開腹手術のほら話
「はぁ~、退屈だなぁ」
とある病院の一室で、Aはぼやいた。現在彼は、数日後に手術を控え入院中なのだ。
彼自身の自覚としては健康そのものだ。しかし、それでもなぜ入院しているかというと、健康診断の際、悪性の腫瘍が見つかったという。幸い発見が早かったため、すぐに摘出すれば問題ないとのことで、入院とあいなったのだ。
とはいえ、手術までの生活は、若いAには退屈極まりないものだった。食事の味も薄く、娯楽も少ない。だが、時間だけはたっぷりある。結果として、Aはその大半の時間を、スマホによるネットサーフィンをすることで潰していた。
その日も、彼はネットサーフィンを楽しんでいた。最近の流行りは、オカルト系サイトのホラー話を見ることだ。特に病院系のホラーは、現在の自分の状況も相まって、なかなかの恐怖感を味わえた。
「ま、ほら話も多いんだろうけどさ。ホラーだけに」
Aはふと呟き、クスリと笑う。彼にとっては、そんな、自分で呟いたくだらないギャグでさえ一つの慰めとなっていた。
そのままぼんやりとサイトを見ていると、一つの記事が目に留まった。
「なになに? 実際にあった病院の黒い話?」
その手の売り文句など、ほぼすべての記事に張り付けてある。だが、とにかく目に留まったので、Aはその記事をタップした。時間だけは、たっぷりとあるのである。
「……ふんふん、病院が臓器売買?」
それはよく聞く話であった。病院が手術をするとき、患者の臓器をこっそりと抜き取って、裏で売りさばくといった内容だ。特に腎臓などは、片方とっても日常生活に大きな支障は無いため、良く抜き取られるというのである。
「それがばれたらタダじゃすまないし、ありえない話だよなぁ」
あまりの話の馬鹿馬鹿しさに、Aは思わず笑ってしまう。ここ日本において、リスクと引き換えにそんなことをしでかすとは、彼には思えなかった。
「検温の時間です」
ガラリと戸を開け、看護師が病室に入ってくる。一日一回の、コミュニケーションの時間だ。
「はい、Aさん。どうぞ」
看護師から体温計を渡され、Aはわきの下にそれを挟む。その流れで、看護師に話しかけた。
「さっきネットで見たんですけど、病院で臓器を勝手にとっちゃって、売り払うってこと、実際あるんですかねぇ」
それは無いと返答が返ってくることを分かったうえでの話題だ。案の定、看護師は苦笑して、首を振る。
「そんなぁ、あるわけないですよ。大問題になっちゃいますからね」
「ですよねぇ」
Aもまた、それにつられて笑った。荒唐無稽の与太話。せいぜいが、日々の小さな話題程度だ。
「あ、でも……」
そこで看護師は、思い出したように言った。
「人の体って、結構いい値段するらしいですよ。それこそ、脳みそ以外、みーんな売れるのだとか」
看護師はにっこりと笑った。Aには、その笑顔が、言うなれば暗い、悪魔の微笑みのように見えた。
病室を、なんとも言えない空気が流れる。ピピッと、体温計が電子音を鳴らした。
「あ、その、どうぞ」
Aは慌ててわきから体温計を離すと、看護師に見せた。
「どれどれ……36.5度。平熱ですね」
カリカリと手にした用紙に、Aの体温を記入する。先ほどの空気など、無かったかのようだ。
「では、手術も近いので、お大事に……」
そう言って出ていこうとする看護師を、Aは慌てて呼びとめた。
「ちょっと、その……ちなみに、臓器の値段っておいくらなんですかね……?」
それを聞いた看護師はキョトンとし、そしてコロコロと笑う。
「やだなぁ、冗談ですよ。本気にしないでください」
「そ、そうですよね……ハハ……」
Aもまた、やはりそれにつられて笑う。だが、それが引きつっている自覚はあった。
・ ・ ・
その日の夜。Aは寝付けずにいた。
彼の記憶に蘇るのは入院時に書いた手術同意書。ろくに説明も聞かずにサインをしたが、あれには確か、何か問題があっても黙っていろ、という旨の内容が書かれてなかったか。もしかしたら、医療行為の一環として臓器を抜き取られるのかも……。
「ハハ……ないない……」
ありえない、と分かっている。だが、手術中に自分の意識はないのだ。臓器が抜き取られないという保証はどこにある。
もしくは夜の病院というシチュエーションが、より彼の恐怖心を煽っているのかもしれない。どちらにせよ、そのような恐怖から、彼は目が冴えてしまっていたのだ。
そんな恐怖心も、睡魔の前に屈しようとした頃。
突如、病室に明かりが灯った。それに反応して、Aの意識は急激に浮上する。
目を覚ました彼は、その状況に困惑する。それは、彼の四肢が拘束されており、彼の目の前には、彼の主治医である医者が立っていたからだ。
「先生……。その……これは……」
混乱した頭の中、Aは何とか言葉を絞り出す。
「うむ。少し状況が変わってね。今から君の手術をしようと思う」
こともなげに、医者はそう言った。
「え、でも……」
「状況が変わったといったろう? ここで手術しないと危ないのだよ。さ、御託はいい。早く移動しよう」
医者が合図を出すと、助手と思しき看護師たちが、Aを有無を言わさずストレッチャーに乗せる。そしてガラガラと移動を始めた。その中には、検温に来た看護師も混じっていた。
「え、ちょっと……う!」
文句を言おうとしたAだったが、その口に呼吸器のようなものが突然はめられる。思わず息を吸うと、そのとたん、意識が朦朧とし始める。
「くそ……負けて……たまるか……」
Aは何とか抵抗しようとするが、徐々に意識は沈んでいく。うすらぼんやり見えたのは、獲物を待つかのようにぽっかりと、真っ黒な口を開けた手術室だ。そこで、彼の意識は完全に沈んだ。
・ ・ ・
数日後。
Aは無事退院していた。突然のことで申し訳なかったと医者たちに謝られ、病状の詳しい説明を手術後に受けた。聞けば、なかなか危ないところまで来ていたようだ。
思えば変なサイトを見て、勝手に怖がっていただけだった。結局、この日本において、しかも病院がそんなことをするはずがないのだ。所詮、ホラー話はほら話、そういうことなのだろう。
なんにせよ、これで命は助かって健康体になった。医療費は痛かったが、命を失うことを考えれば、背に腹は代えられない。
さて、しばらくぶりの自宅だ。酒はまだ医者から禁じられているが、入浴くらいはいいだろう。入院中は、しっかりと風呂にも入れなかったからな。せっかくだ。運動不足で、どれだけ体重が増えただろう。どらどら……。
「おお……?」
意外なことに、体重は増えていなかった。逆に8キロほど痩せていたのである。てっきり太ったと思っていたAにとってそれは、意外な喜びであった。
「病院食ダイエットとして、世に発表するのもいいかもな」
Aは鼻歌を歌いながら、上機嫌で浴槽に浸かるのだった。
それから数か月たったある日。とあるマンションの一室でAの死体が発見された。異臭を不審に思った隣人によって通報が入ったのだ。
しかし、その死体は、ほとんど腐敗が進んでおらず、異臭の発する状態ではなかった。その後、解剖にて開腹された結果、解剖医は驚くべきものを目にする。その胴体にはあるべき臓器は存在せず、食事で摂取したのであろう食物が、腐った臭いを発していただけだったからだ。異臭の原因は、死体の腐敗ではなく、彼の摂取した食品であった。
加えて言うなら、その死亡理由は栄養失調。つまり、この男は肺も心臓も、およそ生存に必要な臓器無しで生きていたのだ。彼に残されていた臓器は、栄養を摂取できずにしなびた脳みそだけだった。
結局、警察は暴力団系統のトラブルに巻き込まれたとみて捜査。しかし、犯人は見つからず、迷宮入りとなってしまった。
ホラーになってる……なってるよね?