171話 過去2
奈落からの脱出を試みる2人だったが、それは容易ではなかった。
2人が落ちた場所は''死者の谷''と呼ばれ、死体や罪人を投げ捨てる場所でもあったため、不死系の魔物の巣窟だったのだ。
スケルトンに始まりゾンビ、その上位個体のグール。ワイトにレイス、最悪には不死者の王と呼ばれるリッチまでおり、谷からの脱出は困難を極めた。
最初はいがみ合っていた2人も、互いに協力し合わなければ脱出は不可能と手を取り合う事に。
なんとか激戦を制し強敵を倒した2人は、その後も幾日かを共に過ごし、幾多の困難を乗り越える事で互いを信頼し合える程度には関係を改善させていた。
その過程で分かった事だが、どうやらイーリスは教会に操られていた節があったのだ。
その元凶から離れる事で狂信的で攻撃的な、人間種以外を人とは認めない頑なな考え方から、聡明で謙虚な物事を広い視野で捉え柔軟な考え方をする女性へと変わっていた。
「私は何て狭い視野で物事を見ていたのか….… 其方の言う通りに、今度からはもっと広い視野で物事を見ようぞ」
「お前なら出来るさ、それだけその太陽神の巫女という立場は大きいんだ」
康之助の方も授皇人形のハルカと別れた事で、黒石の闇の流入が止まり、以前の様に兄貴肌の優しい男に戻っていた。
彼と共にいたイーリスの太陽神の巫女たる、破魔の力が作用した事も大きな要因だろう。
そして康之助とイーリスが地上に帰り着いたのは、彼等が落ちてから28日後の事だった。
およそ1ヶ月の間彼等は、時に不純とされる魔物の肉を食い、時に泥水を啜りながらも2人で協力し合い助け合い生還した。
2人の苦難が淡い恋心に変わるのもまた必然といえるだろう。
互いにそれぞれの立場、康之助は反政府のレジスタンス。イーリスは太陽神の巫女、騎士団団長という立場に戻っていった。
奈落に落ちた1ヶ月でそれぞれの組織にも大きな変化が有った。まず康之助と彼の授皇人形のハルカとのリンクが切れていたのだ。
元からハルカとはリンクは感じていたが、そんなに強い繋がりはなかった様に思われる。
ボクシング漬けの毎日で彼女との関係を便利な家政婦程度にしか見ていなかった事もあり、優畄達の様な強い絆ではなかった。
まあハルカの方はもっと一緒にいて欲しいと常日頃に思っていたのだが。
マリアが強引にも康之助をこの世界に送った理由自体が、彼をボクシングから遠ざけさせ、ハルカとのリンクを強まらせる事だったのだ。
だがそのハルカは、康之助とイーリスが奈落に落ちた際に神聖カロニアに囚われてしまったらしい。
「そうか、ハルカが……」
本来ならただの兵なら蹴散らす程度の力は有ったのだが、康之助とイーリスが奈落に落ちた事でパニックをお越してしまい冷静な判断が出来なくなってしまったのだ。
当時の混乱の中、他のレジスタンスのメンバー達も逃げ延びるのに必死で、彼女を助ける間も無かった。致し方のない事だったのだろう。
谷底でのイーリスとの日々が彼の闇を祓い、太陽神の御子としての新たな力に、彼を目覚めさせる切っ掛けを与えてくれた。
そう彼には太陽神の加護を得るだけの素質があったのだ。それ程までにイーリスの巫女としての力が強かったという事。
国に帰ったイーリスの方にも大きな変化があった。なんと彼女が行方不明の間に新たな太陽神の巫女が誕生していたのだ。
偽りの巫女。
そう、彼女の代わりなぞこの国には幾らでも居る。国を動かす為の傀儡として秘密裏に育てられているのだ。
なんとか生還したイーリスに待っていたのは、暁の騎士団団長からの降格と、遠くにある辺境の砦の防衛という、彼女のそれまでを否定する非情なものだった。
腐り切った教会上層部やこの国に愛想が尽きた彼女は康之助のレジスタンスに合流すると、この国によって妨げられ迫害を受けていた者達を救う為の戦いを始めたのだ。
イーリスと共に反政府活動を初めて1ヶ月、カロニアに送っていた間者からの情報で、なんとかハルカが囚われている収容所を特定する事が出来た。
その収容所を急襲したレジスタンスは衝撃を受ける。
その収容所には国に反逆した者や勢力争いに敗れ失脚した者達が収容されているのだが、その殆どが凄惨な拷問の末に四肢を欠いており、この収容所の劣悪な環境が伺えた。
「ひ、酷い……」
「ハルカ……」
そしてハルカは収容所の最奥にある薄暗く汚い独房の中に居た。
逃げ出せない様に彼女の両足の膝から下は斬り落とされており、両手は鎖に繋がれている。そして声を出せない様に歯と舌を抜かれていた……
「…… は、ハルカ……」
「………」
康之助の問いかけにも無反応で虚無を見つめ続ける彼女。
どうやら彼女はこの収容所の兵達の慰み者にされていた様で、その精神は暗黒の淵に深く深く沈んでいた。
彼女を救出したレジスタンスの一同は快進撃を続け、ついにはカロニアの首都アルバニアの眼前にまで迫ったのだ。
その過程で康之助は幾多の囚われし種族を解き放ち、勢力を大きくすると共にカロニア打倒後の組織作りに尽力する。
イーリスも偽りの太陽神の巫女を倒し、操り人形から今度は人々を導く為の太陽神の巫女を演じる事に。
2人の関係はハルカの事もあり、進展しないままだった。互いに惹かれ合いながらもその現状に尻込みしているのだ。
「俺はハルカをほって置いて、お前とそうゆう関係にはなれない……」
「今は想うだけで充分、それだけで充分なんだ……」
人知れず抱き合う2人、そんな2人を翻弄する様に状況も変化して行く。
他国からの横槍や真の太陽教を公言する組織ハンナラの兵の流入。康之助が太陽神の御子として覚醒するなどの紆余曲折をへて、状況はレジスタンスの有利に傾いていった。
だが、最後まで自己保身に走った教会の上層部は、追い込まれた事で大聖堂の地下深くに封印されていた傲慢の邪神ネプ.ガリムを解き放ってしまう。
実はこの邪神は、マリアがこの世界に混沌を齎す為に仕込んで置いたもので、マリアの13番目の子だ。
あのドゥドゥーマヌニカの様に、邪神を育てて別の次元の世界を混沌に陥れ滅ぼすのが、彼女のライフワークの一環なのだ。
この邪神が放つ邪気によってこの世界で最大の国を操り、世界に混沌を振り撒いていた。そして迫害された人々の怒りや悲しみが黒石の闇の良き贄となっていた。
康之助の予想外の行動で予定は狂ったが、そろそろこの世界を滅ぼそうと、ネプ.ガリムに滅ぼせのGOサインを出したのだ。
マリアの指示にネプ.ガリムも待ってましたとばかりに辺り一面を焦土に変えて意気揚々と動きだす。
だが予想外も予想外、なんと康之助とイーリスが邪神を倒してしまったのだ。
予想外の事態にマリアは心を失くしたハルカを依代に、このグリドスフィアの世界に体現した。
マリアはカロニアを打倒し、世の混乱を平定しようとしていた康之助とイーリスの2人を異次元に幽閉すると、2人が正したこの世界を滅ぼしたのだ。
康之助達が閉じ込められた異空間はマリアの特別製で、時空間の時間のずれが大きく、元の世界の1ヶ月がこの空間では100年の年月に相当する。
康之助達はこの異空間に外の世界での一年間、悠に1200年の間閉じ込められていたのだ。
永遠の牢獄、もし康之助1人だったなら気が狂い自我を保つ事は出来なかっただろう。
この世界では肉体は意味を成さない。ドロドロに溶け合って混ざり合った2人は、永劫の時を彷徨い何とか生き延びていた。
幸い、肉体を持たない精神体は歳を取らない。
それでも1200年という幽閉の時間は、康之助の精神に多大なる行為症を残した。
そんな彼を憐れんだイーリスが自らを犠牲にして、康之助1人を元の世界に戻したのだ。
それは今から12年前の出来事。彼女がまだ生きているか、その存在がまだ残っているのかは分からない。
それでも康之助は彼女を忘れる事が出来ない。彼女を助け出す、その為なら何でもしようと心に誓ったのだ。




