
当初は白く純粋な存在だった彼女。
まだ黒石権左郎が黒石と名乗る前の宮下権左郎だった頃の話し。神話の時代のお話し。
当時の権左郎は弱小の地方豪族でしかなかった。
日々の粗飯のために畑に出て働く、そんな百姓と変わらない嫌気が差す毎日を営んでいた。
部族同士の小さな小競り合いはあったが、彼の地は誰からも見向きされない程に小さく弱小だったのだ。
それでもたまにちょっかいを出される権左郎、兵力も少なく弱い彼の部族は、他の豪族の憂さ晴らしにもってこいの相手だったのだ。
「おのれ! おのれ! ワシを馬鹿にしおって……」
まだ青銅器ですら珍しい時代、そこらに落ちている木の棒に鋭利な石を刃先にした石槍が主武器。
百姓に忙しく戦闘技術なぞ皆無だった彼では自力での勝利は難しい。
かと言って搦手を使った戦い方をする程の頭も知識も彼にはなかった。
日々削り行かれる自身の土地で、百姓として終わりを迎える。そんな最後だと彼も心の何処かで諦めていたのだ。
その鬱憤を小動物などを虐待して晴らすのが彼の日課だ。
たまに自身の領地の子供を攫って、バラバラに解体する事もいいストレス発散の方法。
生来から彼は生き物の血や臓腑を見ると興奮する様な異常性を有していた権左郎。立て続けの負け戦が更なる闇を彼の心に宿していた。
そんな彼の元に白い球と共に真っ新な女の子が突如として現れる。
彼女が権左郎の元に現れたのは全くの偶然。
マリアが住んでいた世界が滅びる寸前に、その世界の神だった彼女の両親が、その世界の理を司っていた白球【ホワイトアーク】と共に安全な次元へ送り出したのだ。
この【ホワイトアーク】はマリアが元居た世界の核だ。それと共にこの白球はマリアとリンクしており、彼女に力を与えている。
当時のマリアの年齢は8歳。両親の愛情一杯に育てられた彼女は、純真無垢で心の優しい女の子だった。
だが彼女が逃げた先に居た権左郎が彼女の運命を変えたのだ。
彼女は身の保護と彼の土地への移住を条件に、権左郎に騙されて隷属すると制約してしまう。
突如として知らない世界に放り出され、両親を亡くした悲しみ等も有り冷静な判断が出来なかったのだ。
彼女は【ホワイトアーク】とリンクしている間は年を取らなく、様々な特殊能力を使う事が出来る。
その力を利用する為の制約でもあった。
それからの100年間は地獄だった。彼の命令に逆らう事も出来ず、その神の子としての能力を私利私欲の為に使わされやりたくない事も強制的にやらされた。
「嫌だ! 妾はこの様な事はしとうない!!」
権左郎は自身の趣味の為の子供を能力で連れて来る様に指示する。マリアがいくら泣き叫ぼうが、彼は笑いながら強制するのだ。
自身が呼び寄せた子供が怯えながら権左郎と共に地下室へ消えて行く、彼女はしゃがみ込み耳を両手で塞いでその時をやり過ごしていた。
その他にもマリアの力を使って、自身の領土に攻め入る豪族を捕まえさせ、残酷にも串刺しにして自らの領土に立て付けたのだ。
荒んだ毎日に彼女の心は徐々に光を失っていった……
そんな彼女の心を表したかの様に真っ新だった白球【ホワイトアーク】が灰色に濁り始める。
と共に彼女の力も強まって行くその事実がやるせなかった。
ある時、逸れた狸の子供を見つけたマリアは、権左郎に隠れてその子を可愛がり育てる事にした。
地獄の様な日々の中でその子狸の存在は、彼女の癒しで有り、彼女が闇に堕ちない最後の砦の様な存在。
「小太郎、お前は温いのう。愛奴じゃ、愛奴じゃ」
屋敷脇の小さな小屋の中で狸を抱きながら寝るのが彼女の日常と化していた。
だが、そんな彼女のオアシスであり最後の砦でもある子狸をも、権左郎は奪い去って行ったのだ。
「小太郎! どこに行ったのじゃ、小太郎!」
行方不明になってしまった子狸を探して屋敷内を探し回ったマリアが最後にたどり着いたのは、権左郎の趣味の為の地下室。
彼女は大切な子狸を探す為、その地下室へと続く階段を降りていく。
今まで怖くて避けていた場所。子狸の為に勇気を振り絞って彼女はその扉を開ける。
そして様々な残酷なるオブジェの中に、剥製にされた自身が最も大切だった、彼女にとって最後の砦だった子狸を見つけたのだ。
「マリアよ、お主に愛情は必要ない。これからもワシだけの為に涙を流しカルマを集めるのだ」
残酷な笑みと共に権左郎がマリアにそう告げる。
程なくして以前の明るく優しかったマリアは姿を消した。その代わり何をするにも何の反応も示さない冷徹で人形の様なマリアが生まれた。
彼女が邪神を育てているのはこの子狸の名残が残っているから。
それと共に灰色だった【ホワイトアーク】は、黒く黒くその色を濁らせて行ったのだ。
怜悧狡猾なマリアに再びの隷属は無理だ。そのため共存共栄の盟約を交わし、強力する代わりにお互いに不干渉の協定を結んだ。
その後も権左郎とマリアは、様々な世界を滅ぼしその力を蓄えていく。
もはや彼女に憐憫の感情は無かった。彼女自身もそれらの行動を楽しむ様になっていた。
もし、もしマリアが1番最初に権左郎では無い別の誰かと巡り合っていたら、彼女の運命も全く別のものになっていただろう。
それでも彼女は権左郎と出会ってしまったのだ。
時間は決して戻せはしない。
暗黒の体現者マリアはこうしてこの世に生まれたのだ。
彼女が今居る次元の世界【クロススフィア】その森の片隅に木造の古い小屋が建っている。
何故その小屋がそこに建っているのか、たまに子狸が出入りしているその古屋の詳細を知る者は誰も居ない。




