表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/42

利用するために②

 あと数分でAMYサービスでの初日が終わろうという頃、俺は日に二度目の風呂を済ませて、自室に戻ろうと邸宅の二階の廊下を歩いていた。

 長年画策してきた計画を遂に実行に移した記念日ということもあり、心身ともに予想していた以上の疲労が蓄積していた。

 与えられた寝具はあまりに柔らかく、せいぜい畳に敷いた薄っぺらな布団でしか寝たことのない身としては未経験の高級品でうまく寝つけるのか不安だったが、心配は無用だろう。気を抜けば瞼が閉じてしまいそうな現状ならば、わざわざ慣れた硬い床で休息を取る必要もなさそうだ。

 目先の心配事も解消されて自室を目前にしたとき、廊下の縦長の窓から庭を見下ろしている俊平に遭遇した。別に無視しても良かったが、この邸宅にはまだまだ知らないことが多い。情報収集のためにも、彼に倣って近くの窓から外を眺めてみた。

 邸宅から漏れる光が、暗い庭の一角で身体を丸めている女性の背中を照らしている。頭頂部で一本に結われた長い髪が、動物が好意を主張するときのように揺れていた。


「もう寝たのかと思っていたが、こんな夜遅くにあいつは何をしてるんだ?」

「見回りさ。僕たちは善意によって善行を積む集団であるけど、それだけに恨まれることも多くてね。たまに報復を企む往生際の悪い奴らが現れるのさ。闇を抱える者は闇に共鳴するのか、不貞の輩は決まって夜に訪れる。奇襲されても面倒だから、社員の何人かが交代で歩哨の役割を担っているのさ」

「歩哨とはいうが、あいつは座っているし足元しか見ていない。俺にはとても周囲を警戒しているようには見えないが、お前たちの組織ではあれを歩哨と呼ぶのか?」

「あれもまた歩哨さ。門の方を見てみなよ。ほら、彼女とは別にもう一人いるだろう? この邸宅の入口は正門だけだからね。門にいる彼が〝センサー〟なら、彼女は〝砲台〟といったところかな。要は彼女は迎撃担当。有事の際に、即座に現場に駆けつけられる位置にいれば問題ないのさ。それに、邸宅のそばなら裏庭の壁を破壊された際にも迅速に対処できるしね」

「頼りにされてるんだな。それにしても、尖ってる部分ばかり見せられてきたが、あれは花を観察してるんだろ? 琴乃に花を好む嗜好があったとはな。かわいらしいところもあるじゃないか」

「いっただろう? 彼女は魅力的だって。彼女の花好きは大層なものでね、気に入った花には名前をつけているんだ。ほら、よく見ればわかると思うけど、花を眺める彼女の口元が微かに動いているだろう? あれは、自分で付けた名前を呼んで話しかけているのさ」


 注視してみると、確かに琴乃は周りに誰もいないのにしきりに唇を動かしている。弛緩した彼女の表情は今日一日で目撃したいずれの顔よりも幸せそうで、俺には一度も見せなかった幼い純真さに溢れていた。


「ちなみに、花に付けているのは総じて男性の名前だそうだよ。そこにどれだけの意味が込められているのかは知らないけど、前に訊いてみたら人を殺す勢いの剣幕で怒鳴られたね」

「なんというか、結局はあいつも変わり者というわけか」


 にこやかに笑顔で話しかける琴乃。その相手は恋人でもなければ親友でもなく、人間ですらもない植物。もしかすると、彼女にとっては恋人なのかもしれないが……。

 いずれにしても、感性が似ていると信じた琴乃には、どこか裏切られた気分だった。社長が珍獣動物園などと抜かしていたが、冗談ではなかったらしい。まともな社員がいない会社に身を置いてしまっている衝撃に、眠気が覚めてしまいそうだった。

 俺は庭から目を逸らして、自室の扉に手を伸ばした。


「この家は色々と刺激が強すぎる。眠れなくなる前に休ませてもらおう。俊平も、あまり他人の観察に没頭してやるなよ。いい趣味とはいえんぞ」


 一方的に提言して、さっさと寝てしまおうとドアノブをまわした。


「上倉」


 呼び止められて、扉に手をかけたまま振り返った。

 俺を呼んだ俊平は、変わらずに窓から広がる景色を眺めている。よく見ると彼の視線はいつの間にか刃物の如き鋭さを帯びており、琴乃ではなく邸宅の正門の方に飛ばされていた。

 何か異状が起きたのか。自室から離れて、俊平の横の窓に近寄る。

 その途中、外から何発かの銃声が響いた。

 真夜中の急襲。邸宅は正門の先から銃撃を受けていた。門衛の男が芝生に伏せて、装備していたライフルで咄嗟に応戦する。


「上倉の知り合いかな?」

「暗くてわからん。影は三つだから、人数はそれで合ってると思うが」

「それ以上いたら、僕たちも働くことになるね」


 不意に、悠司から貸与された携帯電話がズボンのポケットで振動した。つい数時間前に受けた説明を思い出して、胸ポケットからイヤホンマイクを取って右耳に装着する。機器の側面にある電源ボタンを人差し指で押すと、携帯電話の振動が収まった。


《ぼちぼち全員繋がったかい? 慧くん、君との通信は初めてだけど、ちゃんと私の声を聴けているかな?》


 耳の奥に悠司の声が響く。音量が大きく耳障りだったので、ボリュームを下げるボタンを二度押した。


「聞こえている。こっちの声も届いているか?」

《良好良好。他のみんなはどうだい?》

《問題なし。僕にも届いているよ》


 向き合っている俊平の声を二方向から同時に聴いたあと、続けて、何人かの男が応答した。


《ふむ。有事の際の連絡手段の確立は最優先事項だ。もっとも、みんな周知徹底してくれてるし、慧くんは教えないのに理解してくれてるみたいだから、いうまでもないかもしれないけどね》


 悠司が暢気なことを垂れている間に、庭の銃撃戦が激化する。

 誰かが通話に加わるノイズが二度走り、耳元からもノイズ混じりの発砲音が聴こえるようになった。


《こんな夜中になんなのよもうッ! ていうか、いきなり撃ってくるとかどういうつもり!?》

《声をかけようとしたら急に撃ってきたんだ! 社長、どうすればいいですか? このまま応戦しますか?》

《いや、君は隙を見て下がってくれ。敵は三人で合ってるかな?》

《数は合ってますが、武装しているのは二人だけのようです》

《それは危険だね。残りの一人はたぶん〝保険〟だ。しかし我々も自分たちの家を荒らされて怯むわけにもいくまい。琴乃くん、頼みがあるんだけど、私の声が聞こえているかな?》

《どっかの誰かみたいに下手糞な銃声がうるさいけど、なんとか聞こえてるわよ》


 細かいことを覚えている奴だ。


《よしよし。君には敵が敷地内に侵入したら一撃で仕留めてほしいんだけど、できるかい?》

《当然よッ! このあたしが警備してる日に来た時点で、勝敗はもう決まってるんだから!》


 ボリュームを下げたというのに、張り切った琴乃の声に脳が芯まで震えた。

 声だけでは状況把握がいまいちできなかったが、幸い二階の窓から琴乃の姿を見ることができた。

 琴乃は花壇の陰から邸宅の玄関前に移動して、手のひらを正門の方角に伸ばす。

 瞬間、鏡花のときと同じように、琴乃の前に緑色の燐光をまとう本が出現した。悠司いわくAMYサービスに三人いるという宝典魔術師。吉永琴乃が、天谷鏡花に続き二人目というわけだ。

 足元から吹き上がる魔力の風に、長い髪とジャケットの裾が踊る。

 銃声の止んだ隙に門衛の男が退くと、猛獣が檻を突き破るかのように正門が開かれた。

 暗闇の奥から、目深にフードを被った敵が二人現れる。その後ろで、残りの一人が遅れて門を跨ぐ。

 魔力の光を展開する琴乃に対して、先行した二人が銃を構えた。


《第四宝典魔術――》


 事態を察してか、向けられた銃口から火花が爆ぜる。

 凶弾は琴乃めがけて放たれたが、例外なく彼女の手前で弾かれた。

 宝典のまとう緑の燐光が、彼女の命を奪わんとする銃弾の接近を拒絶したのだ。

 いくら宝典魔術が強力といえども、詠唱が必須であれば、その発動準備段階はあまりに間抜けな隙をさらすことになる。そんな当たり前の欠点を、この異能力を生み出した魔人とやらは宝典自体に極めて強力な盾の効力を与えることで解消した。


「無駄なことを」


 宝典魔術師に物理攻撃は効かない。過去に何度も、千奈美が同様の力を行使して弾丸を防ぐ場面を目撃したことがあった。


《――稜威りょういかしず廷臣えんしんたる灰簾石かいれんせき! 難渋なんじゅうと絶縁せし星辰せいしんの煌きよ!――》


 侵入者たちが無駄な銃撃を止めた。

 逃げたほうが賢明だと思うが、踵を返すような素振りは見せない。引き金に指をかけ銃口を逸らさぬまま、ジッと琴乃に照準をあわせている。

 敵が何を考えているのか、なんとなくわかった。

 敵の正体がフリーフロムの構成員であるならば、宝典の持つ盾の効力は目にしたことがあるはずだ。となれば、魔術の性質も多少は理解しているのだろう。


《――汝災厄に仇なす剣となれッ! 汝悠久を紡ぐ盾となれッ! 汝蒼き紫電の騎士となれッ!――》


 琴乃は敵の思惑になど興味がないようで、構わず意気揚々と詠唱を続ける。

 宝典の発する燐光の色が、徐々に緑色から青紫に変化する。燐光は宝典から拡散して、宝典の周囲十箇所に濃い輝きを放つ発光体を生んだ。

 琴乃は伸ばした右手を拳に変え、一旦引くなり勢いをつけて薙ぎ払った。


《――ノーブル・タンザナイト・ガーディアンッ!》


 魔術の名称が絶叫されると、瞬間的に十の発光体が凝縮して青紫の固体に変貌した。

 小石ほどの美しい輝きを放つ固体が琴乃の周囲に密集して、衛星のごとく様々な軌道で彼女の身体を軸に忙しくまわりだす。

 直後、詠唱完了の隙を狙っていた敵の銃口が吠えた。

 魔術の発動により宝典は消滅する。

 この一瞬に限れば、殺意の雨から身を守る防壁はもはや介在しない。

 まさかとは思うが、そんな楽観視をしているのだろうか。だとしたら、琴乃のいっていたように、彼らが彼女と対峙した時点で勝敗は決していた。

 無数の凶弾が琴乃の身に飛来する。

 弾着の間際、琴乃の周囲の衛星が、耳を劈かんばかりの甲高い雷鳴を伴って眩く発光した。

 雷は繰り返し轟き、その度に鮮やかな稲光で夜空と邸宅を青紫色に染め上げる。

 轟音が銃声の数だけ鳴くと、深閑とした景観が邸宅に戻ってきた。

 静かになった庭を見れば、夜を邪魔していた敵のふたりが芝生にうつ伏せで倒れていた。彼らの傍らには、弾倉が空になったと思しきライフルが転がっていた。

 推察するに、琴乃は飛来した弾丸すべてを雷で弾いて、同時に敵に雷撃を食わせたらしい。

 雷撃は彼女を軸にくるくると回る衛星が発したように見えた。魔術の電圧がどれほどか興味があったが、実際の落雷の威力を考えると身をもって知りたいとまでは思わない。

 タンザナイトの石言葉は知っている。〝誇り高き人〟だ。琴乃が得意とするならば、これほど納得できる魔術も他にない。

 現実からひどくかけ離れた強力すぎる異能力を前に、侵入者は瞬く間に掃討された。

 いや、ひとり残っていた。

 顔を隠していたフードは雷光の衝撃波で脱げて、右手を琴乃の対極をなすように邸宅の玄関に向けてかざしている。

 その手の先で、青紫の光を帯電した宝典が中空で浮遊していた。


「ほう。驚いたね。慧くん、君はあの子を知っているんじゃないかい?」


 いつの間にか隣に悠司が立っていた。

 彼の後ろでは、寝間着姿の鏡花が控えていた。


「そうだな。あいつのことを、俺はよく知っている」

「どうしますか?」


 鏡花から投げられた漠然とした質問に、即答はできなかった。


 ――まさか、裏切りの当日に再会してしまうとはな。


 だが予想より早かろうが遅かろうが、やるべきことは変わらない。

 こうなることは、アジトで別れた瞬間から覚悟していたのだから。


「決まっている」


 窓際から離れて、エントランスホールに続く廊下に向いた。

 数分前までの睡眠欲など、見る影もなく失われていた。


「俺が生きてることを、その意味を、あいつに教えてやらないとな」


 これまでの人生で最も長く感じた一日は、どうもまだ終わってはくれないようだ。

 誰にも引き止められることなく階段を下りて、俺は邸宅の玄関扉に手をかけた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ